2024年04月26日( 金 )

【凡学一生のやさしい法律学】さくら疑獄事件(4)

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 「総理大臣の犯罪」。この言葉で日本国民誰もが思い出すのが田中角栄元首相のロッキード事件だろう。いまだに理解に苦しむことは、事件の端緒がアメリカ議会公聴会での証言を基にした贈収賄事件であり、その証言が「超法規的」司法判断で、有罪の証拠とされたことである。

 わかり易くいえば、外国に存在した証言が日本の裁判で使用されたことである。これでは最初から弁護側として十分な反対尋問など不可能であった。伝聞証拠で反対尋問のできない証拠(これは日本の裁判では証拠能力がない)以上に法的に適正手続違反の証拠であった。

 なぜ、旧聞に属する話を蒸し返したか。それは総理大臣の犯罪の立証がいかに困難かを国民に知ってほしいからである。総理大臣は法律に極めて詳しい官僚群に守られている。彼らは自己の行く末をかけて総理大臣を死守する。籠池事件の財務官僚・佐川氏が明白な虚言を弄しても、結局は財務省国税局長官に就任した。やがては終生、天下りで関連法人のトップを渡り歩くことで一生を終わるのだろう。

 いま国民は再び「総理大臣の犯罪」に遭遇している。マスコミもだれも「桜を見る会」にかかる疑惑を「総理大臣の犯罪」と表現する者はいない。しかし犯罪だからこそ議論し、真実を究明する意味があるのであって、単なる不祥事であれば、これだけ大騒ぎする意味もない。

 では安倍晋三総理大臣の犯罪行為・違法行為は具体的には何であるのか。この問題を議論する前に、現状の問題点を指摘しなければならない。つまり、日産ゴーン事件の時もそうであったが、日本のマスコミの報道手法は極めて情緒的である。その典型的表現が「私物化」である。このマジックワードこそ、犯罪行為や違法行為の存在をほのめかし、国民に有罪の印象を瞬時に植え付ける最上の言葉となっている。しかし、このマジックワードの多用濫用こそ真実を隠蔽し、最終的には何も残らないむなしさだけを残す元凶である。

 野党議員の疑惑追及が「私物化」主張のレベルである限り、再びさくら疑獄は一時の喧噪に終わることは必定である。これでは国民の法的思考力、政治的認識力は何時まで経っても成長しない。さくら疑獄が少しでも国民の政治的知性の向上をもたらすことを願う。

総理大臣・安倍晋三の責任

 一般人と異なり安倍晋三には刑事責任・民事責任の他、政治責任がある。この政治家としての責任が公職選挙法や政治資金規正法等の責任である。しかも政治家としての政治責任に加えて総理大臣という特別公務員としての責任もある。私物化という非難は特別公務員としての地位に関連して主張されているのであるから、この私物化という単語1つで、全責任問題を論ずる野党議員の議論はいかにも粗雑乱暴である。

 ホテルニューオータニの格安5,000円前夜祭問題は単純な公職選挙法や政治資金規正法違反問題ではなく、政府の公式行事としての会場使用にホテルニューオータニを使用する関係と関連し、不適切な利益誘導関係もうかがわれる。1つ1つを具体的に正確に事実認定してから、その責任が議論されなければならない。

 推測だけで有罪有責を認定することは許されないが、疑念については当然説明責任がある。不合理な説明や説明拒否、事実の隠蔽などがあって初めて推測による非難が許される。事件の窓口があまりにも大きすぎて、事件の性質の違いによる正確な議論がなされていない。このような認識を念頭において、「桜を見る会」に関する安倍晋三の責任問題を議論する。

(つづく)

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