2024年03月29日( 金 )

「手続的正義」どっちが大悪?~東名高速あおり運転事故(前)

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 西洋文明が到達した法学理念は、基礎的な法学教育をまったくしない日本では普通の人の100%が知らない。これが突然しめされたのが東名高速で2名が死亡したあおり運転事件で、懲役18年とした第一審判決を破棄差し戻した東京高等裁判所の判決である。もちろん日本のマスコミ、そして国民は文字通り当惑した。

 日本の刑事裁判で手続的正義を理由に判決を破棄した裁判例は極めて少ない。しかもこの高裁判決は極めて日本的にローカライズされており、本来の意味の手続的正義とは異なる局面で出現した。それでも日本人が手続的正義の概念を知る機会はめったにないので、解説の価値はあるだろう。

手続的正義の概念

 「手続的正義の存在しないところには真実はない」とするのが手続的正義の概念である。日本の法学は実体法と手続法という分類概念が存在するように、法律の重要性ははるかに実体法にあり、手続法は実体法の実現のための技術的な法体系と理解されてきた。

 司法試験の受験科目でも実体法である民法と刑法は必須科目であるが、民事訴訟法と刑事訴訟法は選択科目であり、ほとんどの受験生は訴訟法が結構難解なため、どちらか1つの訴訟法を受験科目にしている。つまり、日本の法曹は生まれながらにして訴訟法については未熟児である。

 そして、さらに行政争訟の領域についてはもともと「お金にならない」こともあって、ほとんどの弁護士が行政事件訴訟法を知らない。もっとも、行政争訟は直ちに司法手続きである裁判手続が開始されることは原則ではなく、審査前置主義として、まず、行政庁自身を相手とする審査請求手続が先行する。その手続を正確に履践するためには、主題となっている行政法を熟知するほか、行政不服審査法、行政手続法などの知識が不可欠である。

 たとえば年金について、その処分が不服である場合、国民年金法および厚生年金法などの基本の年金法を熟知することがまず前提となるが、国民年金法1つとっても、膨大な法体系であり、司法試験に合格した程度の法学生ではまったく無知といっても過言ではない。そして「金にならない」から勉強する動機も生まれない。

 結局、日本の弁護士はほぼ全員、年金争訟を受任する力量をもたない。筆者が体験した行政法領域のほとんどで弁護士が無知無能であることを数多く体験した。ただ、今回の高裁判決は純然たる刑事事件であるから、逆に日本の弁護士が知らないことはないが、さすがに裁判所が「手続的正義」を理由に破棄判決を出したことには面食らっているはずである。その理由から説明したい。

(つづく)
【凡学 一生】

(後)

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