2024年04月28日( 日 )

日本版「#MeToo」裁判~女性蔑視・男尊女卑の日本社会(6)

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一事不再理効を認める論理的根拠は

 刑事司法手続における検察官の不起訴処分と検察審査会の処分に一事不再理効を認める論理的根拠は存在するか。

 刑事裁判手続で、公訴が提起され、検察官と被告人の間で十分な攻撃防御が尽くされた結果の裁判および判決には当然、再訴・二重起訴の禁止・判決効が規定され、一事不再理の理念が条文化されている。

 では、検察官が不起訴処分とした事件について十分な審理、とくに被害者の主張が考慮されたか、といえば、あきらかにそれは否定される。しかも、事件は公訴提起されていないから、裁判手続にさえ乗っていない。どこに一事不再理を認める合理的理由があるというのか。

 被害者が検察審査会で直接主義のもと、審査員らに実情を主張できたか。まったくそのような事実もなく、審査員らが何を根拠に判断したかも、事後的にさえ不明であり、隠蔽されている現実を考慮するなら、いかなる一事不再理効も認めることはできない。検察審査会法第32条はもはや無条件に検察官の不起訴処分に不合理に不可争力を認めるもの(しかもそれは実質無罪の判決効)で、明らかに、被害者の権利を侵害する憲法違反の条項である。

 このような不条理な条文であるから、何も、伊藤氏ならずとも、今回の検察の不起訴処分が国民主権を代行する検察官の公訴権の行使としては不当と思料する国民は誰でも本件性暴力事件の加害者を刑事告発して、検察の不起訴処分を待って、検察審査会に審査請求することになる。

 検察審査会が検察審査会法第32条を理由に却下処分をした場合には、憲法違反の違法処分として争うことになる。なお、検察審査会は法律上、特別の独立行政委員会と性質決定されるから、行政訴訟となる。未知の領域であるが、デタラメ立法を駆除するためには仕方がない。国民は目を覚ますべきである。なお、検察審査会は個別の裁判体として形成されるから、却下処分をした裁判体が行政訴訟の被告となる。こんな馬鹿げた訴訟まで選ばれた市民が負担させられることになれば、さすがに国民はその不合理さに気付くだろう。

 それにしても日本の国会議員がいかに立法能力に欠け、官僚立法に依存しているかを示す一例として国民は理解しなければならない。与党議員は官僚の犯罪立法を盲目的に賛成し、野党議員は、犯罪立法であることすら理解していない。日本は法治国家であると国民は勝手に誤解させられている。

 なお、被害者には当然、刑事処分を求める権利がある。これは憲法が保障する国民の「裁判を求める権利」(国務請求権)である。憲法が保障する裁判を求める権利は民事裁判だけであるとする根拠はどこにもない。私人間の紛争について私的な報復を許さないとするのが近代裁判制度の基本理念であり、それは民事・刑事と区別する理由はまったくない。

 なお、「裁判を受ける権利」は主として刑事処分を初めとして、国権により不利益処分を受ける場合の権利保護規定であるが、広義の国務請求権である。

関連事項

 ヤメ検の有名弁護士が、本件の不起訴処分と民事裁判第一審判決の矛盾齟齬について、古典的な証明理論で解説記事をネットに公表した。いわく、刑事裁判と民事裁判とでは、事実の証明において、証明の程度が異なるために発生した表見的矛盾であって、証明理論では当然あり得る事象であるとした。

 刑事裁判では犯罪構成要件事実の証明は「厳格な証明」が必要であるが、民事裁判では、

 「一応の証明」「証明の優越」でよい、すなわち「厳格な証明」は不要だからこうなったという。検察官は加害者の行為は準強姦に該当しないとするについて、合理的な疑いを生じないだけの明白な証拠があると判断したが、民事の第一審裁判官は、一応加害の事実が認定できるし、多少の矛盾や不整合を容認した、と解説した。極めてデタラメの解説という他ない。

 そもそも「厳格な証明」と「一応の証明」という「証明程度についての概念定義」そのものが、極めて情緒的、観念的で、非科学的である。非科学的という意味は、客観的に量的な比較ができない区別概念だからである。事実の証明において、矛盾する証拠の存在がある場合、それは証明されたとはいえない。その意味で、証明はすべて「厳格な証明」でなければならない。この説明だけで、ヤメ検弁護士の解説がデタラメであることは理解できるだろう。

 ヤメ検弁護士の論理はデタラメであるだけでなく、検察官の不起訴処分を正当化していることが問題である。刑事裁判に限らず、民事裁判においても要件事実の証明は科学的合理的でなければならず、証明手続は同質である。同一事実について、とくに同一要件事実の存否について判断がわかれる場合、合理的な理由や科学的理由などあり得ない。少なくともどちらかが誤りである。

 何度も繰り返すが本件で問題となっている犯罪構成要件事実は性行為に関する「合意」の存否である。ヤメ検の解説をわかり易く言い換えれば、検察官は厳格に証拠資料を検討した結果、「合意」の存在を認めたから犯罪が成立しないと判断し、民事裁判官は一応、「合意」は存在しないと認定したが、厳密には「合意」があったかもしれない、という程度の事実認定であった、ということになる。具体的に事例に当て嵌めて解説すれば、ヤメ検の解説は一層、醜い解説となる。

【凡学 一生】
(つづく)

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