2024年04月20日( 土 )

【シリーズ】生と死の境目における覚悟~第4章・老夫婦の壮絶な癌との闘い(1)

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相性の良い夫婦の連れ添い「癌」~癌との21年の闘い

 久人・由紀(仮名)夫婦はかつて、東京で開催された県人会で知り合った。その後、久人の押しの一手で由紀の家族を説得して結婚したそうだ。由紀が1つ年上という姉さん女房だった。

 久人は物静かで温厚な人柄で、堅実な仕事ぶりによって会社から重宝がられた。由紀は社交的で友人が多かったが、家庭もしっかり守ってきた。夫婦は2人の男の子を授かった。

 久人は若いころ、会社命令による転勤を2回した。その後、友人の誘いで転職を決断した。久人40歳の時である。友人が事業化して5年経過した時で、その友人は片腕となる人物を必要としていた時期だった。友人は「この役をこなしてくれるのは久人君しかいない」と考え、声をかけたのだろう。久人自身も将来について考えた。「今の会社で出世を求める方が良いのか、ベンチャー企業のNo.2で、好きなだけビジネスに傾注するか」を秤にかけて転職したという。

 結果、転職した会社は、定年までの30年間、業績が順調で、生活には困らなかった。また、2人の息子のどちらもレベルが高い大学に進学させることができた。

 由紀も「お父さんが転職を決断してくれたおかげで、40歳からの人生な大切な時期にお金に困らなくて済んだわ」と感謝の念を述べていた。由紀にとって40から60歳までの20年間は、人生を最大限謳歌できた時期だったといえる。しかし、61歳(1999年)の時に肺癌を患うという過酷な運命が待ち受けていた。

 一方、久人は家族のために友人の会社でNo.2として尽力したが、人の10倍以上の仕事をこなさなければならず、それが原因で身体を蝕まれていく。そして、65才を境に狭心症との闘いが始まる。76才には肺癌と胃癌が同時に発見され、手術をした。まさしく「夫婦相性連れ合い癌」という運命だった。そこから壮絶な久人・由紀夫婦の癌との闘いが始まったのである。

癌との闘いの歴史~発生の記録

 久人は生来、非常に几帳面な男で、夫婦の傷病歴を残していた。筆者はそれを知って愕然とした。夫婦の病状の悪化を冷静に直視し、余命を過ごした久人の不屈の意志の力が伝わってくる(後で触れる)。だが、そんな久人も1月に天に召された。

病歴
病歴
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久人の病歴:1994年(平成6年)55才の時、大腸ポリープを内視鏡手術してから26年間さまざまな病と闘ってきた。
2015年(平成27年)76才胃癌、肺癌になり、手術を受けてから体力的に弱ってきた。その後も胃の残り部分、肺の反対側と癌が転移し、そのたびに手術してきた。

由紀の病歴:1988年(昭和63年)50才子宮筋腫を患う。
1999年(平成11年)61才の時左肺癌を患って、その後さまざまな臓器に転移。20年間癌との闘いを続けてきた。
61歳の時左肺癌を手術、無事回復する。
 左肺癌を手術して9年後に右肺に癌が出来、手術を行う。回復後、由紀の甥の結婚式があり、東京から福岡にやってきた。同席で、割と元気だった。しかし、頬がこけており、ふっくらとした可愛い雰囲気は消えてしまい、闘病のやつれのみが目立っていた。「人と擦りあうと胸が痛むので人ごみには出たくない」と弱気を吐き、とくに「電車などで人とぶつかると痛みが走り、一番辛い」とも語っていた。

(つづく)
【青木 悦子】

※登場人物は全て仮名です

 

第3章(後)
第4章(2)

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