2024年04月18日( 木 )

開発加速の横浜みなとみらい21~超高層ビル、アリーナ、ホテル続々(後)

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みなとみらい21構想

(仮称)みなとみらい21の街並み

 海が見える洗練された街並みで、横浜らしい場所として知られる「みなとみらい21地区」。1859年に開港した横浜のなかでは、みなとみらい21は新しい街だ。第二次世界大戦による横浜都心の焼失や戦後の米軍統制により、復興の機会がもてず、横浜港周辺にあった商社などの事業拠点は東京に流出していた。そのため横浜市は1965年に、就業人口を増やして自立を取り戻すべく、「横浜都心部強化事業」を発表。83年2月には、同事業の主要プロジェクトとして「みなとみらい21事業」都市計画を決定し、同年11月に着工した。

 横浜駅東側から桜木町駅にかけての埋立地・約186haを整備する「みなとみらい21事業」の開発目的は2つ。1つ目が、横浜駅周辺と関内・伊勢佐木町に二分されていた都心を一体化し、オフィスや商業・文化・国際交流施設を集積して経済を活性化すること。もう1つが、横浜港の憩いの場となる公園や緑地などウォーターフロント空間をつくり、湾岸管理を集積することだ。

 85年9月の横浜駅東口での「横浜新都市ビル(そごう横浜店)」開館を皮切りに、「横浜美術館」(89年11月開館)、「パシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)」(91年8月開業)、「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」(91年8月開業)、「横浜ランドマークタワー」(93年7月開業)などが相次いでオープン。一方で、89年9月の「横浜ベイブリッジ」開通や、92年の首都高・横羽線のみなとみらいICの供用開始、94年12月のベイブリッジから羽田空港の首都高・湾岸線の開通など、周辺の交通インフラの整備も進んでいった。
 97年4月に「新港地区都市計画」が決定して以降は開発がさらに進み、2002年4月に「赤レンガ倉庫」がオープンしたころに、現在のみなとみらい21の街並みのベースが形成。04年には横浜高速鉄道・みなとみらい線が開通した。

 一方で、日産自動車(株)グローバル本社がオープンした09年以降は、企業の拠点も増加。みなとみらい地区の企業数は約1,820社(19年時点)で、就業者数は11年の約7万7,000人から19年には約11万2,000人と、8年間で約3万5,000人も増加した。直近では20年3月に、「パシフィコ横浜ノース」や「横浜ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート/ザ・カハラ・ホテル&リゾート」が完成している。

オフィスなどが立ち並ぶ、みなとみらい大通り(中央地区)

 今後に目を向けると、22年1月には積水ハウス(株)を事業主とし、米ホテル大手のマリオット・インターナショナルが運営する「ウェスティンホテル横浜」(44街区、約373室)が竣工予定。また、(株)ケン・コーポレーション(東京都港区)が事業主となる地上25階建、敷地面積約3万1,800m2、延床面積11万7,100m2の大規模開発計画も進められている。この計画で世界最大級の音楽アリーナ(約2万席)や外資系ホテル(約340室)、オフィス、展示施設から成る「Kアリーナプロジェクト」(60・61街区)が23年10月に竣工予定のほか、53街区(敷地面積:約2万600m2)では、オフィスやホテルなどの地上30階建ビルが24年3月の竣工予定だ。

 現在も新たな開発に向けて事業者の公募が続いている「みなとみらい21地区」。街はこれからも、さらに新しく生まれ変わっていくだろう。

(了)

【石井 ゆかり】

(前)

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