2024年03月29日( 金 )

【凡学一生のやさしい法律学】関電責任取締役提訴事件(2)各論

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国民を馬鹿にした提訴理由

 多数の収賄職員のなかからわずか5名の旧取締役が、「善管注意義務違反」を理由に損害賠償責任があると法律専門家委員会が結論した、として会社は提訴した。

 これほど国民を馬鹿にした法律家の暴論を許しては、文明国の名に恥じよう。素人である国民は、「善管注意義務違反とはどのように規定されたもので、どのような内容か」をまったく知らない。このため、報道記者はもちろん、誰も異論を唱える者がいない。そこで、基礎知識から説明を始めなければならない。

 株式会社に限らず、法的空想物である「法人」は、生身の「人間」を代理人として行動する。この法人の代理人となる「人間」を通例、「役員」と呼ぶ。株式会社の役員は、「取締役」と「監査役」である。業務執行の代理人が「取締役」で、監査業務執行の代理人が「監査役」である。そして代理の基本法は、民法の「契約」の章に規定された「委任契約」である。その節の第644条の規定が「善管注意義務」規定である。「善管注意義務」はどのように表現されているかを、まず見てみよう。

 民法第10節 委任 第644条
 受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって委任事務を処理する義務を負う。

 この文言だけであらゆる場合の役員の事務処理について、具体的な法的判断を下すことはできない。このため、法学理論は、人間の行為を「法律行為」と「事実行為」の概念に区分した。「法律行為」とは、一定の法律効果を意図した意思表示行為である。「事実行為」とは、このような意思表示をともなわずに法律効果を生じる事実上の行為だ。
 この概念から、本件の被提訴取締役らの「行為」を検討する。賄賂の収受は、代理人としての「法律行為」か、または「事実行為」か、それとも単純に個人的な「犯罪行為」か、である。「犯罪行為」の代理など矛盾極まりない論理であり、存在しない。つまり、被提訴取締役らの賄賂収受行為は事務処理行為たりえず、「善管注意義務違反」を論じる余地はない。このように独善的でデタラメな法律構成を得意とするのが、やめ検弁護士らであることも客観的事実である。

 「善管注意義務違反」は契約上の義務違反であるから、債務不履行責任である。その損害は、本来の善良な行為の結果得られたはずの利益の損失を基本として、算定算出される。賄賂の収受によって会社に帰属する利益などあり得ず、会社への損害はそもそも発生していない。

 しかし、賄賂の提供は、会社が発注する工事の受注を目的とする不正取引の意図をもった行為であり、その意図を知って賄賂を収受すれば、「背任」の罪となる。社会通念を超える贈与は、その意図の有無を問うまでもなく違法行為である。結局、賄賂を収受した取締役らは、適正な競争入札を妨害することを予期して発注契約を承認している。そのため、「善管注意義務」という一般的な抽象概念ではなく、「背任」である。「背任」は、当然のことながら、債務不履行行為だけでなく、明白な「犯罪行為」であり、「適正価格からの逸脱」や、「会社名誉の侵害などの損害賠償責任」となる。本件提訴が、いかに背任の「犯罪事実」を隠蔽するための暴論であるかを、国民はしっかり理解してほしい。

 会社法には一般的刑法規定をより明確にした、会社法上の背任規定が存在し、これを刑法の背任罪と区別して「特別背任」と呼んでいる。ただ、会社法などには取締役の責任減免の規定が存在し、取締役らが業務執行において萎縮しないようにとの配慮もなされているため、取締役らの業務執行における「背任」を実際に認定することは困難である。ただし、賄賂の収受は業務執行の概念範囲にないため、その心配は無用だ。裁判は、この無用な議論を延々と続けることが予想されるため、長期におよぶであろう。長期の裁判で潤うのは代理人弁護士だけ、という日本の腐敗した司法サービスの現状を見せつけられることになる。

(つづく)

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