2024年04月20日( 土 )

【凡学一生の優しい法律学】日本学術会議委員任命の論理学(前)

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 内閣総理大臣の違法行為・犯罪行為が国民からこれほどまでに非難を受けない「似非文明国」は、日本をおいてほかにない。日本はなぜ、こんな哀れな国になったのか。その理由は公務員の行為が違法だと判断してその存在を糾弾すべき立場の人間が存在しないか、もしくは存在してもその役割をはたしていないかのいずれかである。

 いずれの国でもそうだろうが、一般市民には専門的な法的判断はできないため、社会では法律の専門家や学者がその役割を負う。それなりの教養を身につけて言論出版業に従事するいわゆるジャーナリストと自称・他称する人々もそうであろう。

 しかし、日本の大新聞といわれる報道機関はどれ1つとして、菅総理大臣の日本学術会議(以下、学術会議)会員の任命に関する「推薦無視」の行為を「違法行為」「犯罪行為」と報道していない。これはそれほど明白に適法な行為なのだろうか。

 特別職公務員である総理大臣の行政行為はすべて憲法や法律に基づいて執行されるため、その行為が「適法」か「違法」かについて判断を下すことできるのは「明白」あり、場合によっては「犯罪」か否かについて判断を下すことも可能である。

 菅総理大臣は記者会見で、「法令に基づき適正に執行した」と説明したが、この場合の法令とは日本学術会議法である。新聞記者やテレビの解説者らはこの法令に目を通し、任命に関連する法文を読んで得心したのだろうか。

 ジャーナリストは自分の目で「現場」を見なければ記事や論評を書かない・書けないはずであるが、この職業的基本倫理さえ実行しない・できない自称ジャーナリスト・似非ジャーナリストがあまりにも多すぎる。

 著明なテレビ解説者(往々にしてこれらの解説者は長年「記者」を務めてきた人が多い)は、菅総理大臣の推薦無視について、(筆者注:推薦無視は問題ないが)「理由をつけなければならない」と「解説」していた。

 この「推薦無視は適法だか、理由を付することは必要」という途方もない法的暴論は、有名な弁護士・橋下徹氏が最初に主張した菅総理大臣擁護論であることは多くの国民の知るところである。

 ここで、この「橋下説」がなぜ背理の暴論であるかを説明したい。
 まず、「橋下説」では、条文に明白に違反する推薦無視が適法な理由として、実質的な任命権が総理大臣にあることを挙げているが、そうであれば理由を付することが必要との論拠がない。

 何よりも、実質的任命権と推薦無視は完全に矛盾する。実質的任命権者であれば「推薦に基づいて」任命するという法文にはならず、単に「任命する」のみを表記する。そして橋下氏の主張の最大の問題点は、菅総理大臣を実質的任命権者だと判断する根拠がないことである。

 橋下氏は当初、その根拠を学術会議が公的機関で会員が公務員であるためとしていたが、この説明はすべての「公的機関」の任命権者が総理大臣となるという暴論だ。

 学術会議の会員は確かに「特別職」公務員であるが、国会議員も同様に特別職公務員であり、総理大臣が国会議員の実質的任命権者と主張する者は日本では橋下氏1人である。
 そのため、橋下氏は最近では、学術会議は「公的機関」であるため実質的任命権は総理大臣にある、とのみ主張するようになった。無論、すべての公的機関の構成員の実質的任命権者が総理大臣とする論理も、やはり国会議員は国会の構成員であるため同じく破綻する。

 これらの論理破綻が起こる理由は、法令の解釈や政治的現象を単に感覚的な心証で論ずることにある。次回は、それがいかに誤った立論であるかを論理的に分析し証明したい。

(つづく)

(後)

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