2024年03月29日( 金 )

【凡学一生の優しい法律学】日本学術会議委員任命の論理学(後)

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 内閣総理大臣の違法行為・犯罪行為が国民からこれほどまでに非難を受けない「似非文明国」は、日本をおいてほかにない。日本はなぜ、こんな哀れな国になったのか。その理由は公務員の行為が違法だと判断してその存在を糾弾すべき立場の人間が存在しないか、もしくは存在してもその役割をはたしていないかのいずれかである。

任命行為の分析的定義

 任命行為を、ある人を選出し(前工程)、その人に地位権限を付与すること(後工程)と定義する。

 前工程と後工程が同一人物によって実行される場合、当該人物に「任命権限」があると認識できる。しかし、高い独立性が必要な公的機関に対する最高責任権限者の任命については、この2つの工程は異なる法主体が分担して実行する。

 その典型的な例を挙げると、会計検査院の検査官3名と人事院の人事官3名の任命である。ともに、国会の同意を得て、内閣が任命することが法律に規定されている。この場合には任命が同一人物により実行される場合とは異なり、単独の任命権者と認識される法主体は存在しない。もちろん、形式的任命権者や実質的任命権者という概念も成立する余地はなく、「類推」そのものが不当である。

 法令でこの2つの工程が明文で示しているのが、日本学術会議法である。他にも憲法では、最高裁判所の指名した名簿を基にして下級裁判所裁判官が内閣により任命されるという規定がある。これらの場合、2つの工程のいずれを欠いても任命は違法となる。とくに、前工程が実行されている場合、後工程の担当者は実行する法的義務が残るのみであり、前工程の存在を無視する権利はない。

 筆者は前工程の不可欠性および時系列的先行性に着目して、前工程担当者を「実質的な任命権者」と認定していたが、そもそも単独の任命権者がいるという「前提・類推」自体が誤りであり、加えて、2つの工程は必要であるため、いずれかが形式的と判断すること自体が誤りであると気づいた。2つの工程はともに法令が規定した不可欠のものであり、両方の工程が揃って初めて適法な任命行為となる。

 以上の任命行為の論理的分析により、橋下弁護士らによって展開された菅総理大臣の違法行為擁護論がいかに論理性を欠いた誤った議論であるかということが理解できるだろう。

(了)

(前)

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