2024年05月19日( 日 )

【凡学一生の優しい法律学】三権分立論の嘘(5)

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 日本国民の大部分が、日本は三権分立の民主主義国であると信じている。しかし、彼らは政治的制度について論理的にも事実実証的にもまったく確認することなく、「制度の建前=真実」という極めて稚拙な認識をもってはいないか。
 日本が真の意味で民主主義に基づく三権分立国であるかどうかは、憲法の記述と現実に発生した政治事件の顛末を検討・検証すること確認できる。大事なことは、「自分が信じる日本社会が嘘の社会であることを実感するために憲法を読む」という視座で臨むことであり、「難しい」「難解」と思い込む自己の内面がそもそも「誤った認識に毒され、洗脳されている」ことを知るべきである。

不当性を広く国民に知らせ、補欠選挙を目論むべき

 第2の方法は、マスコミを通じて法論理上の不当性を広く国民に知らせることである。国会議員の責務の1つである主権者への報告義務としての世論の喚起である。毎回、与党に対し負け犬の遠吠えと揶揄されるような非論理的、感情的な非難を行うのに終始しているようでは、国民からそっぽをむかれてしまう。当の本人は野党の国会議員として、行い得る最大限の行為を行ったと感じており、国民との精神的乖離は次第に修復不可能となる。日本の野党議員は、「狼少年現象」ともいえるお粗末な歴史を繰り返してきた。

 第3の方法は国会議員を辞職して、補欠選挙を目論むことである。辞職した議員が再度立候補することは法律では禁じられていないため、補欠選挙活動を通じて国民に正義を訴えることである。選挙には資金が必要なため、資産形成や政治家稼業それ自体が目的の議員には到底できない芸当ではある。

 再度立候補時には、民主主義の必要コストを認識できず、「選挙費用の無駄遣い」という論者が必ず出現する。かつて、冤罪の罠にはめられたと主張する市長が刑事裁判で無罪を争い(美濃加茂市長事件)、市民の多数が事件の冤罪性を理解していたため、有罪判決後に辞職して市長選挙で再度当選した事例がある。

 この刑事裁判で有罪判決を出した裁判官には当然、選挙への再立候補と当選という結果は想定できたことであるから、無駄な選挙費用が発生するのを避けるために、無罪判決をすべきであったと、コスト優先主義論者は主張するのだろうか。

 社会正義や民主主義の原理を守るための社会的コストをすべて金銭価値として評価する拝金主義者、似非経済学者には、理解がおよばない。日本にこのような人々がいる限り、本質が何かが理解されず、民主主義の成熟は期待できない。

 すべての野党議員がこの作戦を実行すれば、選挙に多額の資金を投入する与党議員のほうが根負けして音を上げる。国会議員の多選、世襲化を防ぐためには、資金が必要な選挙を限りなく増やすことも1つの方法である。

 利権に関与することが少なく、選挙資金が豊富でない野党議員が「金権与党議員」に勝利する唯一の残された方法は、「限りなく選挙回数を増やすこと」であるという逆説現象は、金権政治への巨大な皮肉である。

 義理のお返し行為としか投票を認識しない国民も、投票回数が増えれば、主権者の意味を少しは真剣に考えるようになるだろう。

(了)

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