2024年04月23日( 火 )

中国経済新聞に学ぶ~塘栖古鎮で想ったこと、古鎮ツーリズムの夢

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 今年の国慶節休暇中、日本に帰国することもできず、上海に近い杭州北にある余杭という町を旅した。余杭には中国版新幹線「高鉄」の駅があり、始発となる上海の虹橋駅からわずか45分ほどのところにある。妻が事前にスマホでチケットを購入し、座席予約もしているため、改札も車内検札もすべて身分証明書(筆者の場合は永住カード)1枚で済み、実に便利だ。

 余杭は小さな町と思い込んでいたが、駅に到着後、斬新で広々とした立派な駅を目にして実に驚いた。こんな大きな駅を建てる必要があるかと疑問を抱いたところ、タクシー運転手から2022年に杭州でアジア競技大会が開催されると聞いて、「なるほど」と頷いた。また、杭州への地下鉄や高速も開通しているため、不動産開発も進み、駅周辺には高層マンションが林立していた。  

 もともと、余杭は梅花で有名な土地で、超山という海抜260mの山があり、そこには中国五大古梅のうち、唐梅と宋梅の2本が今なお元気に生存している。梅のシーズンは初春二月からであるため、あいにく今回は梅の花を愛でることはできなかったが、山のいたるところに齢を重ね、重厚で風格のある梅の木々がずらりと立ち並ぶ様子は、まさに壮観であった。

 2日目の夕刻、民宿から車で15分ほどの塘栖古鎮景区に足を伸ばしてみた。上海の七宝や朱家角に似た古鎮(歴史ある街)である。乾隆帝も来たという京杭大運河にかかる広済橋という大きな石橋横のレストランで夕食をとりながら、しばらく美しい夜景を楽しんだ。驚いたことに、82歳の義母は古鎮名物の臭豆腐(発酵した豆腐の揚げ物)を食べたい一心で悪い足を引きずりながら、あの大きな石橋を歩いて往復した。それにしても、どこの古鎮も人があふれており、大変な人気ぶりだ。

 ところで、観光地化する以前の古鎮はただの田舎の村だったはずであるが、なぜ、このように見直されるようになったのだろうか。思えば、筆者は1995年ごろ、上海の西はずれにある七宝という田舎町で暮らしたことがある。

 そのころの七宝は街中の水路にゴミがあふれ、一帯がヘドロまみれで、夏はそのヘドロ臭に辟易したものだ。幹線道路の漕宝路も到るところで工事していた。常に埃っぽく、道はでこぼこだらけであり、市内へ往来する1元バスには冷暖房もなく、タクシーもボロボロな小型のシャレードが多かった。それが今はどうだろう。

 七宝の町はすばらしく発展を遂げてみせていた。地下鉄9号線も開通し、周辺には巨大な宝龍城や万科広場などの現代風ショッピングモールが建設され、ヘドロまみれの水路も汚染処理が施され、立派な美術館や博物館まで建設され、今では七宝古鎮は上海でも指折りの人気観光スポットに変貌した。

 しかし、その一方で、古く慣れ親しんだ暮らしは破壊され、人のつながりも、多くの文化の産物も消え去ってしまった。だからこそ、開発という光への憧憬の裏で、失ったものへの郷愁の念もまた、無意識に堆積されていったのだろう。

 古鎮ツーリズ厶は、中国各地で急速に進んだ都市開発と表裏一体の関係にある、と筆者は感じる。とりわけこの二十数年間、すさまじい都市開発を経験した上海では、その過程で朱家角、周庄、烏鎮、そして七宝といった近郊の古鎮が次々と再開発されていった。そして、「懐かしき中国の故郷」という像が、その土地に継承されてきたさまざまな慣習や伝統の保存とともに形成されていった。

 近代的な都市空間への憧れと驚きを抱く一方、急速な開発の陰で消え去っていく古い住宅や住民のつながり、暮らしに寄り添った市場、そして暮らしのアクセントでもあった路地裏が容赦なく破壊されていく現実を前に、いわば無意識に潜在していた故郷への郷愁と懐古という意識的な欲望の行き着く先が、古鎮だったのではないだろうか。この意味で古鎮ツーリズムと都市開発とはコインの裏表なのである。

 今の七宝鎮や塘栖古鎮の水路に、あのヘドロ臭はもうない。しかし、川べりに軒を並べる臭豆腐の店からは、あの独特で懐かしい匂いが川面を吹き抜ける風に乗って漂い続けている。絶え間なく繰り返し続いていく、中国社会の破壊と創造の漣のように。


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