2024年04月20日( 土 )

【凡学一生の優しい法律学】学術会議推薦無視事件(8)

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 自民党の下村博文政調会長は11月15日、岩手県の講演先で菅総理大臣の「学術会議推薦無視」について野党議員や会員が納得しないなら、首相が任命しない民間組織に変えたほうが良い旨の発言をした。

 この発言が反社会的勢力の恫喝よりひどい暴論であることをマスコミが指摘しないこと、その背景となるマスコミの理解力のなさに筆者は強い危機感を感じざるを得ない。

 この発言の背景には、下村氏個人の法的知識や理解力のなさのみでなく、マスコミの同程度の無知識、無能力がある。国民も無知、無能のままに事件が風化していくことになることを筆者は強く懸念しているため、このことがいかに文明基準の低いことであるかを説明したい。

1. 日本学術会議の法的地位

 日本学術会議は法律により設置が認められた時の政府・内閣とは直接の指揮・命令関係にない「独立の団体」である。加えて、内閣の所轄、内閣総理大臣の「学術会議の推薦に基づく任命」などの規定はあるが、その会員の法的職務の性質上、純然たる内閣の附属機関、内閣府の行政執行上の「特別の機関」という意味はもたない。

 日本学術会議は法律上の独立団体ではあるが、法人格を有しないため、講学上は「権利能力なき社団」と定義される。しかし、実態は法の規定に従い団体としての意思決定機関、行動様式を履践しているため、単に法人格がないということにすぎず、団体の実在はある。

 これをわかりやすい例でいえば、内縁関係も法的には正式の婚姻ではないが、一定の実態関係は婚姻と認められ、法的保護の対象となることと同じである。

2. 下村発言の重大性

 このような場合では、任命手続に関する条項についての解釈の相違による問題を理由に日本学術会議法そのものを廃止することが法令(憲法や法律)違反の問題を生じないか、という重大問題を含んでいる。

 これをわかりやすい例でいえば、会計検査院の検査が煩わしいため、内閣が会計検査院そのものを廃止できるか、ということである。内閣総理大臣もその任命にかかる内閣も国民主権者の代理人にすぎないため、その代理人が主権者の意思に反した勝手なことができるか、という問題である。

 国民の意思は選挙でしか表明できないため、内閣が学術会議法そのものを廃止した場合、与党・自民党には国民の支持があるか、という問題になる。下村氏がそれでも選挙で負けないと考えているのなら、これほど国民を馬鹿にした方法はない。

 しかし、問題は山積している。つまり、恫喝の意図であるため、下村氏は何も考えていないだろうが、任命された会員の任期いっぱいまでは少なくとも廃止しないとしても、「推薦無視」の6名の法的利益や学術会議の機能阻害の問題はまったく未解決である。

 下村氏はこの6名については推薦無視のままでよいという立場であれば、現在の紛争の解決にはまったく意味のない提言、つまり単なる恫喝であることは明白である。日本学術会議も団体としての存続が理不尽な理由で廃止されるのを座視することはなく、重大な法律問題であるため、究極的には裁判という事態になる。下村氏は裁判所まで馬鹿にしているということだ。

 法文の規定を無視した推薦無視が理不尽か、推薦無視を違法だと主張する方が理不尽かという問題であるが、この判断は中学生でも可能だろう。菅総理大臣は詭弁評論家であり弁護士の橋下徹氏の助け舟により、専権としての任命権があるかのごとき前提により、推薦無視の理由を任命および罷免の理由の問題にすり替えてしまい、「人事の秘密」ゆえに理由を開示しないという1点張りの答弁を繰り返している。

 「人事の秘密」が成立するのは学術会議が105名を推薦した段階であって、「人事の秘密」が2段階もある人事は、論理に反している。菅総理大臣は学術会議の推薦を明白に無視したのであり、その「推薦を無視した理由」は人事の秘密でも何でもない。なぜなら、菅総理大臣は6名がどのような理由で推薦されたかを知る由もなく、その当否を含めて判断することは不可能であるためだ。

 総理大臣は105名のすべての会員について任命に相応しいかどうかという専権としての判断権を有する、との解釈は「学術会議の推薦に基づき」という文言と完全に矛盾することも、中学生でも理解できる論理的判断である。

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