ぶらり美野島・昭和レトロのまちからワンルームのまちへ変貌中(3)
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博多のまちを南北に縦断する那珂川にかかるその橋を渡った先に、「昭和」のレッテルが糊付けされたまちがあるという。令和3年の正月が明けたある日、雪でモノクロに霞むそのまちを歩いてみた。
物語が交錯するまちかど
数字の組み合わせにすぎない地番に歴史や物語が絡み付くことで、その場所が何かしらの価値を帯びることがある。開発計画で利便性を上げることはできても、土地が紡ぐ物語性まで付与するのは難しい。マンションのチラシにいわゆる“マンションポエム”が欠かせないのは、物語という付加価値を後付けでも塗布したいという苦肉の策なのか。
吉田明美さんの実家は、美野島商店街から徒歩で10分ほど。桜並木の続く川岸に建つ、代々続く博多織職人の家で育った。祖父の死とともに跡取りがいなくなったため、2階建ての工場兼自宅は5人家族でも持て余すほど広い間取りに建替えられた。
50年以上、美野島商店街を「普段使い」してその変化を見てきた吉田さんは、美野島の空気感が好きだという。幼いころから通う総菜屋で揚げたてコロッケを買い、立ち食いしながら商店街を散策するのも、お転婆だった少女時代と同じだ。聖子ちゃんカットに憧れた少女は、所属したソフトボール部の決まりで前髪パッツンのおかっぱ頭で中高6年間を通した。高校生になると、当時全国的に流行したクレープ店に友人たちと入り浸るのが楽しくて仕方なかった。今は、そのころの店もかろうじて数軒残る程度。時代ごとに流行り廃りがあるため商店が入れ替わるのは当然だが、最近は店と店の隙間が長く空くことが増えてきたようにも感じる。
「絶品ですよ」とおすすめされた惣菜店のコロッケは、たしかにサクサクでホカホカのウマウマだった。吉田さんは今、仕事帰りに美野島商店街の八百屋で店主と他愛ない会話を交わしながらその日のお買い得野菜を吟味し、家族の顔を1人ずつ思い浮かべながら献立を考える時間が好きなのだという。「たいした幸せじゃあないけれど」と笑うが、パックに詰められていない野菜を買うその日常自体を「昭和」とありがたがる層がいるのもたしかだ。
周期的に訪れるレトロブームの影響や、今でいえば“映え”る写真をSNSに投稿するために、美野島を訪れる人も増えている。日本人のDNAに刻まれてでもいるのか、美野島商店街のあちらこちらに残る昭和の忘れ物は、それを初めて見るはずの若者たちにとっても郷愁を呼ぶ「懐かしい」風景のようだ。古い映画やテレビなどで観た昔の景色を無意識に探すことで懐かしさと誤認しているだけなのだが、それは言わずにおこう。
博多と天神のほぼ中間地点という地の利から、大規模な開発計画が持ち上がったこともあったのだろうか。美野島と住吉周辺を歩くと、大規模マンションの隣に古いアパートが軒を並べる風景に遭遇することがままある。ほこりだらけの「~荘」の看板がかかり、出入口が1つしかない下宿タイプの、いしいひさいちの漫画で大学生が住んでいそうな、あのアパートだ。どこかちぐはぐで居心地の悪い感覚。美野島や住吉の街並みはひとくくりに「昭和の香り」で片付けられがちだが、時代が移るに連れて分裂し、あるいは重なり合うまちの断層は確実に存在している。
(つづく)
【データ・マックス編集部】
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