ぶらり美野島・昭和レトロのまちからワンルームのまちへ変貌中(2)
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博多のまちを南北に縦断する那珂川にかかるその橋を渡った先に、「昭和」のレッテルが糊付けされたまちがあるという。令和3年の正月が明けたある日、雪でモノクロに霞むそのまちを歩いてみた。
まちを見つめる老舗食堂~空襲を生き延びて
美野島商店街で何と100年間にわたって通りの変遷を見つめてきたのが、商店街の4つ角に建つ「かどや食堂」。大正から昭和にかけて戦時中~戦後の混乱をくぐり抜け、高度成長期や平成のバブル経済の浮かれ騒ぎも見てきた歴史ある名店だ。聞けば、店舗のつくりは創業当時からほぼそのままで、大正時代の空気感をそのまま令和の時代まで受け継いでいる。
かどやは食堂とともに売店も兼ねている。食堂横に自家製パンなどを販売できるスペースを設けており、今では再現できる建具職人もいなくなったという年季の入った木枠の窓を開いて、「おばちゃん、パン1個!」とやるスタイルだ。今は冬期のため製造していないが、特製アイスキャンデーは遠方からそれを目当てに来店する客がいるほど有名で、美野島名物となっている。
各種口コミサイトをうかがってみれば、かどやで出される定食や丼モノの味が“間違いない”ことは折り紙つきのよう。ちょうどお昼どき。なかでも評判の高いカツ丼を注文してみる。客は自分1人だけ。創業者の親族だという女性に聞くと、平日の昼時はサラリーマン客などが多いが、リモートワークが増えているせいか、一昨年に比べて客数は3割から4割近く落ち込んでいるという。
テーブルは金具で床に固定されており、年季ものに見える丸い椅子は少しすり減ってはいるものの、鈍い茶色が重厚感を醸し出す。
「その椅子はね、大正時代にこの店を建てたときに、職人さんに作ってもらったの。大人のお尻の大きさに合わせて、わざわざ特注したらしいわ。今の人には小さいかもね」
そういえば天井も低くつくられているため、どこかミニチュアセットの中にいるような感覚にもなる。
「あなたが今座っているそこ、そうそこ。その下には防空壕があったのよ。ちょっと段差になっているでしょ」
福岡市は、第二次世界大戦末期の1945年6月19日から20日にかけて米軍による空襲を受け、かなり広範囲にわたる地域の建物を焼失している。天神から博多にかけての市街地が標的になったとされているが、するとこの店舗は火災をまぬがれたということか。
運ばれてきたカツ丼は、味噌汁も付いて490円。まさに昭和価格で、かなりの期間据え置かれているとお見受けした。カツを包む衣はどちらかといえば薄いものの、ホクホクとサクサクのちょうど中間。味が染み込んで適度な柔らかさ。歯ごたえもサクサク派の期待を裏切ることはない。湯気を立てるご飯の上にほどよく味付けされたトンカツが乗り、白米が適度に顔をのぞかせながら、トロトロの玉子がまんべんなく丼を覆っている。美野島に来てこれを食べなければ、どうかしているとしか思えない。
4代目店主の浜脇慶太郎さん(51)は、サラリーマン生活を経て2010年ごろに店を継ぎ、代々受け継がれた味を守ってきた。昨年末は31日まで店を開けていたという。おせち料理を毎年単品で作って店頭販売しており、遠くからやって来る常連客はキロ単位で購入していくのだという。
「お客さんは年々減ってきています。うちは家賃がかからず固定費を抑えられるので何とかやっていけていますが、商店街の顔ぶれはだいぶ入れ替わりましたね」
かつて商店だった場所には、若者向けのアパートが建つことが増えた。昭和レトロのまちからワンルームのまちへ。美野島はその姿を変えつつあるのかもしれない。
(つづく)
【データ・マックス編集部】
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