【八ッ場ダムを考える】群馬県は水没住民と どう向き合ってきたのか?(前)
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国直轄ダムの八ッ場ダムであるが、水没自治体である長野原町、その住民との交渉などを実質的に担ってきたのは、ダム受益者でもある群馬県だった。県は1993年、水没住民やダム周辺住民の生活再建や地域振興を目的に、出先機関である八ッ場ダム水源地域対策事務所を設置。現在も引き続き出先機関として業務を継続している。群馬県は、水没住民とどう向き合ってきたのか。同事務所に取材した。
八ッ場ダムはこれからが本番
――八ッ場ダムに対する県としての認識は?
八ッ場ダム水源地域対策事務所(以下、事務所) 利根川の上流域面積の約4分の1を占める吾妻川には、これまで、貯留施設が設置されていなかった。八ッ場ダムの完成により、利根川上流ダム群のなかで最大の集水面積(711.4㎢)を擁するダムが運用を開始したものであり、下流都県の治水・利水の両面で大きく貢献するものと期待している。
実際に「令和元年東日本台風」では、八ッ場ダムは試験湛水中だったことも幸いし、ダム地点の流入量のほぼ全量を貯め込み、利根川上流ダム群で合計約1億4,500万㎥の洪水を貯留し、治水基準点の八斗島地点において、約1mの水位低下をさせるなど、下流域の被害軽減に大きく貢献したところである。下流の県民から、またSNS上などでは、八ッ場ダムの効果を認めていただく声もあり、華々しいデビューになったと思っている。苦渋の選択によりダム建設を受け入れた地元の皆さんにとっても、「ホッ」と一安心する出来事と思われる一方で、生活再建がようやく本格スタートするに過ぎず、正にこれからが本番であると考えている。
新たな生活再建のスタートにあたり、地元の皆さんが将来に不安を感じることのないよう、県としても地元の皆さんに寄り添い、可能な限り生活再建の支援を行っていきたい。
国、県、町一体で、まちづくりを推進
――長野原町への県の対応は、どのようなものだったのか。
事務所 1952年、当時の建設省が八ッ場ダム建設計画を発表した当初、地元住民の方々は「首都圏の人のために故郷が水没する」ことに対し強い反対姿勢を示した。
その後、ダム容認派と反対派に分かれ、町を二分する事態に発展したが、80年に群馬県が長野原町に対して「生活再建案」を、また吾妻町(現・東吾妻町)に対して「生活振興案」を提示してダム事業が動き出したことから、県に対する期待は大きいと考えている。
対策事務所としては、水没住民の生活再建および水源地域の地域振興の各事業を円滑に推進するために、地元の方々との信頼関係を構築する必要があり、管理職は積極的に、夜間および週休日などに各地域で開催される「ダム対策委員会」「地域の伝統行事・祭礼」などに出席し、地元の方々と顔を合わせ、膝を交えて誠実に対応することにより信頼関係の構築に努めてきた。
――県はダムの受益者でもある。国、長野原町とのバランスをどうとってきたのか。
事務所 当事務所は、受益者との感覚はなく、一行政機関としてダム事業を進めること、いわゆる「八ッ場ダム」の建設にともない移転を余儀なくされた水没関係者やダム周辺の関係住民の生活再建と地域振興を推進することが使命であり、地元に寄り添って事業を実施してきた。
八ッ場ダムでは、水没5地区の集落の山側に代替地を造成して移転する「現地再建方式」(ずり上がり方式)を採用しており、生活再建事業は新たなまちづくりを行うものである。この実現のために、国・町・県が一体となった「まちづくりワ-キング」を設置し、130回を超える会議を開催することで、多くの課題などの解決を図りながら、今日まで事業を進めてきた。
(つづく)
【大石 恭正】
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