2024年05月16日( 木 )

連合(アライアンス)が中小企業の、さらには日本の文化・伝統の持続へ〜川邊事務所会長・川邊康晴氏に訊く(1)

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 「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が全会一致で採択された2015年9月の国連サミッ トから、今月でちょうど丸6年。そこに掲げられた17の「ゴール」および169の「ターゲット」、いわゆる「SDGs」(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)に沿って、各国では様々な取り組みが進んでいるようだ。

(聞き手:(株)データ・マックス 代表取締役 児玉 直)

   SDGsといえば、経済発展と環境保全の両立について真っ先に思い浮かべる人も多いだろう。実際、「持続可能な開発」という表現は、すでに80年代にいくつもの国際機関や団体が提起していた環境保全のキーワード。以後も、近代化による環境破壊がいかに人類の未来にとっての脅威であるかを人々に認識させ、行動変容を促すキャッチフレーズとして繰り返し用いられてきた。だが、「17のゴール」を一瞥してもわかる通り、今回のアジェンダにおけるそれは、貧困や差別、紛争といった、いまや先進各国でも深刻化している種々の社会問題も包括し、「個」と「全体」との関わりをさまざまなレベルで問い直す概念である。そこには、人的・物的あらゆる次元で資源を蕩尽しながら、各々が自分の豊かさを追求してきた結果、かえって豊かさから遠ざかり、いつ破局を迎えてもおかしくない不幸な分断社会を作り上げてしまったとの認識が反映されている。

 大規模な水害や森林火災、猛暑あるいは寒波といった、世界中で頻発する最近の異常気象、なにより昨年からのコロナ禍は、社会が「持続」することそれ自体がいかに不断の努力を要するものか、痛みをもって我々に思い知らせた。しかるに、人々が目先の利益に狂奔し、弱肉強食の殺伐な光景が繰り広げられてきたこの数十年、経営資源の占有ではなく、共有・協働を、利益の一人占めではなく、分かち合いを説き、そのような企業活動こそが企業と社会の「持続性」をもたらすことを実践と成功のうちに示し続けてきた、類いまれなる経営者が福岡にいる。企業間の戦略的パートナーシップの仲介事業を展開する「川邊事務所」会長、川邊康晴氏である。

一芸に秀でた者同士の連合軍で生き残る

川邊 康晴 氏

 川邊氏は1935年、福岡市博多区・川端商店街の陶器商の家に生まれた。58年に九州大学法学部を卒業後、(株)西日本相互銀行(現・西日本シティ銀行)に入行し、福岡県内の支店長などを歴任、92年には代表取締役専務となる。98年、40年間の銀行マン人生に別れを告げ、同行傘下の経営コンサルタント会社(株)西銀経営情報サービス(86年設立、現・(株)NCBリサーチ&コンサルティング)に移籍。代表取締役社長、次いで代表取締役会長として、同社の発展に大きく貢献した。すなわち、旧来の経営相談所的な事業を大転換、当時の日本ではほとんど認知されていなかった、企業間の提携=「アライアンス」の仲立ちをする情報仲介業者(インフォメディアリー)として、わずか3年で経常利益1億円を叩き出す企業へ押し上げたのだ。さらに、同社定年退職後の2002年10月、67歳にして個人事務所「川邊事務所」を設立。以来、「アライアンス型経営」で数多くの中小企業の経営力強化を支援し続けている。

 「アライアンス型経営」とは、川邊氏自身の定義によれば「経営のスピードを上げて目標を達成するために、自社の中核となる強み、すなわちコア・コンピタンスに経営資源を集中し、自社にない経営資源は外部と提携関係を構築(アライアンス)することで補う。そして、そこで得た利益はアライアンスに加わった企業や人が分かち合うという戦略」(川邊康晴『「三方一両得」の経営 アライアンス・パワー』梓書院、P17-18)。「組織のなかに工場、倉庫、開発、企画、営業、経理と全部ひとまとめに揃っている」大企業のように、「自社だけでたいていのことには対応できる」わけではない中小企業も、「お互いに手を組んで連合軍」、それも「弱者連合ではない。得意技を持つ者同士、一芸に秀でた者同士の連合軍」(P73)を形成することで、変転する時代の要請にしかるべく応え、事業を継続・発展させることができる。そうして「消費者も、提携先も、自分にもメリットがある『三方一両得』の関係ができあがる」(P18)。

 つまり、「お互いの『モノ(土地や建物)』、『人(バーチャル社員)』、『顧客』、『情報・技術』、『ブランド』、場合によっては『金』までを共有し、コア・コンピタンス連合軍をつくる」ことで生き残るという、「経営資源の共有活用型経営」(P121)なのである。こんにちのSDGsのコンセプトとも同期する、まさに「二一世紀型企業への処方箋」(「はじめに」)がここにある。データ・マックスは川邊氏のこうした事業に賛同し、これまでもたびたびインタビューを行ってきたが、日本社会・日本経済が大きな岐路に立っているいま、同氏が60年以上にわたるビジネス人生において、どのような経緯でかくも先駆的な理念に至り、どのようにして実践に移していったのか、改めて話をうかがった。
 

(つづく)

【文・構成:黒川 晶】

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