2022年08月10日( 水 )
by データ・マックス

「失われた姿(エイドス)を求めて」 国境も人種も性別も超える創作の世界

人形師 マリア=ヘスス・デプラダ=ヴィセンテ 氏

学ぶことで誰もが芸術家になれる

マリア=ヘスス・デプラダ=ヴィセンテ 氏
マリア=ヘスス・デプラダ=ヴィセンテ 氏

 一般的な人形制作では、各々のパーツはそれを専門とする職人が各々手がけ、それらが集められて一体の人形となる。しかし、デプラダ氏は一体のすべてを自らの手でつくる。それこそ「桐粉からのボディーづくり、胡粉による顔塗り、絹糸による結髪、そして小物に至るまで」(同氏創作人形展パンフレットより、2021年11月13日〜21日於イタリア会館・福岡SPAZIO)。浮世絵に着想を得た氏の人形は繊細で美しく、見る者を深い思索の海へいざなう。

 氏が日本人形づくりを学び始めたのは40年前のこと。販売店に並ぶ種類もさまざまな日本人形に心奪われ、瞬時に自分もつくりたいと感じた。だが、門を叩いた人形作家養成学校のトップらは、1体のすべてを自ら手がけたいという氏の考えを一蹴する。そこには、人形作家の、それも日本人作家の慣習をそのまま踏襲してつくられた作品がすなわち日本人形であるといったような、硬直した芸術観があったようだ。

 「この世に生まれながらの芸術家はいない。学ぶことで誰もが芸術家になれる。国籍も人種もジェンダーも、学びに介入することではない」(同氏)。なぜなら、氏にとって創作とは芭蕉の「古人の跡を追うな、古人が求めたところを求めよ」の実践であり、「ヒュレー(物質的素材)」に内在しそれに性質を付与するところの「エイドス(形相)」、つまり「あるべき姿」に迫ろうとする行為だからである。

マリア=ヘスス・デプラダ=ヴィセンテ 氏作 人形

「真の姿」が現れ出るまで洞察を重ねよ

マリア=ヘスス・デプラダ=ヴィセンテ 氏作 人形

 18歳のときにスペインから亡命、以後、フランス、ペルー、アルゼンチン、日本と世界をめぐったデプラダ氏。「『亡命』という経験は確かに厄介なものですが、今思えば、あれは私にとって、フランコ独裁政治体制から逃れる好機でした。私はどの集団にも属さない。どんなことにでも挑戦することができるはず」。日本人形の「創作」は、氏の人生におけるそうした「挑戦」の1つとなった。経済、文化、あらゆる領域で沈滞感にさいなまれる今の日本社会において、氏の次の言葉は希望の光を投げかけるものだ。

 「創作すなわちクリエーションというものは、人間の場合は『倣う』ことから始まります。倣えば倣うほどミューズ(芸術的霊感)が容易に現れ出てくるようになり、ついに創作したものに宿るようになるのでしょう。ただし、芭蕉の言うところの『古人の跡を追う』こと、つまり『模倣』ばかりを求めれば、歩みはほどなく止まり『頽廃』となる。『模倣』はあくまでも『跡を追う』ための目印であって、目的ではないことを忘れてはならないと思います」。

 「自分の中にある自分の文化によってつくり上げられた固定観念から自由になり、相手の本当の姿が現れ出るまでひたすら洞察を続けることが重要」と語るデプラダ氏。「洞察」を通じて現れ出た「エイドス」は、氏の手になる人形1体1体から美しく輝き出る。


<プロフィール>
マリア=ヘスス・デプラダ=ヴィセンテ

スペイン出身。18歳でフランコ独裁下のスペインからフランスに亡命し、22歳のときに初来日。以降、ペルーやアルゼンチンを経てパリで生活。パリ国立東洋言語文化学院にて日本語日本文学の学士号を取得した。1995年に再来日し、現在は佐賀県唐津市在住。福岡大学などで非常勤講師も務める。文学博士。著書に『日本文学の本質と運命』『ゆらぎとずれの日本文学史』(共著)など。

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