2024年04月19日( 金 )

日大の「闇の奥」〜大学を蝕む3つの病(4)

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ライター 黒川 晶

公教育の担い手かつ経営者たる者の「良識」頼み

 田中英寿氏は所得税法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された4日後の12月3日、日大から理事職を解任された。他の理事も全員辞任し、10日には加藤直人学長兼新理事長が日大事業部の「清算」に言及するなど、ここにおいて「田中機関」は崩壊。13年の長きにわたって君臨してきた田中氏は、こうして学内外からの怨嗟の声を浴びながら、恥辱にまみれて母校を追われることになった。

土俵 イメージ    1969年の卒業と同時に同大職員として就職して以来、相撲部監督(83年)、理事(99年)、常務理事(2002年)、理事長(08年)と、学内で出世の階梯を上り詰めていった同氏。学生時代に名門相撲部の雄として活躍するも、学生横綱の地位も角界入りも1年後輩の天才力士・輪島に奪われたという経緯もあってか、「俺は日大で横綱になる」と公言して憚らなかったという。実際、各種報道が浮き彫りにしてきた氏の「綱取り」への執着心は凄まじい。各運動部の「推薦入学枠」の不透明な運用、総長選で自分が支持する候補が選ばれるための根回し、常務理事就任祝賀会にゼネコン幹部らを列席させるなどといった力の誇示、全国の校友会を通じた支持基盤固め…。そこでは、「実弾」(隠語的用法のそれのみならず、04年の総長選では対抗馬の支援者に薬莢入りの封筒が届くなど「本物の」それすら)も飛び交ったとの噂さえつきまとってきた。いずれにせよ、念願の「日大の横綱」の地位が、角界に数々のスター力士を送り出してきたその指導力だけでなく、同大の社会的信用を利用したビジネスからの「上がり」によっても確立されたとすれば、それこそ「他人の褌で相撲を取った」のだと揶揄されても文句はいえまい。

 そもそも大学は土俵ではない。経営を担う職務に就いたからといって、自分や親族が創立したわけでもない大学を、教育とは関係のない個人的野心を実現するための舞台のように見做していたとは勘違いにも程がある。創立者でも私してはならないのが大学。私人の寄付財産などにより設立され、それゆえ運営の自律性が認められているとはいえ、公教育の一翼を担う=「公の性質」(教育基本法第6条)を有する点では、国公立大学と何ら変わりはないからである。

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 戦後、旧来の「財団法人」形式に代わって「学校法人」という特別の法人制度を創設し、一般の民法法人とは異なる法規制の下に置いたのも、また、憲法89条が「公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業」に対して「公金その他の公の財産」を供することを禁じているにもかかわらず、これに対する助成金交付制度が設けられたのも、これが「公共性を高める」(私立学校法第1条)ことを期待されてのことだった。そして、文科省も『学制百年史』で指摘している通り、私学の「自律性」と「公共性」との整合を担保するものはただ1つ、「理事等関係者の良識と自覚」であった。

 歯止めのかからない少子化に加え、日本経済そのものが縮小再生産の負のスパイラルに嵌りこんでしまった昨今、大学も国公私立問わず経営力強化の自助努力を強く要請されるようになった。同時に、民間企業に範を取り、理事長や学長の権限強化を通じた「トップダウンの機動力」が称揚されるようになったが、これが大学ガバナンスの担い手らに「良識と自覚」を見失わせてきたことは間違いない。大学には「株主総会もなく、株価下落する心配もない。高額の授業料を負担している学生や保護者は株主に近い存在のはずだが、学内にいる学生には学長を選任・解任する権限を認めていない。一方、予算を握る政府・文科省の意向は絶えず忖度することを迫られる。つまりここには民間企業の厳しさもなければ、国からの自律性もない」(駒込武編『「私物化」される国公立大学』、岩波ブックレット、2021年、p.31)からである。

 そして、渡辺孝氏も指摘する通り、そうした事態を引き起こした「私学の経営悪化問題等の最大の要因は、高等教育市場での『需給バランス』が大きく崩れつつあること」にあり、それも元を糺せば文部省/文科省の無責任に収斂する。「私立大学の『自主性・自律性』を尊重する」の美名のもと、一部の有力政治家や財界人の要求に応ずるかたちで大学設置の規制を緩和し続け、天下りポストを確保してきた同省。そうして増えすぎた大学が経営環境を悪化させても、自然淘汰に任せれば良いといわんばかりの態度を示してきたのであるから、公教育を破壊しつつあるのは文科省自身であると評しても過言ではないのである。

(了)

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