2024年04月29日( 月 )

熊本産アサリ、輸入牛の不当表示 繰り返される食品偽装(2)

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物流と消費が変わった

八百屋さん イメージ    高度成長期以前の小売業界はほとんどが個人商店で、農業も個人営農だった。魚屋、肉屋、青果商がその主なもので、青果店の一部が加工食品にその売り場を割いていた。個人営業というのは、たとえ従業員を雇っていてもごく少人数だから、人件費という最大の営業コストも小さい。加工食品は別として、日常消費の生鮮食品はほぼすべて地元中心の調達だ。我が国のエンゲル係数は長い間60%を超えていたと推測される。現金収入の少ない地方でのそれはこの数値を大きく上回っていたはずだ。戦後のそれも60%超。50%を切るまで30年もかかっている。

 暮らしが現代化するまで消費者には産地や日付という認識が希薄だった。店で売っている商品はすべて地元産であり、賞味期限は自分の鼻と目と舌で確認した。こんな環境に偽装が入り込む余地はない。しかし、高度成長期に差しかかると、消費構造が一変する。収入が増え、食費に回すコストに余裕ができ、食に関するレポートが新聞、雑誌、テレビにあふれるようになり、消費者は珍しさや豊かさを求めるようになる。

 そんな変化と時を同じくして、小売の先見者たちが、コンサルタントに導かれアメリカにわたり、スーパーマーケットが誕生する。「スーと出てパッと消える」と個人店主から揶揄されたスーパーだったが、揶揄する者たちをあっという間に駆逐した。

 スーパーマーケット間の競争はより安く、より豊かにという消費者が求める価格、品質の実現競争でもある。安く売るためには多くを売って、仕入れのコストを下げなければならない。安いものがあれば、どこからでも調達するのが大手小売業の基本だ。

 消費者の要望も小売業者の物流や調達先の変化を促進する。GDP世界第二位に成長すると飽食の時代が始まった。コールドチェーンという鎖につながれて国内産地からだけでなく世界中からモノが集まり、その増加とともに産地偽装や食品事故といわれる事例が発生する。もちろん、国産品も同様な事例が少なくなかった。しかし、日本には国産信仰という「一神教」が存在する。国産なら、安心、安全であるというかたくなな信仰だ。

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 2000年にJAS法が改正され、生鮮水産物の品質表示が厳しくなった直後、頻発した中国産を中心に輸入食品の事件、事故が報道されるたびに、それは残像のように我が国の消費者の記憶に刻まれた。一方、国産品の場合、同じことが起きてもなぜかいつの間にか忘れ去られる。残留農薬も同じだ。アメリカの農産物には大量の農薬が使われ、我が国のそれは極めて少ないと思っている消費者は少なくない。しかし、本当にそうだろうか?日本は気候が温暖で雨が多い。一方、農業州であるカルフォルニアは地中海型の気候で日本と比べると冷涼で乾燥している。その北に隣接するイチゴの産地ワシントン州は西岸海洋型でさらに冷涼である。両者の環境で発生するいわゆる害虫はどちらが多いのだろう。害虫が多いのはいうまでもなく温暖湿潤気候である日本のほうだ。

 ちなみに、日本は国連食糧農業機関によると韓国、中国と農薬の単位面積あたり最大の使用国だ。その量はアメリカの7倍ともいわれる。しかし、消費者のほとんどはそんなことに考えがおよばない。

 面白い逸話がある。日本の農業団体がT社のバナナの皮部分の残留農薬を問題にしようとしたところ、「それなら国産イチゴの農薬問題を提起する」とT社から反撃され、シュンとなったというものだ。(備考=過去に輸入バナナの可食部分から農薬が検出されたことはない)

(つづく)

【神戸 彲】

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