2024年04月20日( 土 )

かしいかえん跡は何ができる?跡地利用考察(前)

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戦時中は農地転用された、福岡市内唯一の遊園地

香椎花園のシンボルだった観覧車やジェットコースター
香椎花園のシンボルだった観覧車やジェットコースター

 香椎花園は、1939年4月に博多湾鉄道汽船(株)(西鉄の前身の1つ)によって開園された「香椎チューリップ園」がその前身となる。

 香椎チューリップ園の開園にあたっては、博多湾鉄道汽船の当時の社長であった4代目太田清蔵氏が、欧州に外遊した折に強く印象に残った西洋式公園をベースに、美しく咲くチューリップの花園をつくることを、博多湾鉄道汽船・貝塚線の乗客誘致策として提案。38年4月から九州勧業(株)とともに片男佐(現在の香椎花園一帯の当時の地名)の約3万坪の造園工事を行い、翌39年4月に開園に漕ぎ着けた。開園当時は電車が満員で歩いて見に来る人も多く、乗客誘致の目論みは大成功となったようだ。なお、同時期にその隣接地では、大日本職業野球連盟が発足した機会に合わせて野球場「香椎球場」も開場している。

 40年には今でいうネーミングライツのようなかたちで香椎チューリップ園が、福岡日日新聞(現・(株)西日本新聞社)の名前を冠した「福日チューリップ園」へと改称。41年4月には、博多湾鉄道汽船宮地嶽線の「福日香椎園前仮停留場」(現在の西鉄貝塚線・香椎花園前駅)が開業した。こうして最寄り駅の開業も相まって、賑わいを見せていた同園だが、その後の戦争の激化にともない、42年に一旦閉園。同年、戦時体制下で電鉄5社(九州軌道、九州鉄道、福博電車、筑前参宮鉄道、博多湾鉄道汽船)の合併により西日本鉄道(株)が設立されると、戦時下の食料増産のために田んぼや芋畑へ転用されたほか、山手側は牧場として牛舎を建て、牛を育てるなど、(株)糸島農園(西鉄資本100%)の管理となった。

 戦後は農地と見なされ、農地法に基づき不在地主として接収されそうになったものの、香椎町議会などの尽力により、西鉄社長・野中春三氏(当時)によるチューリップ園の再開および遊園地化の覚書を香椎町当局と交換して、農地法除外地となった。こうして用地が確保されたことで、香椎花園の基礎ができたことになる。48年に開催された福岡国体の際は、同地にバレーボールの会場が設置され、そのときに福日香椎園前仮停留場は「運動場前駅」として正式な駅に昇格した。

 なお、54年2月に大リーガーのジョー・ディマジオが、当時の妻であったマリリン・モンローとともに新婚旅行の名目で福岡を訪れた際に、香椎球場で日本のプロ野球選手に指導を行ったという。このとき、マリリン・モンローはジョー・ディマジオとは別行動で香椎球場には訪れず、西戸崎の米軍基地に軍人への慰問に行ったとされている。

 その後、チューリップやバラ、花菖蒲などを主体にした花園の造園整備が進み、大温室や展望台、風車台、茅葺き東屋風小屋、休憩処、食堂などの準備が整ったことで、56年4月に「西鉄香椎花園」として改めて開園。翌57年5月には運動場前駅も「香椎花園前駅」へと改称された。60年12月には文部省(現・文部科学省)より「博物館相当施設」に指定。63年3月には初の本格遊具・ティーカップ、64年1月に観覧車、68年3月にジェットコースター、73年3月には当時西日本一の「大観覧車」が新設され、次第に遊園地としての設備が整っていった。折しも64年の東京オリンピック開催のころは日本経済が上向きで、香椎花園の入園者数も増加。ジェットコースターや大観覧車などの大型遊戯施設の前には長蛇の列ができ、四季折々の花の季節には園内が大混雑するほどの盛況ぶりを見せていた。なお、前出の香椎球場は70年代後半には廃止され、香椎花園の敷地に組み込まれたようだ。83年7月にはレジャープールが新設され、ピークとなる86年には年間約57万人の入場者数を記録した。

西鉄香椎花園前駅
西鉄香椎花園前駅

 しかし、その後はレジャー需要の多様化や少子化により、近年の来園者数は減少傾向で推移。経営改善策として、09年3月には「かしいかえん シルバニアガーデン」と改称し、西日本初となるシルバニアファミリーの世界をテーマにした遊園地への大型リニューアルや、17年3月のパークゴルフ場・遊具の新設などのテコ入れを行ってきたが、抜本的な改善には至らなかった。

 そして西鉄は、施設の老朽化による今後の設備維持更新や、コロナ禍によるさらなる利用者の減少などを理由として、21年3月に「21年12月30日をもって、香椎花園の営業を終了し、閉園する」旨を発表。こうして、市民をはじめ多くの人々から愛された福岡市内唯一の遊園地・香椎花園は、惜しまれつつ閉園を迎えた。

【坂田 憲治】

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