2024年02月26日( 月 )

【論考】西欧に対する憎悪と憧憬「ロシア人こそが人類を救う」

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

ロシア国旗    ここでは、プーチン率いるロシアのウクライナ侵攻の背後にある文化問題に目を向けてみたい。

 まず、ウクライナがNATOを選択したことについて。これは文化的にいえばヨーロッパないし欧米文化を選択したということだ。ウクライナ人もロシア人も一見するとヨーロッパ人だが、実はスラブ人である。ロシア語もポーランド語もスラブ語派に属し、ウクライナ人はロシア語を話しているのだから、ロシア側から見れば、ウクライナはロシアの属国、あるいは子分ということになるであろう。なのに、欧米を選ぶとは何ごとか?「俺たちを裏切るな」、そういう気持ちだろう。

 ウクライナ人のなかにはロシア贔屓もいるし、ロシア嫌いも多いにちがいない。独立を求める人たちにとっては、万事につけ親分ぶるロシアは我慢ならないが、自分たちの文化の源流がスラブであるならば、ロシア的DNAが彼らに深く刻まれていることは、これも間違いないことである。

 20世紀の終わりにソ連が崩壊し、ウクライナがロシアから独立した時点で、すでにこの国はヨーロッパを選択していたといってよい。ところが、プーチンのロシアは大ロシア主義=汎スラブ主義の夢、かつてのロシア帝国の夢から覚めないでいるか、あるいは覚めていながらその夢を復活させたいと強く願っているようだ。そういう時代錯誤ともいえる願望が、今回の侵攻にも表れている。

 ロシアはピョートル大帝によるヨーロッパ化によって近代化を進めてきた。その点で、日本と共通する面がある。戦前戦後の日本に最も影響力のある海外文学といえばロシア文学だったというのも、そうした事情によるのである。もっとも、日本は日本を負かした強国であるアメリカの側についた。と同時に、心情的にもロシアから離れた。

 このように言っても、多くの日本人はロシア人をヨーロッパ人と思い込んでいるので、どうしてそこまで反欧米的になるのか理解しづらい。しかし、ロシアは19世紀にはフランスのナポレオン軍に侵攻され、20世紀にはヒトラーのドイツ軍に侵攻され、多大な犠牲を払ったのである。西欧世界そのものに憎悪を抱いていると言っても大きな間違いではなかろう。しかも、その西欧は彼らにとって永遠のモデルなのだから、問題は超複雑である。ロシアという大国の自己矛盾がいかに深いことか。

 ロシアは中世にはモンゴル帝国の支配下にあり、アジア的要素も植え付けられている。ミハイル・ゲラーのロシア史には、のっけに「我らはスキタイの末裔なり」と書かれており、スキタイとは古代のイラン系民族であるから、ロシア人には自分らはヨーロッパから学びはしても、どうあってもヨーロッパ人にはなれないという意識があるようだ。ロシア人はよくいえばヨーロッパとアジアを統合したユーラシア人であるが、自己分裂が激しく、その統合がなかなかできずにいるという、厄介な民族なのである。

 九州大学に留学していたあるロシア人に尋ねたことがある。「君は自分をヨーロッパ人だと思う?それともアジア人に親近感を感じる?」すると彼、こう言った、「僕はロシア人です」。つまり、ヨーロッパでもアジアでもなく、その両方であるのがロシアということなのだ。そういう民族が得手して自分たちこそ人類を代表する存在だと思いがちになるのは不思議ではない。かの文豪ドストエフスキーも、「ロシア人こそは人類を救える」と信じていた。

 それにしても、プーチンに代表される現代ロシアは大日本帝国を思い出させる。大日本帝国のアジア侵攻は汎アジア主義によって推し進められ、それは西欧の帝国主義からアジアを救うという大義名分をもっていた。プーチンにも、ロシアがウクライナを欧米の悪から救うのだという思いがあるのではないか。無論、これはとんでもない思い上がりであり、時代錯誤としかいえないが、それがいえるのは、日本がその段階を脱したからにほかならないと思われる。日本にはもはや帝国願望はなくなったといえそうだ。

 つまり、文化史的にみて現在のロシアの動向は理解できないわけではないが、他者の意思を認めない点で到底承認できないということだ。アジアから欧米の帝国主義を払拭したいと願う習近平の大中華主義を承認できないのと同じ理由で、承認できないのである。地球全体がコロナウイルスと戦っているときに、そんな帝国の夢にしがみついてどうするのだ、そう言いたい。

 最後になるが、ウクライナより早くにバルト三国がNATOを選択していることに目を向けたい。ウクライナもバルト三国もかつてはユダヤ人が多く、彼らがロシア人から迫害された歴史を考えると、これらの国々がロシアから遠ざかりたい気持ちがわかる。ウクライナやバルト三国のユダヤ人の多くはすでに南北アメリカに移住している。今回の問題を考える際、こうしたことも無視できないように思われる。


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
大嶋 仁  1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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