2024年04月16日( 火 )

【福岡・ベイエリア】きっかけ次第では“化ける”か(前)

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人・物を世界とつなぐ 国際港・博多港へ

 明治期に入ると福岡・博多の商圏的基盤が整い始め、1883(明治16)年に博多港は、下関港(山口)や厳原港(長崎・対馬)とともに、一般開港外の対朝鮮の特別貿易港に指定。また、博多築港計画が進められ、89年の福岡市の市制施行とともに、米・麦・麦粉・石炭・硫黄の5品目に限定された特別輸出港の指定も受けた。

 博多港が開港指定され、近代的な国際貿易港としてのスタートを切ったのは、99年のこと。その後、国を中心に港の本格的な整備が進められていった。明治中期には全長360m・幅7.2mの大規模な木造桟橋が完成したほか、1927(昭和2)年には博多港は第2種重要港湾に指定され、中央ふ頭や須崎ふ頭、西公園下といった基部が埋め立て造成。岸壁や防波堤も整備されて次第に港が形づくられ、39(昭和14)年には第1種重要港湾に指定された。

 だが、太平洋戦争末期の45年6月に起こった福岡大空襲で、中心市街地と同様に博多港も罹災。博多湾内には機雷が投下される事態となった。

 終戦後の45年10月、博多港は引揚援護港に指定され、中央ふ頭が引揚者の上陸場所となった。このとき迎え入れた海外引揚者は約139万人であり、また同時に約50万人が出国したとされている。47年10月には連合軍総司令部から改めて貿易港の指定を受け、その2年後には博多湾内に投下されていた機雷をすべて掃海。港としての機能を復活させた。その後、50年に制定された港湾法により、それまでは国の造営物であるとの位置づけだった港を地方に委ねられることになり、51年には博多港を重要港湾に指定。翌52年には福岡市が博多港の港湾管理者に指定された。ここから近代港湾としての本格的な整備に向けて、初めて長期計画が策定されることになった。

 60年に福岡市が初めて策定した博多港の港湾計画では、その基本方針として「商港として整備するだけでなく、工業港としての発展をめざす」と掲げられた。当時の計画図では、当面の目標計画だけでなく長期的な構想も付記。博多湾の中央部から東部にかけてのほとんどを埋め立て、臨海工業地帯を造成するという壮大な構想が示されていた。

 64年には博多ふ頭において、遊園地や展望温泉などを備えた民間のレジャー施設「博多パラダイス」が開業。今も博多港のシンボルとして親しまれている「博多ポートタワー」は、このときつくられたものだ。なお、博多パラダイスは博多プレイランドへと改称された後、経営不振により74年には閉鎖された。

 その後、博多港では須崎ふ頭や箱崎ふ頭での大々的な整備が進行。とくに箱崎ふ頭のすぐそばには鉄道の貨物基地も整備され、海上輸送から陸上輸送につなぐ仕組みが整った。78年には、今の博多港の原型となる博多港港湾計画が策定。だが、このときの計画では現在のアイランドシティの姿はなく、和白~香椎エリアから陸続きで臨海部を埋め立てて拡張する計画となっていた。

博多港の埋め立て変遷
博多港の埋め立て変遷

 81年にはシーサイドももち(地行・百道)の約140haと、小戸・姪浜の約110haの2カ所同時埋立事業がスタートし、88年ごろまでには埋め立てが完了した。89年には「アジア太平洋博覧会」(愛称:よかトピア)が開催。その跡地はその後、「シーサイドももち地区」として、高級住宅街やIT企業が集積し、福岡タワーやドーム球場を擁する福岡の先駆的なエリアへと生まれ変わった。

 一方で、港湾機能の整備―とくにコンテナ貨物の増加から博多港のコンテナ対応が急務となり、約140haの香椎パークポートの埋め立てを進めていった。後背地に香椎浜という住宅地が接していたため、間に大規模な緑地を配置して整備が進められ、94年に供用開始。博多港としてコンテナ対応が可能になった。

 また、かつては陸続きで臨海部を埋め立てるかたちで検討されていた和白~香椎エリアでは、環境問題や市民からの反対運動を受けて、89年に干潟の埋め立てを白紙に。陸続きの埋め立てから人工島形式へと港湾計画が変更された。それが「アイランドシティ計画」で、その広さは約401haと能古島(約395ha)と同程度になる。94年7月に埋め立て工事が着工し、現在もまだ整備が続けられている。

 なお、博多港は90年に特定重要港湾(現・国際拠点港湾)に昇格し、国際旅客船が就航するようになった。また、「ポートルネッサンス計画」と銘打って博多ふ頭、中央ふ頭を再開発することになり、91年に博多ふ頭で複合施設「ベイサイドプレイス博多埠頭」がオープンしたほか、93年には中央ふ頭で「博多港国際ターミナル」がオープン。95年には中枢国際港湾に指定された。

 その後、2015年には「中央ふ頭クルーズセンター」が供用開始。博多港は今なお、物流および人流をアジア・世界とつなぐ国際港として、福岡の発展に貢献し続けている。

【坂田 憲治/代 源太朗】

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