ワールドカップ・カタール大会~日本チームの健闘

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

サッカー イメージ    成田からカタールのドーハ空港に着いたのは今から一ヶ月近く前のことである。空港はこれから開催されるW杯で盛り上がっていた。その後、スペインに着いてからは毎日テレビでW杯を観戦(スペインとカタールの時差はわずか2時間で、試合はスペイン時間の午後4時と8時に開始される)。以下、日本チームのすばらしい活躍を振り返ってみたい。

 日本を出る直前、福岡でサッカーに詳しい知人と話したとき、その人はこう言っていた。「日本チームは結構強いんです。でも、今回に限っては予選リーグで一勝できれば御の字です。なにしろ、とんでもない組み合わせなんですから。」

 なるほど、組み合わせ表を見ると、日本はドイツとスペインという途轍もないチームと同じ組である。たとえコスタリカに勝てたとしても(それだって覚束ないわけだが)、到底この2つには勝てそうもない。おそらく、そう思った日本人は多いだろう。

 さて、日本が初登場した11月23日、相手は強豪ドイツだった。こりゃどうなることかと思って見ていると、驚いたのは日本選手間の相互連絡のよさであった。1人ひとりが然るべき位置に立っており、ボールをきちんと回している。しかも、表情がリラックスして見えた。

 これを見ていて思い出したのが、当時日本にいたスペインのある新聞記者の言葉である。確か2006年のW杯ドイツ大会の直後、彼は率直にこう言った。「日本のサッカーは物語がないね。勝つか負けるかは別にして、サッカーは物語がなければダメなんだよ。今回、スペインは優勝までは行かなかったけど、試合運びに物語があった。だから、僕としては満足している。その点、日本サッカーはまだまだサッカーになっていないね。」

 その時以来、彼がいう「物語」(ナラティブ)という言葉を考えた。それが、カタールでの日本チームの試合運びを見て、「なるほど、これなんだ」と思い出されたのである。

 日本は最終的にはクロアチアにPK戦で敗れたかもしれないが、そこには「物語」があった。だから、日本サッカーというものを世界に示すことができたのである。これは何よりも大きな収穫ではなかったか。

 国際大会でのサッカーの「物語」は一貫性ある作戦がなくては生まれない。それは、その国の特質を生かしたうえで初めて可能となるものである。そこには、サッカーについての、勝負というものについての見識、あるいは世界観がなくては生まれない。今回の森保監督の采配にはそれが表れており、それを選手も感じたはずで、結果、彼らの動きにある種の精神的安定が感じられたのである。日本チームとして大変な進歩であったと思われる。

 あるチームが試合で物語を描けるには、個々の選手の技量が質的に高くなくてはならず、技量の高さから来る精神的余裕がなくてはならないことはたしかだ。そうでないと、選手間の連絡が滞り、物語にならない。今回の日本チームにはその意味での技量が各選手に備わっており、しかも、ヨーロッパでの試合経験が豊富な選手が多かったことが大きかったと思う。

 サッカー先進国での試合経験が豊富であることが何の役に立つのかといえば、技術の向上以上に、サッカーという物語を読み取る力を向上させることに役立つ。日本選手はピッチに立っても慌てることが少なかったというのも、相手チームのサッカーを読み取る力が相当なレベルに達していたからなのである。どのような勝負事もそうだが、相手を読んで、自分の物語に相手を引き込むことが勝利への道である。日本チームはそれができるようになっており、相手がブラジルだろうと、アルゼンチンだろうと、善戦できる基礎ができたと思えるのだ。

 要するに、今回のカタール大会によって、日本チームはようやく世界のサッカーに己を示せるようになったということだ。これこそは、本当に称賛に値することなのである。だからといって、これで十分ということではもちろんない。これからが、ほんとうの本番なのである。

 日本チームが「物語」を示した以上、世界各国はもう日本を弱小集団とは思わなくなるだろう。日本の「物語」を分析して勝負を挑むだろう。そうなれば、日本としては相手国の物語分析を踏まえて、より高次の物語を構築しなくてならない。今回のドイツやスペインが日本に負けたのは、彼らにそうした物語分析が足りなかったためである。日本も、これからはもっと勉強しなくてはならない。

 幸いにして、日本チームの若者たちはいずれもが勉強熱心なようである。「まだ足りない、もっと先に進みたい」という意欲が彼らには感じられる。これは大きな救いであり、おそらくそこに希望がある。

 最後になるが、いま日本から離れたスペインにいて感じるのは、以下のことだ。「日本チームの各選手の勉学意欲こそ、国民全体がこれから持つべきものではないだろうか。日本人はどのような他者からも謙虚に学び、世界を読み取る力を向上させねばならない」と。


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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