2024年05月13日( 月 )

追憶「幸福な街」、樋井川へのそぞろ歩き

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望郷の福岡

 1人で街をほっつき歩いているとき、とくに何の用事もなしに歩いているとき、通勤ではないとき、それに土日ではないとき…。週末というのは、何かと休日をこなそうとして気が焦ってしまう。そんな予定された時間ではなくて、自分のタイミングで都市を噛み締めるのなら、やはり平日のどこか。

    私にとって、そういう風景として思い出されるのは、福岡市地下鉄七隈線・茶山駅から田島(城南区)を抜けて樋井川まで至る住宅街のそぞろ歩きである。まだ真新しい都市計画道路から1本外れると、溜池と住宅がゆるい丘陵を等高線に沿うように埋めている。田島あたりは丘になっていて、神社や墓地もある。その丘の頂上に田島西墓地という小さな墓地が、背の高い雑木林だけに守られて、住宅地に冷風をもたらしている。十字架の墓石が並んでいる。日本の何気ない住宅地に並ぶ十字架、私はしばらく見入ってしまったことがあった。

 私は当時、箱崎(東区)に住んでいて、2カ月に1回ほど髪を切りに地下鉄を乗り継いで、田島まで通っていた。墓地を見かけてから引き返して、丘を南側に下る。同じ方向に行く道が何本かある。アスファルトで舗装されているけれど、車が通れるほどは太くはない。けれど、それはいつの間にか細くなっているのであって、車道が歩道になったのか、実はまだ車道なのか。間違って車が入ってきたら引き返すのはさぞ大変だろう。この道を使うのは地域の人だけであろうから、そんな心配もいらないかもしれない。そんな地域の人しか使わないような道。公共空間ではあるのだけど、記憶の残り方としては非常に私的。その密やかな感じが、目の前の道路に曲線を与えて何か親密なかたちにする。

蛇行した夕暮れの細道

 用事を終える(髪を切り終わる)と、樋井川沿いを北上する。西岸の道路は、油山方面へ帰宅する人たちで渋滞寸前だ。私は東岸で、帰宅する子どもたちか、スーパーへ行く大人たち、向こうから自転車で帰ってくる人たち、たまにカモと一緒に歩いていく。田島八幡神社の雑木林を左手に仰ぎ見て川を渡る。そういえば、大学1年生のときに、新聞配達のバイトの話を聞きに、ここら辺にきたことがあったっけ。自分には無理と思ってやらなかった。川を渡ると、じわっと染みるように小料理屋が増える。あまり安そうに見えない。入りたいなと思ったこともあるけど、1人で入るところではないか──。

 油山観光道路と筑肥新道の交差点、住所はもう梅香園、団地とスーパーが目に入ってくる。迷わず、その脇の梅香園1032号線という、地図で見ると田んぼの縁をつなげたようなリズムある曲がり方をしている道に入る。ゆっくり歩くなら、その道ではなくて、すぐ隣の梅香園緑道を歩くのが良いかもしれない。けれど梅香園緑道は両脇を鉄柵に囲まれて、広がっていく街と少し隔絶されている。かつての国鉄筑肥線の名残だからだろう、その線路脇を歩いていく。床屋、花屋、また小料理屋、道路は蛇行して六本松につながる。道に明かりを灯すのは街灯、そして家々の窓から漏れる光。その窓々が路地の向こうのまた向こうにも続いて、谷公園の丘を囲む。目の前を通る人の全員に違う帰り道がある。あのコインランドリーがまだ営業している。

六本松という空間

 建築家の槇文彦氏が、かつてボソッとエッセイで吐露していた。僕がつくった公共空間が公共的に使われていないと。氏曰く、1人でも佇めるのが真の公共空間だと、そのつもりでつくった六本木のテレビ局社屋の静謐な巨大アトリウムが、今ではテレビ局によってカラフルなテーマパークとなっている。この前は、ミュージックステーションのライブ会場にもなっていた。

 九州大学・六本松キャンパスは、今思うと城南区の丘と溜池と田んぼの名残のような道々の終着点であったような気がする。谷公園の丘の等高線をグラウンドが受け止め、グラウンドと国道202号の間の中空地帯に吹き溜まりのように建物が次々に足されて、シンメトリーのない、階高もまちまちな不思議なキャンパスができていた。ここを境に、都市福岡は大濠公園を経て海へと向かう。キャンパスがなくなって六本松も変わるかと思っていたけれど、トランジションの所在もなさげな乾いた魅力は今でも変わらない。

再開発された九州大学六本松キャンパス跡地
再開発された九州大学六本松キャンパス跡地

<プロフィール>
角 玲緒那 氏角 玲緒那
(すみ・れおな)
1985年北海道生まれ、札幌市立高等専門学校、九州大学21世紀プログラム、九州大学芸術工学府博士後期課程単位取得退学。専門は建築。現在は歴史的建造物の保存修復に従事する。2022年4月からは、北海道小樽に拠点を移して活動している。

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