2024年05月19日( 日 )

知っておきたい哲学の常識─日常篇(4)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

詐欺師の哲学

 1カ月ほど前、自称カウンセラーという中年男と出会った。「どうしても会ってほしい、すばらしい方です」と知人に誘われたのだが、正直、会ってみてがっかりした。というより、不快な思いで帰宅した。

 その知人によれば、この男はすでに1万3,000人の心の病を癒したという。当の本人は「最近はうつで悩むひとが多く、黙って見てられませんわ」と言う。見るからにハッタリくさかったが、「先生はどこで心理学を学ばれたんですか?」と一応尋ねてみた。すると、「米国ですわ。日本はこの方面は遅れてるんで」と答える。

 「では、英語がご堪能なんですね?」ときくと、「いやあ、心理学は心の問題。言葉じゃ解決しませんよ。英語がわかろうがわかるまいが、相手の眼を見ればわかるんです」などと言う。ならば、なにも米国へ行かなくともよかったのにと思ったが、それは言わなかった。

詐欺師 イメージ    この男はインチキだとわかっても、一体どういう思想を売っているのか、それを知りたくなった。「先生は心というものをどうお考えなんですか?」と聞くと、真顔でこう言う。「すべては心の問題です。心が平和になれば、世界も平和になる。おわかりですか?」

 これ以上は聞きたくなかったので、不しつけではあったが、いとまごいした。

 帰りのバスのなかで思った。あの男の真面目くさった顔、あれはなんだ。自分でも自分の嘘を信じているのか。だいたい1人で1万人の治療などできるものか。心の病が治るには少なくとも数年はかかるのだから、嘘に決まっている。多分、その場で相手を言いくるめて安心させて、あとは面倒を見ないで、それで治癒したということにしているんだろう。

 だが、さらに考えていくと、問題はその男ではなく、そんなペテン師をあがめる私の知人の方がどうかしていることに気づいた。あんなハッタリを信じ込むなんて。ところが、そういう信者が大勢いる。だから、あの男は図に乗るのだ。詐欺師には詐欺に引っかかる人が必要で、詐欺はその両者の協力で成り立っているのだ。

 インターネットで調べてみると、あの男は月1回大きな体育館に1,000人ほどの人を集め、大勢の前で治療を施しているという。世の中、不安を感じている人がよほど多いにちがいない。しかも、こうした現象は全国あちこちで見られるにちがいなく、これは社会が病んでいる証拠なのである。

 もっとも、こんなことは過去にもあったし、これからもあろう。日本だけでなく、世界中価値観の揺らぐところ、必ず似たような現象が見つかる。ヒトラーが権力の座にのしあがったのは、第一次大戦で大敗を喫したドイツ国民が精神的に空っぽになり、判断力を失ったからだと聞いたことがある。人間はもろいもので、ちょっとしたことにも動揺し、ひとたび不安に駆られると、もっともらしいことをいう詐欺師が神さまのように見えてしまうのだ。

 山上徹也の安倍晋三元首相暗殺で明るみに出た旧統一教会の問題にしても、政府の要人や多くの国会議員がこの団体と密接につながっていることはもちろん大問題であるが、そういう団体に60万もの信者がいることも深刻である。「信教の自由」というが、信徒の精神を呪縛するような団体に宗教などあるはずがない。そこにあるのは、団体を機能させている教唆と詐欺のシステムにほかならない。

 そうした団体は例の自称心理療法師と同じで、「すべては心の問題です」という。「あなたの心さえ鎮まれば、何ごとも解決するんです」と。だが、ほんとうに「すべて」は「心の問題」なのか。

 なにか問題があるとき、確かに心の状態もそれに関係している。しかし、だからといって、問題の原因がすべて心にあるとはかぎらない。心の状態を正しただけで問題が解決することはわずかであって、問題の本質がどこにあるかをまず客観的に分析してみる必要があるのだ。なのに、「すべては心の問題です。だから信じてください」といってお布施を要求する。これは詐欺以外のなにものでもない。

 そもそも、すべてが心の問題であるはずがない。私たちの心は私たちの体から独立しているわけではないから、体の問題も考えなくてはならない。また、心の状態に影響する環境、社会など、外的要因も考える必要があるのだ。なにごとも心の問題にするのはあまりにも安直であり、これを信じ込ませる側にとっては都合の良い話になるのである。

 古代中国の賢人、儒教の本家である孔子はこう言っている。「どんなに身分の低い人間の志も、これを簡単に奪うことなどできません」と。志とはそれほどに尊いもので、なにびともこれを侵すことはできないというのだ。似たようなことは日本でも言われてきた。「三つ子の魂、百まで」と。3歳児でも魂をもっており、それは100歳まで変わらないというのである。インチキ哲学を安易に信じる人々は、この三つ子にも劣る。漢方の医者なら「気を養って、魂を守るべし」というであろう。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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