2024年05月14日( 火 )

建築家とは何か(前)「箱」から「場」へ構造転換(1)

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 規律と秩序を保ち、社会との親和性を図る指南役として“建築家”は存在する。しかし今、彼らの力が社会的に弱まってきているようだ。設計者は何を考えているのか──都市を積み上げる実行者たちの働き方から、業界に存在する特殊なメカニズムの秘密に迫ってみたい。

モントリオール生物圏:バックミンスターフラーの測地ドーム内  出典 Andreas H. Pixabay
モントリオール生物圏:バックミンスターフラーの測地ドーム内
出典 Andreas H. Pixabay

設計者は何を考えている?

 設計とは、つまるところ「思った通りにやる」ということである。きっちりと事前に考察を重ね、利害を見定め、最適解を見つけて、関係者とその事実を共有する(関係者とは、権利をもっている者、工事を待っているもの、希望を伝えているものなど)。それを事前に決めて同意を得るための覚書として、建築図面は活用される。よって、関係者が1人なら図面など必要なく、頭で考えながらつくっていけばいい。

 ものをつくるとき、設計図がなくてもつくることは可能だ。しかし、多くの専門性の上に成り立つ建築物は、設計図によってつくっていくことが合理的なのである。大工工事だけ先行しても、電気配線の問題など同時に進めたほうが良いケースが少なくない。必要な部分に向けて隠したいものが通るルートを、あらかじめ決めていかなければならないからだ。その仕込みを工事関係者は図面上から探り出し、自分の仕事へと昇華していく。そのような無数の根回しを事前に確認するのが、建築設計といえる(この場合、内装工事や店舗工事なども含めた広い意味での建築とする)。

 また、つくり直しや変更をできるだけなくしていくためには、事前に明確な考えを表明し、それにクライアントから了承をもらっておくという事前承認が欠かせない。だから設計者は、図面完成を急ぐ。その変更に連動して動く人間の数が変わり、予算の配分が変わり、ひいては空間のかたちが歪にならないように…。それでも現場では「Aにします。いやBという可能性も。でも現場的にはCになるよ。クライアントはDと言っています…」など、思っていた通りに行かないことが山ほど出てくるのだが──。

 多くの関係者の叡智と思惑が盛り込まれる図面を見て、建築物はつくられていく。だが、基本的にクライアントビジネスである「設計」という手段は、資金を出すオーナーの意見が圧倒的に強い。法規制の下にオーナーの思想や趣味が空間に反映され、実現されていく。そこにある程度の規律と秩序を保ち、社会との親和性を図る指南役として“建築家”は存在する。しかし今、彼らの力が社会的に弱まってきているようだ。

_「美と直観なくして宇宙エコロジーは存在しない」 バックミンスターフラー  引用:ドーム・ハウス愛媛HP
「美と直観なくして宇宙エコロジーは存在しない」 バックミンスターフラー
引用:ドーム・ハウス愛媛HP

建築家には“建築家界”が必要か

 日本において、“建築家”という職業に公的な資格はない。しかし、建築士になるには試験に合格して免許を登録する必要がある。建築家と建築士の違いは何だろう。あるイベントに隈研吾さんが登壇したとして、「一級建築士の隈研吾さんにお越しいただきました」と紹介されることはまずないだろう。「建築家の隈研吾さんにお越しいただきました」となるはずだ。どちらも正しいのだが、なぜか前者に大きな違和感を覚える。その原因はおそらく、建築家は属人的な呼称であり、建築士は資格制度全体、建築設計技術者一般を指す“アノニマス(匿名性)”な呼称だからだ。名前を売るタレント性の部類は“建築家”と呼ばれ、企業に属し業務のなかで必要な効力を発揮するにとどまる部類は“建築士”として棲み分けされるといってもいい。

 日本では現在、一級建築士という国家資格に37万人を超える人が登録されている。二級建築士は77万5,000人程度で、全体にすると実に100万人以上の建築士が日本に存在していることになる(2020年統計)。

 医師32万3,700人、弁護士4万2,000人、公認会計士3万3,000人と比較すると、改めてその規模の大きさがわかる。では、公的な資格にない“建築家”という肩書は、なぜ存在するのか。この世界にある法律などの公的なバックグラウンドに代わる、特殊なメカニズムが存在しているに違いない。“日本列島の再編”第2弾、都市を積み上げる実行者たちの働き方から、その秘密に迫ってみたい。

建築士登録状況(2020年統計)  出典:国土交通省
建築士登録状況(2020年統計)  出典:国土交通省

“社会評価”を纏う

 たとえば、フランス料理界における入界金(その業界に足を踏み入れるための通行手形みたいなもの)は、本場フランスでの厳しい修行経験で身につけたという「社会評価」に落ち着く。フランスでの厳しい修行経験から得られるものは、料理の技術や知識だけではない。フランス料理界に適合的な性向をつかみ、「社会評価」を纏う身分を同時に手にするのだ。

 建築家界でその「社会評価」を身につける場所は、大学とされている。そこでは「建築家らしさ」を教育するための表立ったカリキュラムは存在しないが、隠れたメカニズムとして、学生を建築界・建築家界にふさわしい人間として育成していくための仕掛けがいくつも存在している。

 建築学科の学生は<建築的>社会評価を身につけ、それに対する審美眼を養成するが、それは一方で、建築とそれ以外の建物を厳しく選別していくことを意味する。つまり建築家とは“建築”を扱う職能であって、“建物”を扱う職能ではないということを学生のうちに体得し、感覚的に理解していくのだ。

 建築学は日本においては自然科学系の分野で、構造力学や材料工学、環境工学等の授業は極めて合理的だ。こういう明快な側面が存在する一方で、芸術やデザイン、文化・創造的な側面も合わせもつ。つまり、一方で客観性と合理性を基盤とした知の体系に支えられながら、他方では非合理的で標準化され得ないものによって支えられているのだ。

 実務だけであれば、大学よりも専門学校のほうがはるかに充実しているかもしれない。大学教育は建築設計技術の習得という点においては、必ずしも合理的・効率的な教育機関ではない。建築界は、学生が学校で身につける「技術」にあまり期待をしていないのだ。“実務は実社会で身につけよ”という他力本願志向が、どこかにある。一方で、「技術」以外のもの、工業高校や専門学校では学べないものを大卒者が身につけていると考えていて、それが建築界に何らかの意味において利益をもたらす、と信じている。“建築学”とは“建物学”ではない。それが建築家的「社会評価」の入口である。

社会評価を纏う  イメージ写真  ケンブリッジ大学キャンパス  出典:BEO株式会社HP
社会評価を纏う  イメージ写真  ケンブリッジ大学キャンパス
出典:BEO株式会社HP

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡 秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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