2024年05月12日( 日 )

九州の観光産業を考える(10)邪馬台国九州説vs畿内説vsいやいや私んとこ説

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膨張した期待がエネルギーへ

 何も出なかった──6月14日、吉野ヶ里遺跡の一角で新たに発掘の進められていた墳墓の棺から、すべての土が除かれた。しかし、期待された出土品はひとかけらも確認されなかった。そして同月24日と25日、やきもきと気を揉み続けていた古代ファンの方々へ、発掘現場での一般公開が実施された。岩をも穿つ強い眼光は石棺の底を貫き、さらにその下深くに埋もれているかもしれない真の被葬者の姿を照らし出している。心なしか気落ちしているように聞こえる説明者の声も、彼らにはまるで壮大な叙事詩が幕を開けようとする序文のように、耳奥へこだましているようだった。

 見たいものが見えて、見たくないものは見えないのが人間の性というもの。「ここが邪馬台国の所在地」と信じて疑わない堅物にとっては、見るものすべてがその証拠に映るだろうし、見えないもの、未確認のものも実像として焦点を虚空に描き出したりもする。

 自らの仮説を真相たらしめんと欲す強い欲求は、行動へと駆り立てる。自身の研究も仮説も持ち合わせない人は、他者すなわちシンパな学者や知識人、有名人の主張や書物に導かれ、そのメルクマールをめぐる旅に出たりもする。傍から見て怪しい言説にとりつかれている人だって、自分ではまっとうな思考によって動いているのだ。シュリーマンだって、ホメロスの物語を史実に沿ったものと信じたおかげで、後年の大偉業を成し遂げた。

郷土史家の我田引水の力たるや

鬼ノ城:岡山県総社の古代山城跡からは
九州と大和を結ぶ瀬戸内を遠望できる

 ヒトというのは、「物語」がなければ生きていけないらしい。動物が「物語」を自分で紡いだり、他者の語る「物語」をなぞったりするかは知らないが、たしかにヒトは、自分を主人公に見立てて日々暮らし、行動していると思われる。邪馬台国伝説の謎解きに大いなる関心を抱く方々も、自身の暮らす土地で貫頭衣をまとい、環濠の修繕に当たる自身をドラマ化していても不思議ではない。

 「郷土史家」といわれる方は、全国にたくさんいらっしゃる。自費出版含め研究成果を書籍化し、世に問うことも少なくない。なかには興味深い研究もある。

 魏志倭人伝に記載されている行程案内。この解釈がさまざまな憶測、到達点を生む。進む方角の勘違い、距離計測の基礎単位の見解相違、文字の読み方、書き間違いあるいは当て字、当時と今とで漢字のもつ意味の違い、現地案内の聞き違い、転記しそこない、出張報告のでっち上げ…。まぁ人間のやること、いろいろな誤りはどうしたって起こる。マイナンバーカードをめぐる数々のトラブルも、21世紀の先進国日本の、しかも官制業務遂行のなかで生じている。魏の国の特使がいかに優秀な方であったとしても、うっかりミスくらいはあるだろう。

 そんな解釈自在な行程から、ある郷土史家は邪馬台国が瀬戸内沿岸の岡山県にあったとする。その論考はなかなか説得力があって面白く、また事実、岡山には古代にまつわる遺跡や伝承が存在する。この史家は卑弥呼の子孫ではないだろうが、自身の郷里が歴史上の重要拠点であってほしいとする欲求もあってか、九州説、畿内説の二者択一論争に一石を投じる。

古代ロマンの拡大増殖

 発掘すると、ほぼ必ず歴史教科書を書き換えるような発見がなされることから、「God Hand」と呼び称された考古学研究者が我が国にいた。少し考えれば妙な話だが、引っ張りだこだったらしい。捏造が後に判明して信用失墜し、学術の舞台から姿を消した。無論、収蔵品は博物館の展示から外される。

 新発見があってほしい、その発見は学説を覆すものであってほしい、発掘場所は聖地となってたくさんの人が見学に訪れるようになってほしい、発見者あるいは発見者をその地へ導いた地元の人もヒーローとして称えられたい、発見へ至ったエピソードは面白く語られたい、発見物にちなんだお土産が多数開発され、命名の面白さ、形状の奇抜さ、食べ物ならその地の産物を主原料としおいしい味であってほしい、映えまくりたい──欲しい欲しい連鎖で、地域おこしの熱は高まり広がっていく。

 日本人の歴史好きは、旅行動機の大きな要素。梅原猛著『葬られた王朝‐古代出雲の謎を解く』では、縁結びの神さまが大和王権に伍する存在であったとする歴史ロマンに多くの人が引き寄せられ、現地・出雲を訪れた。

出雲の社殿は奈良の大仏殿、
京都の大極殿をしのぐ高さだった
(出典:しまね観光ナビHP)

    この出版に先立つ2000年、出雲大社境内の発掘で巨木を3本束ねた宮柱痕跡が確認された。古代の本殿設計図と目される「金輪御造営差図」にある、3本束ねの柱が田の字型に等間隔で9カ所配置された描画に合致するにおよんでは、地上48mの本殿が俄然真実味を帯びてきた。「雲太、和二、京三」。こうなるとナラティブ(物語)は止まらない。

 吉野ヶ里遺跡のこのたびの発掘は、そうした古代ロマンの拡大増殖をいったんくじかれたかたちだが、あきらめは無用。はるか上空から資源探査衛星が特殊な電波で地中深くの何かを、そのうち捉えるかもしれない。


<プロフィール>
國谷 恵太
(くにたに・けいた)
1955年、鳥取県米子市出身。(株)オリエンタルランドTDL開発本部・地域開発部勤務の後、経営情報誌「月刊レジャー産業資料」の編集を通じ多様な業種業態を見聞。以降、地域振興事業の基本構想立案、博覧会イベントの企画・制作、観光まちづくり系シンクタンク客員研究員、国交省リゾート整備アドバイザー、地域組織マネジメントなどに携わる。日本スポーツかくれんぼ協会代表。

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