2024年06月21日( 金 )

【縄文道通信第102号】瀬戸〜パース〜益子〜ロンドン 陶磁器の道──縄文道の視点から

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(一社)縄文道研究所
代表理事 加藤 春一 氏

 NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
 今回は第102号の記事を紹介する。

瀬戸市 イメージ    すでに今までにもご紹介の通り、瀬戸は小生の先祖の町で、陶磁器の町として有名だ。最近は将棋の7冠を獲得した藤井聡太名人の出身地として有名になった。

 瀬戸で陶器の開祖となった加藤四郎左衛門景正(藤四郎)は、1223年から1228年まで、曹洞宗の開祖である道元禅師と一緒に南宋に行き中国の陶器の技術を学ぶために、現在でいえば「留学」した。帰国後、最適の陶土を持つ現在の瀬戸の赤津に、瀬戸焼の窯を設立したことで、日本の陶祖と称されるようになった。

 筆者は、たまたま加藤家の分家の末裔の23代目として生まれた。陶工の世界はとても壁が高く、アマチュア陶芸愛好家として陶芸を楽しんでいた。

 商社時代、兼高かおる女史が「世界で最も美しい町」と評した西豪州の州都パースに赴任することになった。パースには「パース陶芸クラブ」という陶芸愛好家クラブがあり、名誉会長が、フリーマントルに窯を持つ故ジョアン・キャンベル女史であった。彼女は後に世界陶芸協会副会長になり、彼女の、釉薬に鉄鉱石を使用した楽焼の作品は、世界の陶磁器博物館の殿堂ビクトリア・アンド・アルバート博物館に永久保存で展覧されている。

 筆者は彼女と親しく、相当数の楽焼作品を保持していたが、帰国時友人に譲ってしまった。彼女は日本文化をこよなく愛していた。とくに楽焼への思いは強かった。当時訪日の経験が無かった。世界陶芸協会の総会が信楽で開催されていたとき、彼女から突然小生の自宅に電話があり、「今憧れの日本に世界会議できているの。京都と信楽も最高で幸せよ」というメッセージがあったことは、今でも忘れられない。彼女は数年後他界した。彼女の陶芸家としての足跡は拙著『わが心の旅路』で詳しく紹介させていただいた。

 ビクトリア・アンド・アルバート陶磁器博物館には、日本と縁の深い陶芸家として、バーナード・リーチ、益子の濱田庄司氏、島岡達三氏の作品と一緒に、彼女の作品は展覧されている。さて、益子出身の人間国宝の陶芸家、島岡達三氏とのご縁をご紹介したい。1989年に岡本太郎氏の『四次元との対話 縄文土器論』に魅せられ、上野国立博物館で縄文土器を鑑賞し感激に浸った翌日、アポイント無しで益子の島岡達三氏を訪ねた。ドイツ人の弟子が応対してくれ、当時世界的にも著名な陶芸家、島岡達三氏と面談。話が弾み、面談は2時間におよんだ。

 最後に登り窯にご案内いただき、氏の人間国宝受賞対象の縄文象嵌の茶器をお土産にいただいた。この茶器は今でも家宝として大事にしている。ちなみに、瀬戸の加藤家本家の人間国宝、加藤唐三郎氏の作品も、瀬戸を訪ねた1989年に記念に頂戴し、今も茶器は時々大事に使わせて貰っている。島岡達三氏との出会いは、読売新聞の「読売手帳」に紹介記事が掲載された。

 以上のように、瀬戸の陶磁器のご縁で、西豪州パースでの縄文土器と世界的陶芸家ジョアン・キャンベル女史との出会い、さらに益子での人間国宝・島岡達三氏との出会いに結びついている。ロンドンの世界の陶磁器博物館の殿堂ビクトリア・アンド・アルバート陶磁器博物館で、ジョアン・キャンベル女史と島岡達三氏の作品が永久保存されていることは、実に感慨深い。


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