2024年06月26日( 水 )

古代のシベリアの文化・民族と日本との関係

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

縄文アイヌ研究会主宰
澤田 健一 氏

 NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載しているが、同代表理事の加藤春一氏より、縄文アイヌ研究会主宰者の澤田健一氏による、古代のシベリアの文化・民族と日本との関係についての論考を共有していただいたので、掲載する。

 古代シベリアは文化の発信拠点と考えられてきた。シベリアはシャーマニズムの本山とされ、ここから世界中にシャーマニズムが広がっていった。また細石刃技術がここで誕生して、ここから世界に伝わっていった。シベリアは古代文化の源流とされてきたのだ(本当の起源は日本だが)。それでは、シベリアの地で古代文化を担っていた民族について見ていく。

 すでに後期旧石器時代のシベリアに豊かな文化内容を持つ古代遺跡を残したのは日本民族であると解説してきた。今回は時代が新しくなって、初期鉄器時代について見てみる。
 該当する文化としては、ヤンコフスキー文化、クロウノフカ文化、ポリツェ文化がある。

村上恭通編 『東夷世界の考古学』青木書店

 この書籍のⅥ章を引用するがこの章を書かれたのは1936年ウクライナ生まれの東洋学者、ディ・エリ・プロジャンスキー博士である。博士はロシア極東沿海地方における新石器時代から初期鉄器時代まで幅広く研究されている。

ヤンコフスキー文化

【ヤンコフスキー文化の貝塚における貝類のなかには温帯性のサルボウガイがみられるが、これは現在ピョートル大帝湾には存在しない。】 129頁
【ヤンコフスキー人は河川魚、海洋魚、産卵遡河性の魚を捕った。漁労具のなかには、(中略)骨製回転離頭銛が含まれている。】 131頁
【ここで空色と緑色のオパールが採集できる(中略)。ヤンコフスキー人はこの石を筒形の管玉と勾玉に加工していた。】 134頁
【ヤンコフスキー文化の年代(中略)は総じて紀元前8~1世紀の年代を示している。】 144頁

クロウノフカ文化

【クロウノフカ遺跡の所在する地域の草原では、(中略)沿海地方で初めてとなる青銅製三翼鏃を発見した。これは四角錐を呈し、太い袋部を有しており、後期スキタイ・タイプに属するものである。】 152頁
【ヤンコフスキー文化とクロウノフカ文化とはおおよそ相等しい時代幅を共有し、それぞれの歴史の大部分は同時進行していた。ヤンコフスキー文化のデータは上限が紀元前8世紀に達し、クロウノフカ文化のデータは下限が紀元2世紀である。】 159頁

ポリツェ文化

【ポリツェ文化はロシア極東地方の古金属文化のなかで最も広い分布領域】 161頁
【住居址は全ての発掘で検出されている。みな竪穴式(後略)】 163頁
【ポリツェ文化を3期に分け、ジョルティ・ヤル期は前7~前6世紀、ポリツェ期は前6~前1世紀、クケレヴォ期は前1~紀元4世紀】 169頁
【沿海地方のポリツェ人は上述したヤンコフスキー人、クロウノフカ人と同様に移動してきた人々であることは明白である。(中略)ヤンコフスキー人は南部から日本海沿岸地域に沿って北上したが、どこからやってきたのか、その地域を限定するのは困難である。】 171頁

 ロシア沿海地方の初期鉄器時代の人々の暮らしを要約すると、貝塚をつくり、南洋の貝をもっていて、回転離頭銛を使い、オパールで管玉や勾玉をつくり、竪穴住居に住む人々であり、縄文集落と同じ暮らしをしていたのである。そして、少なくともヤンコフスキー人は南方から日本海を北上してきた人々なのだ。その人々とは日本からやってきた人々であり、縄文集落と同じ暮らしをしていたのである。

 つまり、ロシア沿海地方の初期鉄器時代の人々とは日本民族だったのである。

 ただし、縄文集落と同じ文化をもった人々ではあるが、紀元前8世紀は弥生時代に入っている。そして、日本民族は弥生時代になると北東アジアで第一弾の混血が開始されているのだ。
 北東アジアにやってきた日本民族は、ここで本格的にほか民族との交流が始まったのだろう。これが以前にご紹介した下記論文概要(プレスリリース)と合致するのである。

パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造

【弥生時代には、北東アジアを祖先集団とする人々の流入が見られ、縄文人に由来する祖先に加え第2の祖先成分が弥生人には受け継がれている】3頁

 弥生時代の混血の相手とは朝鮮半島人ではなく北東アジア人なのである。ここが非常に重要なポイントであるので、ぜひとも覚えておいていただきたい。

 そして、紀元前8世紀頃からユーラシア大陸の北方地帯を制覇していたのがスキタイ人であり、クロウノフカの遺跡からはスキタイ・タイプの青銅製三翼鏃が出土している。

ヘロドトス著/松平千秋訳 『歴史 中』 岩波書店

【ゲロス以遠は、王領のスキティアで、このスキタイ人は最も勇敢で数も多く、他のスキタイ人を自分の隷属民と見做している。】18頁

 ヘロドトスはスキタイの居住地を4つに分け、一番東側に「王族スキタイ」がいるとしている。

【右に列挙した地域はことごとく極寒の地で、一年のうち8カ月間はその寒気は耐え難く、その期間には地面に水を注いでも土はあらわれず、火を焚いてようやく土があらわれる。】21頁

 この描写はまさにシベリアを表現しているのであろう。その一番東側に王族スキタイがいてほかのスキタイを隷属民としていたのである。王族スキタイとは縄文人の末裔であり、だからこそ吉野ケ里からスキタイが祖型とされる細形銅剣が出土するのである。

 このように遺跡、出土物、放射性炭素年代測定、核DNA解析、ヘロドトスの記録などがきれいに整合性をもち、そこに居たのは日本民族であったことが明らかになってくる。

 なお、王族スキタイが日本民族である説明は次回出版作『世界に広がる縄文人の末裔たち(仮題)』でまとめることにする。

関連キーワード

関連記事