2024年05月04日( 土 )

日本余生のために国と自治体の関係性はいかにあるべきか(前)

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東京大学大学院 法学政治学研究科
教授 金井 利之 氏

 分権型社会を目指したはずの21世紀は、必ずしも自治体の自律性が花開いたわけではない。そのなかで、経済停滞・人口減少の縮減社会に向かい、いわば、発展途上国でもなく先進国でもなく、衰退途上国という新しい局面に入った。このようななかで国と自治体のあるべき姿をつくり出せるかが、日本終活のために求められている。

はじめに

東京大学大学院 法学政治学研究科 教授 金井利之 氏
東京大学大学院 法学政治学研究科
教授 金井 利之 氏

    2000年の第一次地方分権改革は、国と自治体の関係性を、上下・主従の関係から対等・協力に改革し、集権型国家から分権型社会を目指した。それは、20世紀後半(戦後)の経済成長によって成し遂げた「豊かな社会」を前提に、集権型国家による画一的な生活を脱し、豊かさを実感できる成熟社会を目指した。このような理念の転換により、自治体は自律的に思考・行動するものとされた。国の判断に盲従する姿勢は戒められるようになった。

 とはいえ、その後の21世紀第1四半世紀の動きは、そうした分権型社会の形成にはほど遠いものであった。そもそも、第一次分権改革の前提条件となった成長社会が失われた。

 21世紀第1四半世紀は、経済停滞・人口減少の縮減社会となった。そのなかで、国と自治体の関係性の新たな理念が求められていた。しかし、21世紀の日本は、前世紀の成長社会の発想に呪縛されたままだったのである。

集権型国家の呪縛

 第1次地方分権改革は「未完の改革」といわれたように、国と自治体の関係を対等・協力なものに変換したにはほど遠かった。そのために、さまざま改革課題が残されたのである。

 第1の財政分権改革は、三位一体改革として着手されたものの、結局は、地方一般財源の大幅削減となった。その過程で生じた地方財政ショックは、自治体の持続可能性への悲観を生み出し、自治体の大量集団自決(いわゆる「平成の大合併」)や、自爆(夕張ショック)となった。その結果、地方財政健全化法制など、国からの財政統制は前世紀以上に強化された。また、地方交付税を抑制した結果、偏在是正措置の名の下で、地方税を国税化することが進められた。さらに、自治体間での財源の奪い合いを、国が高みの見物をするふるさと納税が導入された。

 第2の法制改革は、国の法的な義務付け・枠付けを緩和する改革であった(いわゆる地域自主権改革)。第1次分権改革による機関委任事務制度の廃止は、法的な根拠のない統制手段を否定しただけであり、法令に根拠があれば自治体を統制できること自体は変わらなかったからである。そのため、法令の統制の強度(いわゆる規律密度)を緩和することが課題となった。しかし、これも惨憺たる結末で終わり、むしろ、さまざまな立法措置によって、各分野での法的統制が強化された。

 たとえば、辺野古問題では、国は法的権力を行使して、沖縄県を統制している。また、個人情報法制では、自治体の独自の個人情報保護条例を否定した。歴史的に見れば、20世紀第4四半期に自治体が国を先導したものが個人情報保護であり、戦後の成果さえも否定した「逆コース」である。

 このように、国の為政者は集権型国家への嗜好性に偏向している。国と自治体の関係性は、「分権時代」の錯覚の裏で、戦後体制の20世紀第3四半期より前の状態に戻ってしまった。それは、分権改革の背後で進んでいた政治改革・行政改革による。20世紀第2四半期(戦時体制)でも実現できなかった集権型国家を目指すものだった。

 1990年代の政治改革(小選挙区制導入)による強力な一党支配制の構築であり、行政改革(内閣機能強化)による官邸主導体制である。戦時体制の大政翼賛会・東条幕府(大本営政府連絡会議)でも実現できなかった一強体制を生み出した。このような時局のなかで、国と自治体の関係が上下・主従となったのは必然であろう。

成長社会の呪縛

 21世紀第1四半期の日本は、経済停滞・人口減少の縮減社会である。いわば「ジリ貧」である。成長社会を当然とする為政者からすれば、忌むべきものである。そこで、さまざまな経済再生の試みが政策的になされた。たとえば、小泉政権の構造改革であり、第2次安倍政権のアベノミクスである。結果的には、こうした政策は効果がなかったのであるが、それゆえに、手を替え品を替え経済対策が打ち出された。たとえば、デジタル化(DX)もそのような変種である。

 自治体も、経済成長・人口増加に動員された。たとえば、2010年ごろは経済活性化のために分権改革が手段として提唱された。「貧しい社会」からの脱却のための分権改革に転轍したのである。もちろん、経済活性化はしなかったから、分権改革という理念すら放逐されていった。このなかで、集権型国家の経済政策・アベノミクスの地方版として「まち・ひと・しごと創生」が打ち出された。要するに、経済成長と人口増加を自治体にやらせる国策である。経済が成長しないから、その後もデジタル田園都市構想のように次々に目先を変えるしかない。

 経済停滞のなかで成長を装うには、格差を人為的に生み出すしかない。つまり、全体の経済成長がなくても、貧困層・労働者層・無産層をさらに貧窮させ、富裕層・経営層・株主層が莫大な利得を揚げれば良い。こうすれば、後者にとっては成長社会であるかのように偽装できるし、為政者や政権党の視界に入る人種は、こうした上級国民だからである。このため、労働規制破壊や金融所得優遇が進められていった。また、地域間でも格差が広がれば、辺境・貧困地域の限界化と対比して、都心・富裕地域にとっては成長社会であるかのように虚飾できる。国は自治体間を競争させ、成長しているようにいえる地域のみを支援・賞賛する。

 そして、貧困層・貧困地域にとっては、自ら真面目に働く志気は下がり、単に一攫千金を夢見て、大半は貧窮に喘ぎ続けることになった。それは、パチンコ・博打・IRのような文字通りの一攫千金もあれば、芸能・スポーツ・ホスト・ユーチューバー・特殊詐欺・お笑い芸人志望などである。学校でプログラムやダンスを授業科目にするのも、こうした一攫千金の白昼夢を与えるためである。

(つづく)


<プロフィール>
金井 利之
(かない・としゆき)
1967年群馬県桐生市生まれ。89年東京大学法学部卒業、同助手、92年東京都立大学法学部助教授、2002年東京大学大学院法学政治学研究科助教授、06年同教授。専門は行政学・自治体行政学。主な編著書に『縮減社会の合意形成』(第一法規、2019年)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、2021年)など多数。

(後)

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