2024年04月29日( 月 )

【香港最前線4】政治的転換期:オーウェルの予言が現実に

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香港人作家 周 慕雲

香港 庁舎 イメージ    香港政府は3月8日に立法会に法案を提出、連日の審議を経て、19日に再び全体会議を開き、「国家安全維持条例草案」(「第23条」草案)を全会一致で可決した。法案可決の日、立法会は静まり返っていた。全会一致。しかし、それは民意の反映などではなく、恐怖の産物にすぎない。この法案はかつて2003年に提出されたが、当時は市民の反対が強く、7月1日には50万人規模の抗議デモが行われ、9月に廃案となったという経緯がある。19、20年の香港民主化デモを経て、20年7月に中国で「国家安全維持法」が施行された。そしてついに今年3月23日に香港基本法第23条が香港で施行されることになった。03年、20年、そして24年。香港の自由は少しずつ、しかし確実に奪われてきている。

 鄧炳強香港政府保安局局長は、全議員が「効率的でスムーズ」に作業を完了したと賞賛し、立法が「98.6%の支持」を得たことを再確認した上で、その内容は人権と自由を保護すると述べた。しかし、この条例は中国の「香港国家安全維持法」の非公開裁判の手続きを適用し、複数の犯罪に対して7年以上の懲役や終身刑を科すことができ、また「域外効力」条項を含んでいる。つまり、「犯罪者」が香港内で罪を犯していなくても、香港の警察による追跡の対象となる可能性がある。

 虚しい言葉が議場に木霊する。人権と自由の保護というが、口先だけの約束だ。香港政府は「経済に全力を尽くす」というスローガンを必死に宣伝している。基本法第23条を施行すれば香港が再び国際舞台で活躍できるという。しかし、第23条の施行は、むしろ香港の衰退を加速させるだけだろう。なぜなら、外国資本が香港からますます離れていくからだ。海外の組織もそうした懸念から批判の声を上げています。フォルカー・トゥルク国連人権高等弁務官は19日、声明を発表し、香港が第23条を可決したことについて、多くの条項が国際人権法と相容れず、深刻な懸念を引き起こしているにもかかわらず、このように重要な立法が性急に行われたと批判した。EUも声明を発表し、第23条が香港の国際金融センターとしての長期的な魅力に疑問符をつけることになると懸念を示した。

 香港政府はこうした意見に耳を傾けようとしない。もっとも、中国の香港国家安全法に支配される香港において、反対の声を上げることは不可能だが。

 基本法第23条が香港で可決されたことで、香港は世界におけるその役割と市民の自由について再定義を迫られるという転換期を迎えている。香港政府と北京当局の支持者にとって、この立法は憲法上の責任を果たすための基礎かもしれない。しかし、香港は自由という名の餌に釣られて、権力の網にかかってしまった。経済繁栄の影で、市民の自由は踏みにじられており、かつては活気に満ちていた政治文化や対外開放は、もはや遠い昔の夢となった。

 19年の大規模な反政府抗議活動を受けて制定された香港国家安全法は、抗議活動のリーダーや民主派メディアを弾圧するために使用された。多くの市民社会団体が警察の調査や行動の制限・取り締まりに直面し、民主主義を強く支持するメディアは閉鎖に追い込まれた。こうした劇的な変化により、香港の若者たちは自由を求めて海外に逃げ出している。詩人の寺山修司は「マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と詠んだ。一時の決意で海外に亡命する彼らの先に待つのは、自由な世界なのか、それとも終わりのない闘いなのか。祖国を愛する心と自由を求める魂の狭間で、彼らは今、重大な選択を迫られている。

 今後、香港政府がその統治に挑戦するあらゆる試みに対処するための権力を拡大し、反逆や暴動には最高で終身刑を科す可能性がある。基本法第23条はスパイ行為や国家機密の不正な漏洩に対しても厳しい罰則を設けられている。いくつかの条項は、全世界的な範囲で行われた特定の行為に対する刑事訴追を許可しており、外国の政府や組織と協力して特定の犯罪を行ったと判断された人々には、より重い罰則が科される。

 この状況は、まるでジョージ・オーウェルの小説『1984年』に描かれた、全体主義国家オセアニアを彷彿とさせる。『1984年』では、“ビッグ・ブラザー”と呼ばれる独裁者が国民を常に監視し、自由な思想を徹底的に抑圧する。例えば、「思考警察」と呼ばれる組織が、市民の行動や会話を監視し、体制に反する言動があれば、即座に逮捕・処罰される。また、言論の自由も厳しく制限され、政府の方針に反する表現は一切許されない。香港の新法の下では、誰もが“ビッグ・ブラザー”となり得る。それは、あなたの同僚、クラスメイト、さらには家族かもしれない。

 香港の著名な作家、倪匡氏の小説『追龍』(1987年)でも、香港の滅亡が予言されている。倪匡氏は『追龍』で言及した東方の大都市が香港であると後に明言しており、物語では香港の滅亡が天災ではなく人災、特に無知な決定によって引き起こされると予言している。

 法律の変更は香港の魅力を大きく損ない、未来に重大な影響を及ぼす可能性がある。経済的繁栄を優先する政府の方針は、他方で社会の多様性や自由な言論の抑圧につながる可能性がある。え政治的自由──表現の自由や集会の自由が制限されれば、香港はもはや自由で開かれた都市ではなくなるだろう。また、司法の独立性が損なわれれば、法の支配に基づく公正な社会も失われてしまう。

 このように、香港を国際的な金融センターとして魅力ある都市にしてきた要因がいま根本から失われようとしている。東方の真珠は一瞬にして色褪せ、大都市は一瞬にして単なる漁村に戻ってしまうかもしれない。香港の未来は闇に包まれているが、それでも、私たちは警戒を怠ってはならない。香港の明日は、私たち市民の手の中にあるのだから。

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