2024年04月29日( 月 )

【回想】ネットバブルの寵児・SB孫正義氏、光通信重田康光氏(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

 東京株式市場は、「バブル超え」の株高に沸いている。日経平均株価は34年ぶりに史上最高値を更新、4万円の大台を突破した。米国市場の人工知能(AI)ブームを受けて、半導体製造装置の東京エレクトロンや半導体検査装置のアドバンテストなどの半導体関連株が人気を集めた。まさに「半導体バブル」だ。
 20数年前、「ネットバブル時代」というものがあった。今回はバブルの寵児・ソフトバンクと光通信を例に「ネットバブル時代」を振り返ってみることにする。

光通信株の時価総額、堂々の10位

 ソフトバンク社長の孫正義と光通信社長の重田康光は、ネットバブルの時代、株式上場を目指す若手ベンチャー起業家たちの憧れの存在だった。

 携帯電話販売会社・光通信の株価の急騰が重田に巨万の富をもたらした。1999年の東証一部銘柄の各種の株式ランキングで、光通信は上位を独占した。株価21万6,000円は額面50円の銘柄の株価のトップ。値上がり率2,894%も1位。時価総額6兆3,419億円は並み居る日本のビッグビジネスを押しのけて堂々の10位に輝いた。

 重田は光通信株式を本人名義で617万3000株(発行済み株式の20.8%)、重田個人の資産管理会社である光パワー名義で1,419万6000株(同47.8%)持っていた。その保有株が1年間で30倍に高騰した。

 2000年1月27日付の豪州の新聞『オーストラリアン(ビジネス)』に掲載された2000年版の「アジアの長者100人」によると、ソフトバンク社長の孫正義(推定資産380億ドル=約4兆円)に次いで、重田が第2位にランクされた。資産は300億ドル(約3兆1,500億円)。前年は圏外だった彼が孫と手を携えて、長者番付公表以来、96年からずっとトップの座を守り続けてきたブルネイのボルキア国王(210億ドル=2兆2,000億円)を抜き去ったのだ。重田は世界で一番速く巨万の富を築いた「光速の蓄財マジシャン」と呼ばれた。

日本興業銀行の迎賓館を現金で買う

 大富豪・重田は買い物も豪華だ。東京・西麻布の閑静な高級住宅街にあった日本興業銀行の迎賓館「麻布クラブ」を現金で購入した。敷地は2,700m2。当時、購入価格は30億円といわれた。中山素平をはじめとする歴代の興銀の頭取たちが政財界のトップと日本の行く末を語りあった瀟洒な建物は解体され、さら地となった。重田個人が大邸宅を建てると思われたが、ネットバブル崩壊後、マンション業者に転売された。

ニシキ蛇を飼う少年時代

 重田は東京生まれの東京育ち。父親も実兄も弁護士という法曹一家だ。東京・池袋の私立巣鴨高校に通った。同級生の間で語られる有名なエピソードがある。『ネットバブル』は同級生の談話を載せている。

「マミちゃんという3メートルくらいのニシキ蛇を飼っていた。餌は生きているウサギです。本人はウサギが可哀相なので、フルートを習いに行って、ウサギが食べられている間は『うさぎ、うさぎ』を吹いているって言っていました。ある時、あまりに元気がいいウサギがいてマミちゃんが食べることができなかったので、首を絞めてウサギを弱らせた。たまたまその日は、マミちゃんに食欲がなかったので、お姉さんが人工呼吸をしてウサギを生き返らせた、と重田から聞いたことがある」(同級生)

 「強いものが弱いものを食べるのは当たり前」という価値観が、重田が若くしてのし上がる原動力になった。ベンチャー企業、クレイフィッシュの乗っ取りで名を馳せた怪物性の原点だろう。

重田はアジア第2位の大富豪に

 日本大学経済学部を中退した重田は起業家の道に進みホームテレホンの訪問販売を始めた。ホームテレホンとは、内線電話やインターホンと接続できる装置である。ホームテレホンの商売で一稼ぎした重田が新会社を東京・豊島区のビルの一室で旗揚げしたのは88年2月のことだ。社名は光通信。康光の光を取ってこう命名した。資本金100万円。社員は3名。重田康光、22歳の旅立ちだ。

 重田は、ネットバブル全盛期に良くも悪くも話題に上った。携帯電話販売代理店「HIT SHOP」を全国に展開し、無料の端末を配布し携帯電話キャリアより一契約あたり数万円の報奨金が支払われるというビジネスモデルで、巨利をあげた。96年に史上最年少の31歳で株式を店頭公開。99年に東証一部に昇格。資産3兆1,500億円をもつアジア第2位の大富豪にランクインした。

光通信がネットバブル崩壊の引き金を引く

イメージ    飛ぶ鳥を落とす勢いのまさに、その時だった。2000年3月発売の『文藝春秋』(4月号)が光通信の闇を報じた。携帯キャリアから支払われるインセティブを受け取るため、大量の携帯電話架空契約を行った「寝かせ」が発覚した。

 2000年2月15日に24万1,000円まで買われた光通信株は、見るも無残に急降下し、同年7月7日には3,600円まで暴落した。高値からの下落率は実に99%である。

 孫正義の「ナスダック・ジャパン」構想から光通信株の「ガラ(瓦落)=大暴落」まで。ネットバブルの狂乱は8カ月で終わった。

(了)

【森村 和男】

(前)

関連記事