2024年07月22日( 月 )

【加藤縄文道16】天の磐船についてのコラム

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縄文アイヌ研究会主宰
澤田健一

丸木船 イメージ

    日本神話では日本民族の祖先は天の磐船に乗ってやってきたと伝えられています。アイヌ神話でも舟に乗って天から降りてきたということになっています。そして太古のアイヌは風に乗って世界中どこにでも飛んで行けたと伝えています。

 もう何度も説明していますが、アイヌ語の「アイヌ」とは「人」という意味でしかありません。つまり太古のアイヌとは神代日本人のことを指しているのです。そのころは日本人などという言葉はなく、その人々は「夷」を自称し、夷を誇りに思っていたのです。

 しかし、誇りある民族「夷」であっても、さすがに空など飛べるはずがありません。その天の舟とは、天を駆けるほどのスピードが出せる舟という意味なのです。今でも大急ぎで行くことを「飛んでいく」と表現しますし、その表現は昔から変わらないのです。

 また、天の磐船には「磐」という言葉が使われていますが、これにも重要な意味があります。それは岩のように重い舟ということであり、大きな重量があったことも大切な要素なのです。

 要は、南の島から舟に乗って日本列島に到達するためには重さと速さが必要だったのです。なぜなら、南の島々と日本列島の間には世界有数の強い海流が流れているからです。軽い舟や遅い舟では海流に流されてしまい太平洋のど真ん中で死を待つしかありません。重たい舟であれば海流に抵抗でき、速い舟であれば、それを突破できるのです。

 それを国立科学博物館の人類研究部人類史研究グループ長(当時)であった海部陽介先生が実証実験で証明されました。はじめは竹いかだや草たば舟で挑戦されたのですが、海流に押し流されてしまいました。しかし、丸木舟で挑戦すると見事に海流を横切って200km以上の渡海に成功されたのです。

 太古の昔には伴走船も地図もGPSも科学的サポートも何もありません。水平線の下になっている次の島まで、その方角は渡り鳥の飛んでいく先を正確にたどる必要がありますし、それは夜間であっても見失っては命取りになってしまいます。従って、日中は太陽、夜間は月や星々の動きを正確に把握して針路を求めたのです。

 そして夜間に睡眠をとってしまえば、その間に流されてしまいますし、交代で休めるほどの乗員もいません。せいぜい5、6人しか乗れないのです。海部先生の舟はサポート船が伴走していますので安心して眠ることができましたが、大昔ではそうはいきません。ということは昼夜を問わず、ひたすら漕ぎ続けるしかありません。

 最近の核DNAの研究によると、いちばん初めのご先祖さまたちの集団は1,000人程度だったといいます。それは言い換えると、日本列島までの渡海に成功したのは1,000人しかいなかったということになります。非力な人間を乗せた丸木舟は太平洋の藻屑となってしまったのです。おそらく多くの犠牲をともなったうえでの、日本初上陸だったのでしょう。

 その力の強い人々は、丸木舟に乗って南の島から北上してきたのですから、初上陸地点は日本列島南端となるのです(当時は九州・四国・本州は陸続きとなっていて古本州島と呼ばれています)。日本神話では、そこは薩摩の黒瀬海岸ということになっていますが、合理的に理解できます。

 「天の磐船」も「黒瀬海岸」も、日本神話は史実を物語として伝えているのです。つまり、力の強い人々が重くて速い「天の磐船」に乗ってやってきたのです。

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