2024年07月22日( 月 )

経済小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(9)運命の車、フォード・フェアレーン

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 マンチェスター・アパートメントにいたころ、ジョージ君は自転車通学をしていた。しかし、ホームステイ先から、午前はアダルト・スクールに通い、午後にデルタ大学に聴講しにいくには、遠すぎた。

 アメリカの田舎町は、車社会だ。10分走れば10㎞、20分走れば20㎞の距離、高速道路を使うと、その倍はゆうに走ってしまう。しかも高速道路は無料である。すぐ近くに行くのにも、車は絶対に必要な社会だった。

 日本食を売っている「豆腐屋さん」という店で、車のメカニックをしている日本人の奥さんと知り合った。ご主人がフォード自動車のディーラーをしているということなので、良い中古車を探してくれるようにお願いをした。

 まもなく、掘り出し物があるという連絡が入った。ディーラーに行くと、白人のオーナーに「ジョージ、君は日本人留学生だから、特別に250ドルでこの車を売ってあげよう」と言われた。オーナーは上機嫌で、米軍時代、日本に滞在していたころの思い出を話してくれた。

 車の見た目には満足。でもジョージ君が生まれて初めて買う車である。不安ではあったが、日本人メカニックが紹介してくれた車だったので、フォード・フェアレーンという大型車を買うことにした。

 留学生の間では、車を買うか?買わないか?はいつも大きな問題であった。当時のアメリカの中古車は、本当によく壊れた。金がなくなる大きな理由はたいてい車だった。車を買えば、必ずどこかが壊れて、金がすぐになくなり、非合法的に働くか、帰国するか、という道をたどることになる…。そんな話をよく聞いていたのだ。

 自転車通学で金を節約し、苦学して留学の目的を全うすべきと考える少数派もいた。しかし、長期滞在に成功している多くの先輩たちは言った。

「金がなくなってもいいから、車を買って、アメリカ生活をエンジョイした方がいい。そうでないと、留学生活は続けられない。自転車通学者は1年以内に帰国する」

 後に知ることとなるが、それは本当だった。真面目な留学生は、車がないのでアメリカ人の友達もできず、教室だけで勉強をする生活。アルバイトもしないので、日本と変わらない質素な暮らし。生活のための英会話を実践する機会も少なかった。そこで、ジョージ君はアメリカにきて2カ月で、車を買う決断をしたのだ。

 早速フォード・フェアレーンに乗って帰るが、もうすでにブレーキの調子がおかしい。週末、日本人メカニックの男性の家に苦情に行った。

「250ドルで買ったんだから、そのくらいのことは当たり前だ。教えてやるから自分でブレーキシューを変えなさい」

 ところが、実は、ジョージ君は異常なくらい手先が不器用で、労働が大嫌いだった。車の修理なんてとんでもないと思ったが、やらざるを得ない。それ以後、オイル交換、ブレーキシュー交換などは自分でできるほどにまで成長した。

 ジョージ君は、アメリカで初めて乗る車に得意気だった。初めてできた高校生の彼女、シドニーともデートした。1週間後のある日、エンジンをかけると同時に、振動で大きな音がした。「ドーン!」車の下を見ると、ドライブシャフト(長い鉄棒の部分)が、前の接続部分から落ちてしまっていた。後ろはまだつながっていた(ドライブシャフトは、前のエンジンの回転を後の車輪に伝える役割をしているもので、後方でデファレンシャルにつながっている。デファレンシャルは車の左右を支え、繋いでいる)。

 途方にくれたジョージ君は、日本で車修理の経験があった学生、菅原さんに電話した。ジョージ君をバス停まで迎えにきてくれた恩人である。同じアパートの住人、誠君の車で引っ張ってもらい、菅原さんには、念のためにジョージ君の車の後から付いてきてもらって、修理工場まで行くことになった。

 夕方のことであった。車は引っ張られながら、ゆっくり前に進んだ。しばらく走ると、車を引っ張っている紐がプツーンと切れてしまった。なにしろ、フォード・フェアレーンは大型車で、3,800ccもあるのだ。急きょ、菅原さんの車にあった太いロープに交換したが、車が動くたびにドライブシャフトの先端部分が道路に接触した。

 ガツーン、ガツーンと道路にぶつかり、大きな火花を散らしながら、ゆっくり動いた。近所の人が家から出てきて、ジョージ君たちを見ていた。恥ずかしさと苦痛で、顔をしかめながら必死に運転をした。突然、ガクーンと大きな音がして、車体が止まった。踏切で地面と鉄道の線路の間にドライブシャフトの先端が食い込んでしまったのだ。前にも後ろにも動かなくなってしまった。線路の左方向から光が見えた。誠君が叫んだ。

「ジョージさん、汽車が来る!!!」

 どうしよう。ジョージ君は汽車の方に向かって走った。汽車を停めるのだ。菅原さんはとっさの判断で、後ろから自分の大型車をジョージ君の車にぶつけて、線路から押し出そうとした。その力でドライブシャフトはデファレンシャルにぶつかって、くの字に曲がり、車体を持ち上げた。

 もう絶体絶命である。車を飛び降りたジョージ君は走りに走った。線路の光に向かって、大声を出しながら無我夢中で走った。

 「STOP! STOP! STOP! 止まれ、止まってくれ」心のなかでも叫んでいた。“あぁ、アメリカ生活もこれで終わりだ。こんなに早く、留学生活が終わるなんて。しかも鉄道大事故で破産だ。恥ずかしい”。ところが、いくら走っても、光は近づいてこない。

 何分くらい経っただろうか?ジョージ君は息切れをして、へたり込んだ。後ろから走ってきた誠君が叫んだ。「光は電灯みたいだ。動かない」。助かった。

 後ろを振り返ると、周りはもう真っ暗になっていた。100mは走ったらしい。線路の上を歩いて帰ろうとした。ところが足の裏が痛くて、歩けない。ジョージ君の草履は脱げ、裸足になっていた。線路にはガラスの破片が一面に落ちていたが、足裏を見てもカスリ傷1つなく、血も出ていない。

 無我夢中で走ったあの瞬間、一時的にヨガ行者のようになっていたのだ。人間は必死になると力が出る。不思議な体験をした。

 車はシャフトの圧力でデファレンシャルも曲がり、両サイドの車輪が内向きになっていた。ものすごい圧力がかかったのだ。フォード・フェアレーンは廃車にすべき状態であった。菅原さんの車も前が大きくへこんでいた。申し訳ないことをした。

 ホームステイの家に帰り、兄弟のなかで一番年上のジョンに相談をした。彼は、高校卒業後にメカニックをしていたという。ボランティアで修理をすると言ってくれた。車のジャンクヤード(廃車置き場)で同じタイプのパーツを探す。それが一番安い方法だという。

 結局、600ドルで中古のドライフシャフトとデファレンシャルを買い求め、2週間近くかけて、直してくれた。ジョンの労働時間はトータルで30時間を超えていた。彼は本当に親切だった。成功報酬を要求されもしなかった。

 ジョージ君はアメリカにきて以来、人の情けと、親切にすがって生きる日本人学生だった。日本にいるときは“人様の世話にはならない、自分の力だけで生きていく”と常に思っていた。しかし、アメリカでの暮らしの現実は、他人の善意と好意に依存するジョージ君の姿があった。その事実にぼうぜんとなった、

 やがて、この車は、また問題を起こした。1カ月後、トランスミッションが空回りして、高速道路を時速20マイル(約32km)でしか走れない車になり、何度もハイウエーパトロールにとめられた。その度に言い逃れをしたが、もう放ってはおけない。これ以上捕まると罰金だ。

 ジョンに頼んで、ジャンクヤードで中古部品を買って、修理してもらうことになった。トランスミッションは中古で1,200ドル。しかし、ジョンは修理道具や設備をもたなかったので、結局、ジャンクヤードの人に交換をお願いした。ここでさらに350ドルかかった。

 なんと、ホームステイの直前には3,000ドルあまりあったお金が、600ドルほどになった。ホームステイで食費も家賃もタダになったが、3カ月後には破産間近となった。運よく大学に入っても、これでは1回分の授業料だけで破産する。

 ジョージ君の人生で、こんなにお金も将来もない状態は初めてだった。もう、非合法でも働くしかない。何があっても、日本には絶対に帰れない。しかし、大いなる悲観は、大いなる楽観に通じる。非観し、どん底まで落ちれば、あとは這いあがれるような気がする。ジョージ君はフツフツとエネルギーが湧いてくるのを感じた。

 それにしても、もし、かなりのスピードで走っている最中に、ドライブシャフトが落ちていたら?100%死んでいただろう。やはり、ジョージ君はツイている男だった。

 ジョージ君はアルバイトをして、再び日本人の高橋さんから中古車を買った。5,800㏄の大型車、フォードのギャラクシーだった。10万kmを走っていたが、持ち主だった女性が新車で買って、大切に乗っていた車だ。中古車でも、いろいろな人が乗りまわした車より、シングル・オーナー車のほうが市場価値は高い。ときどき小さな問題で、修理工場に行くと、必ず言われた。

「この車はよくできている。何年ものだ?1969年の車か。ジョージ君、これはいい車だ。大切にしなさい」

 1969年7月20日、宇宙飛行士ニール・アームストロングおよびバズ・オルドリンがアポロ11号で月面着陸している。この時代がアメリカの技術と精神のピークとされるゆえんである。

 これ以後、アメリカ車の質は下がり、日本車に市場を席捲されるようになった。はじめからアメリカ車の質が悪かったわけでない。これ以前の車は、日本車の何倍も質が良かった。ジョージ君は、このギャラクシーを大きく修理することなく、最終的には20万kmも乗るのである。

(つづく)

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