ウクライナ戦争終結の方策

政治経済学者 植草一秀

 米国のトランプ大統領とロシアのプーチン大統領がアラスカで会談した。事前の告知通り、この会談で停戦の合意は形成されなかった。グローバル資本勢力のメディアは会談を高く評価しないが大きな意味のある会談だったと言える。

 プーチン大統領は「トランプが大統領であったなら戦乱は起きていなかった」と述べたが、これは事実であると言える。2022年2月24日にロシアは特別軍事作戦を始動した。これをグローバル資本勢力メディアはロシアによる軍事侵攻と表現してきたが一面的な評価に過ぎない。

 ウクライナ東部で内戦が生じており、東部2地域が独立を宣言し、ロシアは2国を国家承認した上で同2ヵ国と友好相互援助条約を締結。2ヵ国からの要請に基づいて国連憲章第51条が定める集団的自衛権を行使した。ロシアはこのロジックで特別軍事作戦を始動させた。

 この主張に対する反論が存在するが、ロシアがこの主張を示してきたのは事実である。グローバル資本勢力メディアはロシア側の主張を伝えずに、一方的に「ロシアによる侵略」と表現してきた。24年2月のロシアの特別軍事作戦始動に至る経緯を踏まえるとロシアの主張が一概に否定されるものではないことが分かる。

 ウクライナはかつてソビエト連邦に所属する共和国だった。ウクライナが独立したのは1991年8月。独立して34年しか経過しない歴史の浅い国家である。当初は親ロシア国家であったが2004年と2014年に、それぞれ政権転覆が生じている。

 政権転覆を主導したのは米国と見られる。米国は世界一極支配戦略の核としてウクライナでの親米政権樹立に執着し続けてきた。2014年に暴力革命によって政権転覆が図られた。この暴力革命により非合法政府が樹立されたが、この非合法政府をいち早く国家承認したのが米国である。

 樹立された非合法政府は「ウクライナ民族社会設立」を宣言し、東部のロシア系住民地域に対する激しい弾圧と武力攻撃を展開した。これにロシア系住民が抵抗してウクライナ内戦が勃発。このウクライナ内戦を収束するためにミンスク合意が制定された。

 東部2地域に高度の自治権を付与することで内戦を終結させる合意が成立した。東部2地域に高度の自治権が付与される場合、ウクライナのNATO加盟は消滅する。ウクライナのNATO加盟を防ぐことがロシアの最大の要請だった。

 ミンスク合意は国連安保理で決議された国際法である。ウクライナ政府がミンスク合意制定に動いていれば24年の戦乱は生じていない。しかし、ドイツのメルケル首相は、ミンスク合意がウクライナが対ロシア戦争への準備を行う時間稼ぎのものであったことを暴露した。ミンスク合意はだまし討ちだったのである。

 この間の経緯をノンフィクションで描いているのがオリバー・ストーンが制作した『ウクライナ・オン・ファイアー』https://www.nicovideo.jp/watch/sm42397460
このドキュメンタリーを視聴しなければウクライナ問題の本質を理解することは不能である。

 ロシアはウクライナのNATO加盟を死活的問題と捉えてきた。その上で、米国に対しても現実的な問題解決の現実的提案を提示し続けた。これを意図的に無視してロシアの軍事行動を誘発したのは米国である。

 ゼレンスキーは米国の傀儡政権として米国の工作にそのまま乗った。ウクライナ戦争は米国が仕組んで創作した戦争と言って過言でない。その総指揮者はバイデン前大統領だった。この意味で22年の米国大統領がトランプだったら戦乱は生じていないとの発言は正鵠を射ている。

 ゼレンスキーは昨年4月に任期を満了しており、現在は大統領としての地位に対する正統性を有していない。最重要であるのは戦乱の終結。これまでの経緯を踏まえると、現在の占有値を基準に停戦を実現させるしかない。戦乱の継続は新たな犠牲者を増やすだけだ。トランプとプーチンが主導してゼレンスキーを譲歩させる方向で停戦協議が遂行される可能性が高い。この方向で停戦が実現する場合、トランプはノーベル平和賞を受賞することになる可能性が高い。

 2004年の大統領選で勝利したのは親ロのヤヌコビッチだった。ところが、不正選挙であるとのクレームが提示された。不正選挙のクレームが表出されただけで再選挙が行われることは通常ない。ところが、2004年にはこれが強行された。そして、再選挙が行われるまでの間に、親米候補のユシチェンコが薬物中毒に見舞われる事態が発生。ユシチェンコ陣営は反対勢力による工作だと主張し、再選挙で同情票を集めた。結果としてユシチェンコが新大統領に選出された。

 薬物中毒は自作自演であった可能性が高いと見られる。しかし、親米ユシチェンコ政権の政治腐敗が深刻化して親米政権は崩壊した。2010年の大統領選で親ロのヤヌコビッチが勝利してヤヌコビッチ政権が樹立された。このヤヌコビッチ政権を転覆する工作が仕組まれた。

 2013年11月にウクライナはEUとの連携協定署名を先送りした。これを契機に大規模デモが仕組まれた。11月下旬には首尾よく新しいテレビ局が3局も創設された。すべては事前に周到に準備されたものだと考えられる。キエフのマイダン広場で挙行された市民活動は当初は平和的なものであったが、徐々に暴力的なものに変質した。その経緯を上記の『ウクライナ・オン・ファイアー』が綿密に追跡している。

 2014年2月にウクライナ政府とEUは協議によって合意に達した。大統領選を前倒しで実施することなどを決めた。これで問題は解決するはずだったが、その翌日未明にデモを暴徒化させる最大の工作が実行された。米国がネオナチ勢力と結託してデモに参加する市民とウクライナ警官を狙撃したと考えられる。これが引き金となって市民が暴徒化し、大統領は国外脱出に追い込まれた。

 このプロセスを経て非合法政府が樹立され「ウクライナ民族社会設立」が宣言されて、東部ロシア系住民地域に対する大弾圧が始動した。この「暴力革命」と現地で陣頭指揮したと見られるのがビクトリア・ヌーランド米国務次官補である。米本国での最高責任者はバイデン副大統領だった。

 バイデンおよびバイデンの子息はウクライナ利権に深く関わり、バイデン副大統領はバイデン利権を捜査しようとしたウクライナ検事総長の更迭を強要した。このことはバイデン自身が得意げにシンポジウムで表明している。

「バイデンが一番削除したい動画の一つ」
https://bit.ly/3wJ6IS7

 そのバイデンが2021年に米大統領に就任。2019年4月に大統領に選出されたウクライナのゼレンスキーは、当初、公約通りにミンスク合意を履行するジェスチャーを示したが、ウクライナの民族主義者の反発を受けて転向。その後、米国でバイデン政権が発足し、ゼレンスキー政権は米国傀儡政権と化す。その延長線上でウクライナ戦争が勃発するように米国とウクライナが誘導した。これが実態であると考えられる。

 米国の軍事産業は10年に1度、中規模以上の戦争が勃発しなければ産業規模を維持できない。米国から遠く離れた地で大規模な戦争を長期間創作することは米国軍事産業にとって必要不可欠なもの。この背景でウクライナ戦争が創作されたと考えられる。同時にこの戦争を通じてロシアのプーチン体制の打倒が目論まれたと考えられる。

 戦乱が拡大した22年の6月に「プーチン大統領が6月末までに辞任する確率は99%」とテレビでコメントした某大学教授がいたが、プーチンは現在もロシア大統領として活動している。専門家と称される者がいかにいい加減なものであるのかをテレビは検証するべきだろう。プーチンとトランプが主導して戦乱を一刻も早く終結させることが強く求められる。


<プロフィール>
植草一秀
(うえくさ・かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)代表取締役、ガーベラの風(オールジャパン平和と共生)運営委員。事実無根の冤罪事案による人物破壊工作にひるむことなく言論活動を継続。経済金融情勢分析情報誌刊行の傍ら「誰もが笑顔で生きてゆける社会」を実現する『ガーベラ革命』を提唱。人気政治ブログ&メルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。1998年日本経済新聞社アナリストランキング・エコノミスト部門第1位。2002年度第23回石橋湛山賞(『現代日本経済政策論』岩波書店)受賞。著書多数。
HP:https://uekusa-tri.co.jp
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