KBCラジオ 第29回「水と緑のキャンペーン」に出演して

 九州朝日放送KBCラジオの制作部女性Oさんから、5月2日に筆者あてに下記のようなメールが届いた。8月2日(土)の KBCラジオ第29回「水と緑のキャンペーン」特別番組についてである。

 「特別番組は『未来に残したいタカラモノ』をテーマにしており、まさに脊振山を次世代に残す活動をされている『脊振の自然を愛する会』の皆様と一緒に特別番組をつくりたいと思い連絡をさせていただいた次第です」とのことだった。

 内容的には背振ダム周辺から「ヤッホー」の掛け声をラジオに流したいとの趣旨だった。ダム湖周辺に背振少年自然の家が製作したパンフレットにヤッホーポイントが3カ所ありますという。筆者は背振ダムから「ヤッホー」と呼びかけても脊振の魅力は伝えられないと思った。

 メールが届いた数日後、脊振山周辺の散策の帰りに、後輩とダム湖周辺のヤッホーポイントにて対面の山に大声で「ヤッホー」と呼びかけてみた。

 わずかながら木霊が帰ってきたが、ラジオでは木霊の音を伝えられないほどの響きであった。とりあえず、ヤッホーポイントの支柱に赤テープでマーキングした。

 ゴールデンウイーク明けの5月12日(月)午前10時30分にアポをとり、KBCを訪問した。KBC九州朝日放送は勤務していたソニー第二ビルから200mの距離で熟知している建物である。ディレクター、スタッフの方々とは初対面だが、サラリーマン時は営業をやっていたので、臆することはなかった。

 あいさつを交わした後、筆者は「脊振の山頂から眺めたほうが景色も良いし、展望もきく。周辺にはブナ林もあり、歩くと自然をいっぱい体に浴びることができますよ」と脊振の魅力を伝えた。

 KBCには縁があって、2011年7月15日にKBCラジオの交通安全キャンペーンに出たことがある。脊振山系に道標設置活動をしていた最中であった。筆者の活動を知って女性のTディレクターから声がかかったのである。ラジオスタジオで録音があり、私と年配の劇団員の掛け合いの声が1週間、スポットでラジオから流れた。「池田さんな、脊振の山にみちしるべをつくったげなね!」「そう標識守って安全登山、信号守って交通安全、あはは。」といった内容だったと思う。

 KBCラジオは私の提案を受け、脊振山から中継することになった。6月4日(水)、現地の電波調査にスタッフ3名に同行することになった。脊振山頂駐車場にKBCのスタッフと脊振の自然を愛する会会員の数名が参加した。夏の日照りの暑いなか、Oディレクターを含む女性2人、男性1人の3人のスタッフが機材を抱え電波チェック。脊振山頂でラジオ送信のアンテナを立てテストを行う。

 脊振山頂は航空自衛隊の大きな白いレーダードームが青空に映え、山頂から福岡市東区方面の立花山、宝満山から若杉山の峰、遠くに英彦山、九重連山、雲仙が有明海に浮かんでいた。

 脊振山系の唐津方面には西日本エリアをカバーする羽金山の「はがね山標準電波送信所」のアンテナも見えていた。この電波送信所は東日本をカバーする福島県の「おおたかどや山標準電波送信所」とあわせて2本しかない日本の重要な設備であり、ともに電波時計の電波を送信している。

 脊振山から三瀬峠方面へ足を延ばし、縦走路を歩く。スタッフは小型の送信機とはいえ暑いなか、アンテナや機材を抱えて移動した。このとき、機材を入れるザックもなく、肩と手に機材を提げた姿だった。この姿を見かねて、放送当日は私の大型ザックと機材を広げるシートを貸すことにした。

 脊振山から1.5キロ 直線で200m先に見える気象レーダーは(970m)と小高く、緑の樹木に囲まれたピークである。このピークに脊振山レーダーより小型の白いドームがある。若い登山者たちは、このドームをサッカーボール、脊振山のレーダーをメロンパンと呼んでいる。なるほどドームを囲んだ網目の模様がそう見える。2つ合わせて親子のドームである。

 ここから、遊びで「ヤッホー」と叫んでみた。わずかだが木霊が帰ってきた。スタッフたちは、ここで「ヤッホー」とやろうと決め、送信アンテナを移動し、電波の届くポイントを探していた。

 その後、歩いて1時間近くの見晴らしの良い「唐人の舞」まで足を伸ばし、3度目の電波チェックを行った。脊振山から椎原峠への縦走路で登山者が立ち寄る場所である。縦走路から右手に少し足を伸ばすと大きな岩があり、そこに登ると博多湾の眺望が一気に目に飛び込んでくる。佐賀県が立てた新しいカラーパネルの説明板には日本にやってきた唐の人が故郷を懐かしんで唐の方向を向いて舞ったとある。スタッフは、この少し開けた場所で少しずつ移動して送信を試みた。一番素敵な場所から電波はKBCのスタジオまで届かなかった。

 素人考えで、ラジオの電波はどこからでも届くと思っていたが、山の尾根からはFM送信電波は届く場所と届かない場所があった。電波チェックの帰り道、スタッフは道標のメンテナンスの手伝いも放送で伝えたいと希望してきた。筆者は道々に道標が数カ所あります。スタッフは筆者が日本庭園と呼んでいる場所にあるNo6の道標が良いと希望した。この日、8月2日の本番で使える3カ所のポイントを確認できた。

 8月2日(土) 第29回KBCラジオ「水と緑のキャンペーン」 (テーマ:未来へ残したいタカラモノ、放送時間:午前11時~午後1時55分)の本番当日。脊振の自然を愛する会の会員6名、脊振の山で出会った「あぶらぶらぶらクラブ」(以下、あぶらクラブ)のK親子3人とH親子2人の5名、総勢11名が脊振山からのラジオ中継に参加することになった。

 計画では脊振山駐車場に午前10時集合であった。筆者は準備万端で早めに自宅を出た。車を20分走らせたところで、車が軽く感じた。信号停車中に後部座席を振り向くとマンションの出入り口に用意していた登山靴、その他グッズを積み忘れていたことに気がついたが時すでにおそし。今日の山道歩きはスニーカー、保冷用パックはお茶を頼んでいた店で借りようと腹をくくった。

 スキー仲間でもあるSとJAワッキーの店で待ち合わせをしていた。よく利用するこの店で発泡スチロールの箱を借り、冷えたペットボトルのお茶20個と凍った保冷剤用の凍ったペットボトル5本をもらい、発泡スチロールの箱に入れ脊振山に向かった。カーブが続く県道136号から曲がりくねった山頂へと続く自衛隊専用道路に車を走らせること30分、脊振山駐車場に到着した。時間は集合時間より30分早い午前9時30分だったが、すでに仲間がきていた。

 筆者は登山地図アプリを準備しようとスマホを出した。すると画面が真っ黒、仲間も回復方法をスマホで調べてくれるが、復活しない。この日、スマホを使うのはあきらめた。

 集合時間になってもKBCの車が来ない。筆者の車のラジオでKBCの放送を流していた。ラジオからは「今から脊振へ向かいます」と、MCであるノボせもんなべ(人気のピン芸人)の声、今から間に合うとかと心配した。

 10分遅れでKBCスタッフ5名の車が到着した。しかし。参加予定のあぶらクラブの車が来ない。脊振山頂は目の前、歩いて10分なのでメモを残して出発しようと決めていた。

 事前に番組内容の原稿はメールで届いていたが、改めて女性ディレクターからバインダーに留められたタイムテーブルを手渡された。あぶらクラブも15分遅れで着いた。渋滞に巻き込まれたのだという。一安心する。

 放送内容のポイントは下記であった。

①脊振の自然の魅力
②脊振の自然を愛する会の活動や道標設置の経緯
③道標のメンテナンス手伝い。

進行内容
№1脊振山頂から脊振の展望の説明
№.2気象レーダーを目の前にした地点から「道標設置事業の説明」「ヤッホー」を山に向かって行う。あぶらクラブの子どもたちへインタビュー
№.3 縦走路途中の開けた地点で日本庭園と呼んでいる場所の説明
№.4道標のメンテナンス(文字のペンキ入れ)を手伝う

 全員が揃い、簡単な朝礼を済ます。必要な荷物以外は車に置いて一同は脊振山へと向かう。気温は市街地より5度低いが、太陽の日差しが体に差してくる。山頂へ向かう皆は楽しそうであった。

 第1回目の中継時間は午前11時5分からである。前回同様、山頂は青く澄み渡り、目の前の航空自衛隊の純白のレーダードームが青空のなかに映えていた。だけど遠望の山の峰々だけは雲に覆われていた。

 そのなかで、雲仙岳の頂が雲のなかにぽっかりと姿を見せていた。中継では脊振山から見渡せる山々を情景豊かに伝える予定であった。山頂はスタッフや参加者のほか、登山者たちで賑わっていた。

 そんな中、KBCスタッフはスタジオと放送準備のやり取りをスマホで行っていた。放送3分前、N女性ディレクターがスケッチブックを開いて私に見せる。

 MCのナベさんは大きな声で

ハッピーアワーの企画は『脊振の自然を大満喫!ノボせもんなべの案内パーン!』です!
私は今、福岡市早良区と佐賀県神埼市にまたがる、日本三百名山の1つ、脊振山(せふりさん)の頂上にきています!標高はなんと1,055m!今日は天気が良いので景色が最高です、パーン!!今日はこれから、脊振山を未来に残すために活動している「脊振の自然を愛する会」の代表・池田さんと一緒に、案内パン、いや案内板の修繕をしながら、脊振の山を散策します。

 「脊振の自然を愛する会 代表の池田です」。早口であった。山頂から見える脊振ダム、五ケ山ダム、天山の峰が見えると伝えた。原稿通りに脊振山から見える山々の光景は雲で隠れてリスナーに十分に伝えられなかった。筆者はMCナベさんの大きな声に圧倒されていた、反省しきり。

脊振山から生中継 MCはノボせもんなべさん
脊振山から生中継 MCはノボせもんなべさん

 №1の中継が終わり、全員、次の中継ポイントへ移動する。脊振山頂の階段を早足で駐車場へ駆け下り、車にある道標のメンテナンス道具を取り出し、急ぎ足で次の中継地点へ向かった。

 このままでは2回目の中継時間に合わない、「走りましょう」と全員に声をかけた。KBCの若いスタッフは重い機材を入れた緑のリュックを揺らしながら掛けていた(リュックは筆者が貸与)。

 最後尾の高齢の筆者たちも小走りで急いだ。筆者は昨年秋に圧迫骨折で腰を痛めている。腰への負担がない「なんば走り」で先頭を追いかけた。なんば走りとは江戸時代に飛脚が行っていた走り方で、体に負担なく何キロでも走ることができる走法である。「池田さん、早いですね間に合いましたね。とても81歳とは思えませんよ」と2回目の中継地点で機材の準備をしていたスタッフたち。

 夏の太陽の日差しが強い。中継時間を待つ会員のサポートメンバーは日傘の下や木の陰で待機していた。筆者の脊振との関わりのインタビューが終わり、あぶらクラブの子どもたちへのインタビューが始まる。

 メモ帳に準備したK君がスプリング・エフェメラル(春にいち早く咲くイチリンソウ、ニリンソウ、ジロボウエンゴサク)などの魅力と自然環境の変化について答えていた。小3女子のSは向けられたマイクに恥ずかしそうに首をすぼめ自分の名前と学年を告げた。

 「あぶらぶらぶらクラブ」は福岡市の油山で自然観察を行っている子どもクラブで、昨年、成果発表で環境大臣賞を受賞、1月前にKBCラジオでもインタビューを受けていた。7月末には大阪万博会場で活動発表をしたばかりだ。

全員でヤッホー
全員でヤッホー

 「ヤッホー」と緑の樹木いっぱいで小高い山にある気象レーダーの方に向かって試してみる。ここでの中継は何度か送信アンテナを移動してみたが、前回は送信に成功したのに、この日はKBCスタジオへは電波が届かず、スタッフは急遽スマホで中継した。 筆者の耳に入れた放送用のイヤホンからのラジオ音声は電波が何度か途切れていた。

 集音マイクではないので「ヤッホー」の響きが拾いにくい。何度か試した後、みんなで「ヤッホー」をやろうと筆者が声をかけた。全員大声で「ヤッホー」。スタジオにもわずかに聞こえたようである。夏山の情景を伝えられてよかった。坂の下にいると登山者から偶然「ヤッホー」と帰ってきた。みんな笑った。

ヤッホーポイントでインタビューに応じる「あぶらぶらぶらクラブ」のK君(中1)
ヤッホーポイントでインタビューに応じる
「あぶらぶらぶらクラブ」のK君(中1)

 スタッフたちと山道を歩きながら脊振のブナの魅力について語った。春に咲くミツバツツジのトンネルはトトロの森のようだ。トンネルを出ると突然視界が開ける。脊振では唯一日本庭園と思われる場所だ。

 脊振山から1.5km、標高約950m 脊振山と椎原峠の通過点にある休憩ポイントでもある。ここから脊振山のレーダードーム、気象台のレーダードームがツインで並んでいる。佐賀県は有明海、筑後川、そのうえに雲仙岳などの眺望が楽しめる。この日は山頂から見た景色同様、霞んでいた。3回目の中継は、この場所の説明になっていた。だが言葉が浮かんでこない。筆者は完全に認知症のような状態であった。女性会員のSにもマイクが向けられた。「自宅から見える身近な場所が脊振の魅力です」と緊張気味の声で応じていた。

 4回目は、スタッフと子どもたちが道標№6の文字をペイントで修復する様子を中継。会員Wが道標の板をタワシで擦る音が聞こえていた。標識の板をきれいにしてペンキを塗るのである。

真剣に道標の文字を修復する「あぶらぶらぶらクラブ」の子供たち
真剣に道標の文字を修復する
「あぶらぶらぶらクラブ」の子供たち

 子どもたちにインタビューするMCナベさん、「話しかけないで」とペンキの筆をもち、真剣な目の子どもたち。MCナベさんはKBCスタッフの男女にも道標メンテの感想を聞いていた。若くて流暢な声が弾んでいた。さすが放送局のスタッフだなと感心した。

 すべての中継が終わり、あぶらクラブの子どもたちは時間の都合で駐車場へ戻って行った。残ったスタッフと会員は縦走路のトトロの森に入り、昼食を取った。持参した疲労回復のサプリメントを全員に配り、すぐ服用するよう促した。このサプリは乳酸が出る前に服用すると疲れが出にくい。

 脊振山系からの中継がすべて終わり、会員とMCのナベさん、ディレクターのNとで唐人の舞へ向かった。ナベさんは山のスケッチをし、自宅で絵を描きチャリティへ出品するという。個展をするほど絵がうまいらしい。会員たちは唐人の舞の近くの道標NO.6-1の手直しであった。

 すべてが終わり、駐車場へ向かった。会員3人は戻る途中、8月に咲くオニコナスビを見に矢筈峠から下って行った。筆者たちは脊振山の駐車場に戻り、山開きで配布した過去のタオルをKBCスタッフにプレゼントした。

 KBCスタッフが早々にタオルを広げ、KBCの車の前で会員たちと記念写真を撮ってくれた。この参加者もKBCスタッフも全員、達成感で溢れていた。筆者は暑いなか、仕事といえKBCスタッフはよく働くなと感心した。ここで解散した。

 筆者とスキー仲間Sは私の車で山道を下った。帰りにJAワッキーに立ち寄り、ソフトクリームを食べ。一息ついた。Sは「今日は楽しかった」と言い、その後、別れた。楽しい夏の一日であった。

 この日は、筆者以外にもいろいろなアクシデントがあった。あぶらクラブの母親が2回目の中継地点へ走っている途中に転び、手を擦りむく。日本庭園と呼ぶ場所で、あぶらクラブのK君が前日の寝不足と疲れから鼻血を出す。救急セットから湿布を出すやら鼻血の手当てをするやら、筆者の動画カメラはバッテリーが膨張して交換できず、久しぶりに使った小型デジカメはピント不良と、トラブル続きだった。筆者は多忙のなかでインタビューを受けていた。

 後日、企画を立てたKBCの女性ディレクター・Oさんから「放送で脊振の魅力を十分に伝えられました」とのメールが届いた。

 友人たちからも「良い放送だった」と好評だった。思っていた半分も放送では伝えられなかったが、自分としては80点だったと思っている。

 後日、計画をしたKBCのO女性ディレクターから「放送で脊振の魅力を十分に伝えられました」というメールが届いた。筆者は翌日、インターネットラジオ(ラジコ)で放送を聞いた。私の写真集「すばらしき脊振の四季と絵葉書」3セットをリスナープレゼントで提供したが、応募者はあっただろうか。

 放送では、最後のオークション部門ではTシャツが10万円を超えた値がついていた。この日のオークションで集まった金額はすべて脊振の自然を愛する会へ寄付される。2008年にたてた道標も痛み出したので、支柱の入れ替えが必要となっていたところである。ありがたいイベントであった。

 今回のテーマ:「未来へ残したいタカラモノ」は、筆者にとって脊振山からのラジオ中継と同行してくれた「あぶらぶらぶらクラブ」の子どもたちだ。すばらしいイベントに声をかけていただいたKBCラジオの皆様、サポートとして参加してくれた会員たち、あぶらぶらぶらクラブの親子の皆様、ありがとうございました。

─感謝─

脊振の自然を愛する会
代表 池田友行

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