以前から気になっていた。「認知症の人は何を考えているのだろうか」ということ。認知症に関する単行本は三桁を超えていると思う。でも大半は、「認知症という病気」「認知症にならない方法」「抗認知症薬について」「認知症当事者の接し方」のような項目ばかり。肝心の当事者の話は、若年性認知症のカミングアウトした本や講演会が出始めた程度。認知症当事者に寄り添った社会は本当に可能なのだろうか。
カミングアウトした女性は稀有な例
URの空き店舗を利用した高齢者の居場所「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)は昨年3月までで閉め、場所を私が住む公的な住宅の集会所を借り、「サロン幸福亭」と改称して再開した。当初の理念の1つに「認知症当事者への支援」があった。注目すべきことは、香川涼子(仮名)さんという常連の高齢者が、自分が認知症になったということをカミングアウトしたことだ。すると自発的に常連が香川さんの生活全般を支援しはじめたのである。利他(他人の利益のために動く=ボランティア)を不得意とする住民にしては異色の“事件”だった。
このことを2019年に「ぐるり」が主催した講演会で、桜井政成(立命館大学政策科学部教授・当時)が、「香川さんって、なんて強い女性なんだろう。1人で生きていくしなやかさ、したたかさを身につけた女性なのか。自分に自信のない人は、ヘルプすら出せません。『助けを求める』には、自分は助けてもらえるだけの価値が(他人にとって)ある、という自己認識が必要で、自分の存在など他人には『路傍の石』みたいなものだろうと思っている人間にはかなり(ハードルの)高い行動なのではないでしょうか。要は、助けられる覚悟が必要なのです」と彼女のカミングアウトを教授は高く評価した。
結局、香川さんは施設に入所することになるのだが、「送別会を開きたい」という私の申し出に、「見送られることは好きではありません。人知れず入所します」といい、ある日忽然と姿を消した。彼女のプライドは認知症をオープンにし、この先迷惑をかけることを許してほしいと宣言したことだ。実に端然とした女性だった。認知症になることは、それまで生きてきたすべてを忘れ、まるで人間失格の烙印を押されるというイメージがある。はたしてそうだろうか。認知症になっても失われないものがあるという。それが「誇り(プライド)」である。
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』のいいたいこと
数年前、ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を観た。認知症になった監督の母親(87歳)を、父親(95歳)が介護。その日常を赤裸々に活写したドキュメンタリーである。監督である娘の信友直子はパンフレットで、「認知症の人はぼけてしまったから病気の自覚もないのでは? と思う方もいるかもしれませんが、実は本人が一番傷ついています。昔できていたことがどうしてできないのか、自分はこれからどうなっていくのか、不安や絶望でいっぱいなのです。私自身、母が認知症になって初めて、認知症の人の複雑な胸のうちを知りました」「父と私の間には連帯感が生まれたし、大して仲が良かったとも思えない両親の間には、娘すら入り込めない絆が生まれました。そういう意味では、認知症の家族を抱えることは必ずしも不幸なことではなく、新しい発見をさせてもらえるギフトだと捉えることもできそうです」という言葉に感動した。
「認知症カフェ」は
当事者が参加する場所ではなくなった
『認知症の私から見える社会』(丹野智文 講談社+α新書)を再読した。13年、若年性アルツハイマー認知症と診断された著者が受ける世間の目について赤裸々に告発している。「認知症の当事者が『どうしたいのか』を自分で決めて選ぶのが一番なのに、自分で決めることができないというようなおかしなことになっています」と疑問を呈する。小見出しを並べてみる。それだけで十分筆者の言わんとする気持ちが理解できる。
「家族から車に乗らないで、きつく言われ、車やカギを隠されて免許証を奪われた」「認知症になってから言われ方がきつくなったと感じる」「やることなすこと危ないといわれる」「『忘れたの?』『さっきも言ったでしょ』『また』。これらの言葉がいちばん嫌な言葉」「家族が先生(医師)と話をしているが全然自分の考えと合っていない」「当事者抜きの支援」「当事者と話をしない支援者」「病名でなく目の前の人を見てください」など。
「認知症カフェ」というのは認知症当事者と家族を支援することを目的に12年から国の認知症施策の1つとして始められた。その目的は、認知症当事者を「支える」「支えられる」という自由な関係のなかで、当事者や家族、地域の人たちが気軽に立ち寄り話し合い、専門職にも相談できる場所のはずが、以前からあった「『認知症家族の集まり』という、介護の大変さを共有する場所」という認識のなかに「認知症カフェ」を取り込んでしまった。確かに介護の大変さを共有することで気持ちが楽になるというのは理解できる。しかし、「介護者の絆」を強く意識する場所に当事者をともなって訪れたらどうなるだろう。著者がいう「そこ(認知症カフェ)に当事者の居場所がありません」となる。介護する家族同士の話ばかりで、肝心の当事者は置いてけぼり状態だ。実際、「当事者が来ない」というカフェが多い。家族の困りごとを相談する場所ではあっても、当事者の困りごとを解決してくれる人がいない。
介護保険を申請する。サービスの提供を受けるには避けて通れない。ケアマネージャーに介護保険のサービス利用のためのケアプランを作成してもらう。このとき、ケアマネは家族の意見だけで作成してしまう。当事者としての意見は完全に無視される。医者もそう。診察初期に、「長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」(認知症における知的機能を採点する方法)を当事者に対して行う。「百から七を引き続ける」「イラストを見せ、何が描かれてあったか」などの設問に答えさせる。二十点満点で、点数が低いほど認知の度合いが低いとされる。目の前にいる当事者の認知度を計り、家族に伝える。医者は家族の方ばかり見て話を聞くが、当事者への話を聞くことはほぼない。ここが問題なのだ。健常者でないと人間ではないとでもいうのだろうか。
認知症改善薬として抗認知症薬がある。主に「アリセプト」「リバスタッチパッチ」「レミニール」「メマリー」の四種類が使われている。とくにアリセプトの使用頻度は高く、「とりあえずアリセプト」というのが医療機関の合言葉になったほどだ。人気のアリセプトは飲み始めると、そこで進行が止まるといわれた。しかし、実際には飲み続けても穏やかに進行する。確かに一部の人には一年間ほど進行速度を遅らせる効果はみられるものの、その後の効果は期待できない。効かないから飲むことをやめると、飲まなかったのと同じ状態に戻る。副作用も深刻だ。易怒(いど:病的な怒り)を引き起こす。興奮して暴れたり、介護を困難にさせたりする場合が多い。さらに下痢をともなう食欲不振を引き起こす場合がある。「ぐるり」の常連だったTさんにアリセプトを服用してもらったところ、極端な下痢と食欲不振に陥り、社協のCSWと私とで救済したという“事件”があった。
長寿者が少ない中世期には、「老人そのものが、人びとの願望であった長寿を具現しているというだけでなく、老人が世俗におけるいろいろな規制から解放された自由な身であり、経験の積み重ねによって得られた老いの知、そのうえに醸成された将来を見通す知、相対化して対象を見ることのできる目、あるいは総合的な見地から判断が下せる全体知といった、一般的には神の属性と思われるような畏敬すべきものを、老人がもつと思われていた。(『痴呆老人の歴史』新村拓 法政大学出版局)という時代があったのである。100歳時代を迎えるにあたって、認知症当事者の存在はますます薄くなるばかりだ。
※参考『認知症をつくっているのは誰なのか』(村瀬孝生・東田勉 SB新書)
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。