繁栄の30周年 1965年から95年
シリーズ④で「第二の繁栄はこないのか」ということを論じてきた。ただし、あのテーマは文明論という広い意味での議論だった。経済という希少な領域に限定すれば「再生、第二の繁栄」は十分にあり得る。日本の例を取れば、1945年8月の敗戦で国家は壊滅的状況に陥った。ゼロからではなくマイナスからのスタートだったのである。④で既述したように、政治家・役人・国民が一丸となり再生に打ち込んだ。その努力の結果、敗戦から20年を経た1965年には「三種の神器」ブームが始まった。車・テレビ・洗濯機・冷蔵庫が爆発的に売れ、戦後の消費社会が一気に立ち上がった。筆者はこの1965年を「繁栄のスタート」とし、そのピークを1995年と規定する。
象徴的だったのは1989年10月の出来事である。三菱地所がニューヨーク・マンハッタンの「ロックフェラーセンター」を買収した。買収額はおよそ2,200億円。その後、不動産市況の悪化により、地所は巨額の損失を被った。数字に関しては「1,500億円の損失」といった単純な表現では収まりきらず、実際には1990年代半ばの破綻・再建過程で数千億円規模の損失に発展した。しかし当時の日本社会は拍手喝采だった。「アメリカの力は衰えた、日本はついに追い抜ける」といった過信や傲慢さが目立つようになったのも事実である。他方で、「アメリカ人が『サル』と日本人を呼んだ」といった表現は確認できる史実ではなく、差別的な感情の比喩的誇張と理解すべきである。だが、米国社会に強い警戒心や反発が広がったこと自体は歴史的事実である。
現在から振り返れば、当時の空気は「1941年12月の真珠湾攻撃」にもなぞらえられる。つまり「日本を叩き潰せ」という世論が米国内で盛り上がったという意味である。もちろんこれは筆者の比喩だが、事実として1980年代後半から90年代初頭にかけて米議会・政府では「日本脅威論」が繰り返し語られた。貿易摩擦、スーパー301条、日米構造協議など、日本に圧力を加える政策が次々と実行に移された。44年間積み重なった鬱屈が晴れたかのように、日本のバブル景気を羨望しつつも敵視する感情が噴出した。日本国内でもロックフェラー買収に酔いしれ、無邪気に喝采する風景があったのも事実だ。米国の支配層にすれば「日本を放置すればリスクが高まる」との危機感が高まり、対日戦略が強化されたのである。
筆者は自ら触れた事例として、福岡県出身の徳山氏(仮称)を紹介する。彼は米国留学後にゼネコンに勤務し、やがて米国籍を取得した。1990年、日本への赴任を命じられ、その任務が「日本のゼネコンを潰すこと」だったという。米政府のリサーチでは「日本経済の弱点は公共事業依存であり、ゼネコンを叩くことで日本全体を弱体化させられる」との結論に至っていたという。徳山氏がその尖兵役を担わされた、というのが筆者の見立てだ。実際に1990年代、米国は「日本の公共事業に国際企業を入札参加させろ」と強く要求し、日米建設協議を通じて市場開放を迫ったことは事実である。ここは史実で裏付けられる部分だ。ただし、個人の「任務」として描かれる部分は徳山氏独自の証言であり、史料的裏付けは確認できない。
筆者は「ゼネコン叩きによる日本弱体化の戦略は思ったほどの効果を上げなかった」と総括する。ただし恐ろしいのは、日本がアメリカの実質的な従属国である以上、少しでも厄介な存在になれば徹底的に叩かれる、という習性である。「繁栄の30年」が短命に終わった原因の1つにアメリカの策謀があったことは忘れてはならない。
外務省をめぐる事例もある。米国の最大の統治目標は「日本精神の壊滅」にあり、教育や価値観を骨抜きにして米国化を進めてきた──これは筆者の解釈だが、外務省の人事運営に米国従属が色濃く作用してきたことは事実である。ある老練な外交官(大使経験者)が生前、米国一体化には批判的であったため外務省内で冷遇されたという話を本人から聞かされた。外務省OBによれば「1990年頃までは米国批判も一定程度許容されたが、それ以降は徹底的に抑圧されるようになった」と語られている。戦後45年を過ぎ、職員の大半が「アメリカの植民地時代」を当然視する世代となり、「日本国益より米国優先」が行動規範となったのである。
日本政治に関心のある者であれば周知の通り、米国の日本支配の中枢は横田基地にある「日米合同委員会」とされる。この委員会には外務省・防衛省・財務省の幹部が出席し、日米関係の幅広い課題を調整している。ここでの合意が国会の議論よりも実際的に優先されることが少なくないのも事実である。ただし、法的に国会より上位に位置するわけではなく、あくまで運用上の影響力が大きい、という整理が必要である。
安倍元首相もアメリカの圧力に屈する
安倍元首相の辞任理由について、本文では「横田基地で武器購入や資金供出を迫られた」と記されている。だが、公的に説明された理由は「潰瘍性大腸炎の持病悪化」である。従ってこの件は事実として確認できず、筆者の推測や伝聞の域を出ない。ただ、安倍政権下で米国から多額の防衛装備購入や対米投資の要請があったのは事実である。
結論として、戦後日本の「黄金の30年」はたしかに1965年から1995年にかけて存在した。高度経済成長からバブル期までの繁栄は揺るぎない。しかし、その後のバブル崩壊、長期不況、金融危機へと続いた背景には、アメリカの対日圧力だけでなく、日本社会内部の構造的な問題(人口動態、バブルの過熱、規制の硬直性)が大きな要因として存在した。アメリカの関与を「日本潰し」と呼ぶかどうかは立場によって異なるが、対米従属構造が繁栄の持続を阻んだ一因であることは否定できない。最後に問うべきは、どの政治家がアメリカと真正面から向き合う胆力を持ち得るのか、という点に尽きる。