既成政党が淘汰される(4)時代の制約

国家の再生、第二の繁栄期はこないのか

国会 イメージ    「日本国家の再繁栄はもうないのか?」という設問を繰り返し思考している。①人口減少、②政治の腐敗などを考察すると、再生どころか「存続すら可能なのか」という悲観論に陥る。世界文明を極めた古代エジプトは中世にはイスラム帝国の支配下に入り、近代にはイギリスの植民地に組み込まれた。今日に至るまで往時の輝きを取り戻してはいない。ヨーロッパ文明の基盤を築いたイタリアも、かつての栄光からは遠く、経済規模・政治力ともに主要国の地位から後退した。スペインやポルトガルも同様である。文明や国家の「再繁栄」が困難であることは歴史が示している。

 「第二期繁栄期は来ない」という命題に抗する兆しを見せている国として、中国とインドを挙げられるだろう。日本の場合、1868年の明治維新を契機に天皇制の下で資本主義を発展させ、列強の一角を担った。しかし77年後の1945年8月には敗戦国となり、米国の占領下に置かれた。以後80年近く、米国の影響下にある「実質的な属国」と見る論者もいる。明治から敗戦までの政党政治は、最終的に大政翼賛会体制に収斂し、民主主義には至らなかった。

米軍統括の民主主義政治形態

 45年9月、連合国軍最高司令官マッカーサーが日本占領を開始した。天皇制は「象徴」として存続させつつ、議会制民主主義に基づく政治制度を導入した。保守政党、社会党、共産党などが乱立するなか、朝鮮戦争期(50年以降)には共産党が弾圧され、米国は保守勢力の育成を重視した。55年には自由党と日本民主党の合同により自由民主党(自民党)が誕生し、これが戦後日本政治の骨格となった。

70年続いた現政治体制

 米国は55年体制を通じて「独立日本」という表向きの体裁を整えた。5年後の60年には日米安保条約改定が控えており、独立国のかたちを整える必要があった。安保改定反対闘争は、戦後最大級の国民運動となった。

 60年代以降は、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫といった指導者が首相に就き、戦争回避と国家再建を共通の理念とした。優秀な官僚の支えもあり、1970年代にかけて高度経済成長を成し遂げ、経済大国の道を切り拓いた。

危うい自民党体制の揺らぎ

自民党 イメージ    自民党体制の強固な支配は93年まで続いたが、細川護熙率いる日本新党の登場で一時的に下野した。小泉純一郎政権(2001〜06年)は「自民党をぶっ壊す」と唱え、従来の自民党像と異なるスタイルで5年以上政権を維持した。

 その後は短命政権が続き、09年の衆院選では民主党が政権を奪取した。しかし12年に自民党が政権を奪還し、第二次安倍政権が約8年間続いた。この長期政権を「栄光の自民党復活」と評価する声がある一方、「アベノミクスが日本の格差を拡大し、国民を貧困化させた」との批判も強まっている。

銭ゲバ政治集団=安倍派

 アベノミクスは大規模な金融緩和による低金利政策を柱とした。結果として企業収益は改善したが、内部留保が優先され、賃金や消費の拡大にはつながらなかった。実質的にデフレが長引き、庶民の生活は改善しなかった。庶民にとっては緩やかなインフレこそが実質所得の増加につながるが、その機会は奪われた。

 こうした政策が8年間続いたことで「我々はこの経済政策に苦しめられた」という認識が広がり、自民党の選挙敗北につながった。さらに長期政権下で安倍派は「自民党の中枢」を自認し、金権体質を強めた。国会議員の使命を「金を集めること」と勘違いし、生活苦にあえぐ国民を軽視した。その驕りに対し、有権者は厳しい審判を下したのである。

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