竹原信一緊急寄稿(9)日本国民への警鐘~「傷の共同体」と真実への回帰

阿久根市議会議員 竹原信一

 中央政界が新たな転換点を迎え、政治構造が大きく揺らいでいる。そんななか、かつて鹿児島県阿久根市政を刷新し、地方から政治のあり方を問い続けた竹原信一氏から緊急寄稿を頂いた。

 日本の民主主義の在り方に大きな疑問符を投げかけてきた異色の元市長が、中央政界の激変に直面した日本国民に向けたメッセージを、連載してお届けする。

 私たちはいま、見えない病のただなかに生きています。それは肉体ではなく、精神の病です。誰もが小さな傷を抱え、その痛みを覆い隠すために、「他人の目」に自らを明け渡してしまった。

 その傷は、失敗の記憶であり、恥の記憶であり、拒絶や孤独の記憶であり、ときに教育や組織のなかで植えつけられた恐怖の記憶でもあります。私たちは、もう二度とあの痛みを味わいたくないという恐怖から、真実を避けるようになったのです。

 真実に触れれば、再び傷が疼く。だから、誰もが沈黙を選び、「空気を読む」という名の防衛本能を磨き上げてきました。その結果、社会は「本音を語る者を嫌う」構造に変質しました。

 正直に語る人、矛盾を指摘する人、見えない力に「それは違う」という人。彼らはたちまち「異端」や「厄介者」とされ、排除されます。それは個人の悪意ではなく、集合的な自己防衛です。誰もが心の奥で「もうこれ以上、壊れたくない」と怯えている。

 この怯えが、国家の仕組み、教育、宗教、メディア、あらゆる制度の奥深くにまで浸透しています。見せかけの調和、無痛化された言葉、感情のない正しさ──それらが社会の「常識」と化している。

 この状態は、心理学的にいえば集団ヒステリーであり、政治的にいえば迎合社会です。互いが互いの表情を読み、正気を保つために嘘を共有する。それを「平和」や「思いやり」と呼びながら、私たちは実のところ、自分の傷を見つめることから逃げているのです。

 真実を語る者は、必ず孤立します。しかしその孤立は、病のなかでの孤立ではなく、治癒への第一歩です。沈黙と孤独のなかにこそ、人は再び「感じる力」を取り戻します。他人の評価に怯えず、傷を恥じることなく、それを「人間の証」として抱くとき、ようやく真実への道が開かれます。

 私たちが求めるべきは、「強い国家」でも「賢い制度」でもありません。痛みを直視する勇気です。そして、痛みを共有できる誠実な対話です。他人の目に合わせることではなく、他人の心に触れること。その違いを、私たちは取り戻さなければなりません。

 私たち日本人は、長く「恥の文化」とともに生きてきました。しかし恥とは、決して悪ではありません。それは人間の良心の最後の灯りであり、真実へ戻るための扉です。いま、その扉を再び開く時がきています。誰かが先に立たねばなりません。傷を隠すのではなく、傷のまま語ることが、この国を癒す唯一の道です。

(つづく)

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