日本の排他主義(2)

福岡大学名誉教授 大嶋仁

愛国主義

 私が子どものころ、「愛国主義」といえば恐ろしい響きがあった。「愛国」を叫ぶ右翼は暴力団のように思われた。そうしたなかで、日本社会党の党首・浅沼稲次郎が愛国主義者の山口二矢に暗殺されるという事件があった。「愛国主義は怖い」という印象は、ますます強まった。

 浅沼を暗殺した山口は右翼思想の信奉者で、大日本愛国党の党首であった赤尾敏を尊敬していた。その赤尾であるが、学生時代に彼の街頭演説をナマで聞いたことがある。1970年ごろのことで、東京渋谷駅のハチ公像の前であった。

 赤尾の演説には思わず引き込まれた。声がよく通り、話術が巧みだった。「この人は筋金入りだ」と思わせる迫力があった。

 彼の愛国主義は昨今の自称愛国者のような「生理」的かつ「排他」的なものではなかった。反共主義と天皇制護持という明確な思想がそこにはあった。「日本人の魂は天皇制に依拠しており、これがなくなれば日本はなくなってしまう。ソ連のような社会主義国は天皇制の敵である。だから、ソ連と対峙するアメリカと組むことで、日本は天皇制を守れるのだ」これが私の聞いた演説の主旨だった。

 戦前の赤尾は社会主義者として出発し、一時は天皇制批判までしたほどの左翼だったという。ところが投獄されていろいろ考えた末、「社会主義は間違っている、天皇制こそ守らねばならない」と思うようになったのだそうだ。戦時に敵国であった英米を支持し、社会主義国ソ連を目の敵にしていたというから本格的天皇崇拝者である。戦後になっても、その姿勢は変わらなかった。

 戦後は米ソ対立の時代であったから、赤尾にとっては持論展開の機会が増えたことになる。私が大学生のころは大学も左翼学生だらけだったから、赤尾はある種やりがいがあったに違いない。だが、赤尾が世を去るころには冷戦構造も終わっていた。その後の時代は、赤尾のような愛国者も「左翼学生」も見当たらない時代なのである。

 そういうわけだから、現代における愛国主義に思想の核がなくても驚くにあたらない。如何なる主義も擬似的な装飾、すなわちフェイクの時代なのだ。自称愛国者は不満解消のために「愛国」を掲げるが、国が愛の対象となることは決してなく、自信をなくした自己のみが愛の対象となる。

皇居 イメージ    赤尾敏の主張についていま思うのは、「愛国者なのに、どうしてアメリカにあれほど親愛の情を抱いていたのか」ということだ。愛国者なら米軍基地が日本のあちこちにあることに反対し、あるいはまた原爆を投下したことを責める一言があってもよかったはずだ。ところが彼は、ソ連を悪の元凶であると叫び、アメリカを善玉にしていた。そこが納得できないのである。

 しかし、先にも述べたように、日本が米英を「鬼畜」と見なしていた戦中にあっても、彼は米英支持者だった。彼には米英には勝てないという思いがあったのか、それとも米英なら天皇家を容認できるという思いがあったのか、これは調べてみないとわからない。

 いずれにしても、ソ連は天皇制を潰しそうだから要注意だ、そういう思いがあったのではないだろうか。

 ところで、ソ連は天皇制を認めないだろうという危惧は、赤尾だけでなく、戦争末期の日本の政治家にはあったようだ。昭和天皇もその危惧をマッカーサーに表明している。日本がポツダム宣言を受け入れたのは、広島・長崎の原爆のせいではなく、ソ連が日ソ不可侵条約を破って日本に宣戦布告をしたことによるという説もある。日本政府が天皇制を守るために無条件降伏を選んだのであれば、赤尾と同じ論理に立脚していたことになる。

 戦前の日本において、否、戦後のある時期まで、社会主義は魅力ある思想の1つだった。誰しも社会的な平等は望ましいと思うし、どのような人間にも最低限の生活は保障されるべきだと思うから、社会主義が「正義」であると思われても不思議はない。

 しかし、社会主義は人類の基層にある私欲を否定するから、どうしても「不自然」な、画一的な平等を強いることになる。その画一性こそが恐れられ、ソ連は画一性に基づく政治をしているから恐い、ということになったのではないだろうか。

 米英が代表する自由主義は私欲の上に成り立っている。そこからは不平等が生じるが、社会としてはより「自然」であろう。天皇制を容認する立場からすれば、不平等であっても自由がある方がよい。自由主義は画一性をもたらさないから天皇制をも容認できる。自由主義の権化であるイギリスの王室がそれを端的に示しているではないか、というわけだ。

 しかし、これは理屈であって、社会主義は外来種の異物と見なされていたのではないだろうか。天皇制のみ在来種と見なされたのではないか?

 戦時の日本は天皇制を「国体」として絶対視し、これを守ることが国を守ることであった。赤尾の愛国主義はこのような思想の典型例ともいえる。思想家としての赤尾はもっと研究する必要がある。今の日本が見失った何かが見つかりそうに思える。

(つづく)

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