高市政権は“亡国”へ舵を切った!(前)

『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏

 毒を失った週刊誌に明日はない。SNSにお株を奪われた既存メディアの可能性と、高市早苗政権のこれからについて考察する。(文中敬称略)

編集責任と週刊新潮コラム問題

 朝日新聞(12月18日付)の「耕論 多文化共生とコラム問題」に編集者の加藤晴之がこうコメントしていた。

 この欄のテーマは「今年は排外的な言葉が飛び交い、選挙でも注目された。そんな中、差別だと批判された週刊新潮コラムが終了した。決着と言えないこの問題。多文化共生に向け、改めて背景を考える」というもの。

 事のいきさつをご存じない方に少し説明すると、週刊新潮に連載していた高山正之が、作家の深沢潮を名指して、「日本も嫌い、日本人も嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」と書いた。

 そのため深沢が新潮社に抗議し、SNSを中心に新潮社批判が巻き起こり、新潮社が謝罪し、コラムは連載中止になった。それについて加藤は、

「編集者の大事な仕事は、最初の読者として、率直な意見を書き手に伝えることです。相手がどんなに名のある人でも、なぜそれを書いたのかを尋ね、批判に耐える理屈があるのか話し合わなければなりません。その共同作業が筆者を守ることにもつながる。筆者を置き去りにして後で謝罪するくらいなら、『他でやってくれ』と言わざるをえない場合もあるかもしれません。

 私も週刊誌で作家のコラムを担当しましたが、意見を述べて文章の手直しをお願いするのは特別なことではありません。自信のある書き手の方は、聞く耳を持っているものです。

 2012年に週刊朝日で佐野眞一さんが書いた橋下徹さんに関する記事のことを思い出します。差別を助長していると批判され、版元の朝日新聞出版が謝罪しました。編集者が記事内容を吟味する役割を十分に果たさなかった事例ですが、今回も似た側面があったのではないかと推量します。

 もちろん過度に批判を恐れる必要はありません。たとえば『ど田舎』という言葉が地方蔑視だと非難されることもありますが、誰がどんな文脈で表現しているのかが大切で、安易な言葉狩りは慎むべきでしょう」

 そして、週刊誌という媒体が退潮傾向にあることにおよび、「週刊誌には、新聞やテレビの『正規軍』に対する『ゲリラ』として、ぎりぎりを攻める役割もあります。
 ただ、週刊誌は厳しい時代ですね。人間が隠している本性や煩悩、欲望を描くのが得意でしたが、今やSNS全体が巨大な週刊誌と化し、お株を奪われてしまっているからです。
 SNSやブログには編集者が存在せず、垂れ流しの言論により排外主義も強まっています。そんななか、名うての編集者たちが支えてきたはずの週刊新潮で編集の機能不全を疑わせる問題が起きたことを、複雑な思いで眺めています。」

 加藤は私が週刊現代の編集長のとき、ナンバー2として支えてくれた優秀な編集者である。その後、FRIDAYや週刊現代編集長を歴任し、書籍の部署へ移り百田尚樹の『海賊と呼ばれた男』を世に出し、200万部のベストセラーにした。現在はフリーの編集者として活躍している。

 加藤のいう「今やSNS全体が巨大な週刊誌と化し」というところで、私は膝を打った。

 週刊誌の原点は「新聞が報じないこと、テレビが流せないこと」をやるというものだが、これは今のSNSに通じるものである。しかも、週刊誌よりはるかに下劣で直截な表現で、有名人であろうと無名人であろうとお構いなしに批判、中傷を繰り広げる。

 いかに週刊誌が“お下品”なタイトルをつけても、SNSを凌駕することはできない。

 私がつくった「ヘア・ヌード」という言葉が流布し、週刊誌がバカ売れした時代があったが、1995年からネットが登場して、世界中の「エロ写真」が見放題になると、週刊誌を買ってまで「ヘア・ヌード」写真を見る必要がなくなってしまった。

 私は次の人間に編集長を引き継ぐとき、「ヘア・ヌードブームは終わる。次の売り物を考えないと週刊誌は売れなくなる。」といったが、その後、何代も編集長が代わったものの、何も生み出せなかった。

週刊誌の部数減と「毒」の喪失

週刊誌 イメージ    2000年以降、週刊誌の売上は逆V字型で下がり続けている。

 文春は、新谷学という編集長が、「スクープでいくと選択し、編集部の総力をそこに集中」したことで、文春砲という名がついたように、他誌を尻目に1人勝ちしたが、それでも部数だけを見ると、かつて80万部くらいあったものが3分の1近くにまで落ち込んでいる。

 昨今、文藝春秋社が早期退職者を20人程度募集していると話題になっている。社員の人数は350人くらいといわれているから、その規模で20人の“首切り”というのは、社の深刻さがわかろうというものだ。

 文藝春秋、週刊文春、文藝春秋・週刊文春電子版もやっているが、社全体を潤すには程遠いようだ。

 今や週刊誌の競争相手は巨大なSNSである。SNSのなかで流布される情報の多くが週刊誌ネタであることを見ると、情報をキャッチし発信する力はまだ週刊誌が上であろう。

 だが、文春の電子版は、週刊誌が発売される前の夜12時に、新しいものに更新される。

 その情報の流れる速さは、木曜日に発売される文春が週遅れに感じられるほど早い。これでは売れない。

 私は以前から、「情報の遮断」をどうするかを早急に考えるべきだと訴えてきたが、いい方法は見つかっていない。

 今でも、朝日新聞などには雑誌広告が掲載されているが、私の現役時代は、全国紙はもちろんのこと地方紙にも全部、広告を出稿していた。

 私の記憶では、月曜日発売の現代やポストでも、新聞広告の出稿は前の週の火曜日夕方ではなかったか。

 そのために大スクープが取れたときは、金曜日くらいに急遽差し替えるというやり方をしたが、それでも新聞社から情報は漏れてしまったことが何度もあった。

 それが今はSNSの時代である。情報を遮断することは不可能に思えるが、何とかそうしなければ、紙の週刊誌の売上が伸びることは期待できないだろう。

 週刊誌が売れないのはそれだけが理由ではない。週刊誌が本来持っていた「毒」がタイトルにも内容にもなくなってしまったからだ。

 今でも多少その臭いを残しているのは日刊ゲンダイだけだろう。安倍晋三元総理(故人)が、この国の言論の自由が狭められているのではないかという野党からの質問に、日刊ゲンダイを手にして、「日刊ゲンダイを見れば、この国の言論の自由は保障されていることがわかるはずだ」といったのは有名な話だ。

 「毒」のない週刊誌は気の抜けたビールのようなもの。こんなものをカネを出して買う人はそうたくさんはいない。このままでは間違いなく週刊誌は消え去る。

高市早苗政権と「異論を許さない空気」

 ところで、世はまさに高市早苗ブームのようである。初の女性首相、トランプ大統領の横で小躍りする姿が可愛い。

 所信表明演説で「これからは働いて働いて働いて働いて働いてまいります」というワークライフバランスを後戻りさせるような嫌な言葉が、流行語大賞に選ばれた。

 世論調査では70%もの支持率があると報じられている。

 元東京都知事の舛添要一がXで「高支持率の首相に反対するわけにはいかないという、異論を許さない、嫌な空気が、今の日本では支配している」と指摘したが、私も同じである。

 私は高市早苗首相が好きになれない。

 理由はいくつもある。1つは、子どもの夢を壊す人間に、この国の未来を託すわけにはいかないからだ。

 1972年の日中国交正常化以来、子どもたちの“国民的アイドル”になったパンダが日本から一頭もいなくなる。

 前から決まっていたことではあるが、中国との関係がこれほど冷え切っていなければ、上野公園のシャオシャオとレイレイに代わるパンダが、中国側の好意で贈られるという希望はあったはずだ。

 だが、国会答弁で「台湾有事」という致命的な失言をした高市日本に、習近平がそうした“配慮”をすることなどないだろう。

 政権が発足して2カ月余り経つが、高市首相の発言や政策を追っていると、どれもこれも「場当たり的」でしかない。

 台湾有事をめぐる唐突で強硬な答弁と、その後のお粗末な対応。財源の裏付けが薄いバラマキ的経済政策。日本維新の会との議員定数削減合意――いずれもその場をしのぐために妥協に妥協を重ねているだけで、「信念をもった保守派宰相」という前宣伝は虚妄に過ぎなかったことがはっきりした。

 彼女が敬愛するサッチャー元英国首相が生きていたら、「私は鉄の女。あなたはペラペラよく燃えるカンナクズのような女よ」と目を背けるに違いない。

 私が一番呆れたのは、11月26日の党首討論で、野田立憲民主党代表から企業・団体献金について追及された際、「そんなことより定数削減をやりましょうよ」と発言したことである。

 慮(おもんばか)るに、裏金問題の“巨魁”萩生田光一を幹事長代行に据えたことを追及されるのを恐れ、話を無理やり変えようとして出た「本音」であろう。後々まで語り継がれるだろうこの迷言こそ、流行語大賞に相応しかったはずである。

(つづく)


<プロフィール>
元木昌彦
(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。

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