【追悼】ライオンズジェントルマン・津田耕治氏逝く

故・津田耕治氏
故・津田耕治氏

    病気一つなさそうな元気溌剌な人だった津田耕治氏が1月11日に急逝したことには驚愕した。筆者は20年間、福岡博多ライオンズクラブで、さまざまなご指導を仰いできた。まさに「ライオンズジェントルマン」として尊敬してきた人であった。病気一つせずにゴルフを友人たちと楽しんでいた。ただ最近は「ゴルフができる友人たちが少なくなってきた」とこぼしていた。1月6日の新春例会に参加されていなかったことに多少の懸念を抱いていた。まず故人が例会に欠席することはあり得なかったからである。そこに急逝の訃報が飛び込んできたのである。

 葬儀は天国社姪浜会館において、13日通夜、14日葬儀がしめやかに執り行われた。身内、ライオンズクラブの仲間たちが列席されていた。家族の方々は「風邪で体調をこじらせていたが、こんなに早く急死したことは信じられない」と悲しみに浸っておられた。故人は当年89歳であり、来月には90歳が間近であったのだ。

故人の祭壇
故人の祭壇

鉄鋼業界の取りまとめ役

 故人は永年、大和鉄鋼(株)の経営オーナーとして采配を振るってきた。同氏は温厚な人物である。いうなれば調整役にピッタリだ。鋼材小売業界を取りまとめる団体に福岡鉄鋼販売業組合がある。この組合のオーナーたちは、みな個性豊かな方々である。なかなか、まとまりがつかない組織風土が特徴であった。どうしても調整役の存在がないと組織運営が不可能になる。「どうしても会長としてまとめてくれ!」という会員たちからの要望に応じた。故人は10年間、会長役を務めて期待に応えたのである。そのご苦労は大変なものであっただろう。本当に忍耐強さを遺憾なく発揮されていた。筆者は企業調査マンとして見守ってきた。

温厚・篤実な人柄でライオンズ活動に専念

 津田氏のライオンズクラブ入会は1980年7月である。45年在籍されてきた。入会25年後の2000年には福岡博多ライオンズクラブの会長に就任された。「功績はクラブの結束を強くしたことだ」と先輩たちが証言していた。それとともに無断欠勤が無かったことである。14年には32年間連続出席100%アワードを得たことにこそ津田耕治氏の全人格が表れている。

 いろいろとご指導いただきありがとうございました。

2026年1月14日
合掌 兒玉直

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