【新春トップインタビュー】いのちと暮らしを守ることが原点 国民に信頼される政治の実現を

公明党福岡県本部代表・参議院議員
秋野公造 氏

 26年間にわたって続いた自民党・公明党の連立政権が、2025年10月をもって解消された。「政治とカネ」の問題などで国民の政治に対する信頼が地に落ちたなか、公明党は原点に返る決断をした。幼少期に喘息に苦しんだ経験から医師となり、厚生労働省の官僚を経て、政治家となった秋野公造氏に、専門である感染症対策や政治の在り方について話をうかがった。

当事者に寄り添い
制度・政策を改善する

公明党福岡県本部代表・参議院議員 秋野公造 氏
公明党福岡県本部代表・参議院議員
秋野公造 氏

    ──公明党の福岡県本部の代表に就任されましたが、お気持ちを聞かせてください。

 秋野公造氏(以下、秋野) 2025年10月5日に公明党の福岡県本部代表の任をいただきました。その直後に自民党との連立に区切りをつける大転換もありました。与党だからやりやすいこと、野党だから訴えやすいことがあると思います。これからは野党の立場で福岡の皆さまのお声を実現していくことになります。国会質疑に際しては、与党も野党もあまり関係ありません。むしろ与党議員のときは、閣議決定に縛られて言えないこともあったと思いますので、これからは堂々と福岡のお声をかたちに変えていきたいと思っています。

 公明党の特徴は、市町村議会議員と県議会議員と国会議員が一緒に仕事をすることです。アジア35カ国の政党が集まり意見交換を行う「アジア政党国際会議」(ICAPP)においてプレゼンをした際にも、アジアのなかでチームワーク・ネットワークを展開するような動きは珍しいとの評価をもらいました。私たちは市町村議会議員と県議会議員、国会議員が一緒になって仕事に取り組む力を生かして、政策実現に頑張っていきたいと思っています。

 ──公明党は地方議会においても当事者に寄り添った質問をしていますね。

 秋野 八女市に、障がいをもちながら働きたいと願う方がおられました。筋萎縮性側索硬化症(ALS)で闘病されており、発症前は医療現場で活躍されていた方なのですが、次第に全身の筋力が弱くなっていき、仕事を辞めざるを得なくなりました。そこで公明党の三角真弓八女市議と連携して、熊本市の「在宅就労支援事業団」(以下、事業団)を訪ねました。その方は、弱った筋力で塾の採点業務にかかわり、働ける喜びを感じるようになりました。ご苦労をおかけした奥さまに「これからは俺が食わせてやるからな」と語りかけたときには涙が出ました。

 また、事業団の田中良明理事長とともに、障がいのある方々には在宅で働くニーズもあることを厚生労働省に訴えました。その結果、12年4月に一度廃止されていた、障がい者が在宅で知識や技術の習得をしながら就労に向けた支援を提供する厚生労働省の「在宅就労移行支援事業」を復活させることができました。障がいと生きる多くの方々の可能性が広がり、在宅で仕事ができるようになりました。私にとって1つの原点となる仕事だったと思います。

幼少期の体験が医師を志した原点

 ──もともと医師を志していたとのことですが、きっかけは。

 秋野 小さいころからアトピー性皮膚炎と気管支喘息に苦しみました。今でこそ乗り越えることができましたが、アトピーに苦しんだころのことは今でも忘れられません。母から掻いてはいけないと言われ、いったんは止めるのですが、気がついたらまた掻いている。そのため私の肘の内側、膝の裏側はいつも赤々と腫れ上がっていました。身体検査やプールの時間が恥ずかしくて辛かったです。そのときに診てくださった小児科の先生が安心感を与えてくださいました。高校生のときに、「自分もそのようなお医者さんになりたい」と思いました。

 1992年に医師免許を取得後に長崎大学大学院医学研究科に進学。大学で研究を行いながら長崎県島原市の民間病院で働き始めました。そのときに高齢のご婦人の主治医になりました。「HTLV-1」(ヒトT細胞白血病ウイルス-1型)というウイルスに感染すると、極めて低い確率ですが、白血病を発症する、あるいは足の先から麻痺が進行することがあります。

 長崎大学病院で主治医として検査を行った際には、髄液検査で証明できず、診断がつかないままその患者さんは転院されました。悔しい思いでいっぱいでしたが、なんと私も患者さんが転院した病院に、同じ日に異動となったのです。そのまま主治医として、患者さんの協力を得て、半年に一回、髄液検査を行いました。約3年かかって、HTLV-1の感染が原因であることを突き止めることができました。その手法が世界初であったことから、研究論文が臨床医学界で最高峰の専門誌「ザ・ランセット」に掲載されました。一緒に行った研究が世界一の医学雑誌に掲載されましたよと患者さんに報告したところ、「それなら、私も“世界一”ね」と言っていただいたことは忘れられません。

 ──人事交流で厚生労働省に出向され、その後医系技官として正式に採用されてキャリアを積まれました。

 秋野 2006年に厚生労働省に出向しました。官僚になるために医師になったわけではなかったのにとの思いが当初は拭えませんでした。厚生労働省では、HIV、ヤコブ病、ハンセン病、肝炎いずれも薬害を担当しました。病院に勤務しているときは患者さんから「ありがとう」と言っていただく機会のほうが多かったのに、厚労省では被害者から罵声を浴びることになりました。「元に戻してくれ」と思うのは当然のことです。被害者の苦しみを万分の一でも共感しようと、薬害エイズ被害者団体のオフィスを何度も訪ねて回り、徹底してお話をうかがいました。その結果、被害者団体の皆さんから少しずつ信頼をいただくようになり、このときのご縁で今でも親しくさせていただいています。昨年の12月15日には、参議院予算委員会にNPO法人ネットワーク医療と人権の花井十伍理事長を参考人としてお招きしました。そして、被害に遭われた立場から薬害HIV大阪訴訟原告団長として、医療の安全について貴重なご意見をいただきました。

 厚労省での勤務が1年少し過ぎたころに「残らないか」と言われ、採用試験を受けたところ、合格しました。とても嬉しかったことを覚えています。新型インフルエンザの世界的大流行の際には、宇宙服のような防護服を着用して空港での検疫に参加、蔓延防止に取り組みました。その後、東京空港検疫所支所長として赴任し、羽田空港における検疫業務の陣頭指揮および新・国際線ターミナルの開業準備に携わりました。

感染症と戦った郷土の先人

 ──母校の長崎大学は感染症研究で優れた成果がありますね。

 秋野 長崎は江戸時代に、出島が海外との唯一の窓口であり、中国やオランダとの貿易を行っていました。そのためコレラや天然痘、梅毒などさまざまな感染症が長崎を通じて入ってきました。長崎は、感染症と最前線で戦った経験値が高いところです。

原寛氏との共著
原寛氏との共著

    亡くなられた原土井病院会長の原寛先生は、代々が福岡52万石黒田藩の藩医で、かつて、原三信先生は、長崎に留学され日本初の西洋解剖書を翻訳し、福岡に持ち帰られました。杉田玄白の解体新書よりも遡ること90年前のことです。原寛先生は予防・重症化予防を推進され「よく寝て、よく食べて、運動する」必要性を訴えられていました。原寛先生と共著で『令和の養生訓』(ICI)を出版させていただいたことは誇りです。

 世界から根絶された天然痘も、朝倉出身の緒方春朔先生が長崎で勉強して、天然痘の患者のかさぶたをすり潰して粉にして、それを鼻のなかに入れる方法を実践しました。エドワード・ジェンナーによる牛痘種痘法よりも早い時期でした。福岡には医療技術や医療倫理の進歩に大きな貢献をした大先輩が多くおられます。

日本の技術を生かした
グローバルヘルスの重要性

 ──厚労省時代、インフルエンザ対策を経験されましたが、グローバルヘルスについては。

 秋野 現在、三大感染症は、エイズと結核とマラリアです。エイズについては薬剤の開発も進み日常生活を変わらず送れるようになりました。 1950年ごろまでは結核が我が国の死因第1位でした。現在、世界では、多剤耐性菌と呼ばれる治療薬に耐性をもった結核が猛威を振るっています。日本が低蔓延国(感染者が少ない国)になったと油断してはいけません。もし外国の多剤耐性結核菌が日本に入ってきて、流行したら効く薬はありません。感染症は簡単に国境を越えます。我が国が今さえよければいいという目線では、いざというときに国民の命を守れないのです。だから、日本人の命を守るために海外の感染症を抑えていくことが重要です。

 先日、ザンビアに行きましたが、富士フィルムが開発した屋外で使用可能なデジタルX線画像診断システムや栄研化学の結核遺伝子診断法であるLAMP法、大塚製薬の抗結核薬デラマニドなどが導入されるようになっています。ストップ結核パートナーシップに専門家を派遣するなど優れた日本製品のさらなる活用で世界の人々の命が守られることを願っています。

 ──医師として目の前の患者さんに向き合い、官僚として国の政策に関わり、政治への視点が出てきたということですね。

 秋野 医師として臨床で働いているときは、目の前の命を救うことしか見えていませんでした。官僚として勤務したときに、制度で救える命があることを知りました。一方で、いろいろな知恵が現場にはありますが、省庁にすべて上がってくるわけではありません。「現場の知恵を誰が伝えるのか」と思ったときに、ちょうど公明党から声がかかりました。正直にいうと、何度もお断りをしましたが当時の山口那津男代表と前任の弘友和夫元議員の熱意に打たれて、福岡の皆さまのお声をかたちにしようと出馬を決めました。

 ──国民から信頼される政治が大事ですが、公明党の原点は「大衆とともに」と思います。

 秋野 結論から申し上げると、私どもが連立に区切りをつけた理由の1つは「政治とカネ」です。石破総理のときに、「政治とカネの問題を解決する」と合意したはずでした。しかし、高市総理は、自分1人では判断できないと仰った。誠実な連立協議を続ける選択肢はあったと思います。しかし、国民が物価高対策を待ち望むなかで、昨年末に成立した補正予算を早く国会に提出して成立させなければならないという制約がありました。だから、連立協議のせいで補正予算を提出できない、成立できないということにならないように、いったん連立協議をやめて私たちは連立に区切りをつけました。

 政治とカネに決着をつけないことには誰が政権を担っても国民の皆さまから信頼される政治にはならないと思います。残念だったのは、政治とカネの問題を打ち消すためにいきなり定数削減を出してきたことです。本来、定数削減を含む選挙制度は議長のもとで全会派で話し合うべきで、立法府の話を行政府を構成する与党の枠組みで提出してくるのは、いかがなものかと思っています。民主主義の観点からも、三権分立の観点からも疑問を禁じえません。我が党としては政治とカネの問題をきちんと解決できなければ、国民の信任は得られないと思っていますので、引き続き誠実な対応を求めていきたいと思います。

【近藤将勝】


<PROFILE>
秋野公造
(あきの・こうぞう)
1967年7月生まれ、長崎大学医学部卒業。長崎大学、米国シーダース・サイナイ・メディカルセンター、厚生労働省に勤務。2010年の参院選に公明党公認で立候補し当選(現在、3期目。福岡県選挙区)。12年12月、第2次安倍内閣で環境大臣政務官兼内閣府大臣政務官、22年8月、岸田内閣で財務副大臣を務める。現在、公明党政務調査会長代理、参議院政策審議会長、福岡県本部代表、浄化槽整備推進議員懇話会会長などを務める。『胃がんはピロリ菌除菌でなくせる』(潮新書)など著書多数。剣道五段。趣味はサイクリング。

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