医学部専門予備校「D組」に何が起きたのか(4)医学部受験が直面するモラルハザード
医学部専門予備校「D組」と同校を運営する(株)D組代表の高橋俊介氏をめぐる疑惑が起きた背景を理解するには、「医学部受験」という特殊な市場の構造を見る必要がある。
「医学部受験」というニッチ市場
私立大学医学部の授業料が高額なことはよく知られている。国公立大学医学部の授業料が標準額で6年間約350万円であるのに対し、私立大学医学部の授業料は大学によって差があるものの、6年間で約2,000万~4,700万円程度におよぶ。平均すると約3,700万円程度とされ、国公立の10倍以上の負担になるケースも少なくない。
そのように高額な学費にもかかわらず、私立大学医学部は極めて高い人気を維持している。周知の通り、私立大学は少子化の影響で定員割れを起こす学部もあるが、医学部だけは10倍以上の競争率となることも珍しくない。その理由は医学部入学が、平均年収約1,400万円程度といわれる医師になるために必要な医師国家試験の受験資格を得る唯一のルートであり、定員も国によって厳格に管理された狭き門であるためだ。
しかし、たとえば開業医であれば、子どもに病院を継いでもらうために何としても医学部に入学してもらいたい。授業料が高い私立大学であっても入学してほしいし、そのためには受験勉強を手厚くサポートする高額な予備校に通わせることも厭わないということになる。そのようなニーズに応えて医学部受験専門として個別指導や少人数制、特別対策などを提供する医学部専門予備校が存在している。それら医学部専門予備校の学費は高額だ。一般的な予備校の学費が100~300万円程度に対して、医学部予備校の学費は200~1,000万円程度とされる。
もう1つ、医学部受験の特徴がある。浪人率が高いということだ。10倍以上という狭き門に対して、何としても医学部に入りたいという受験生は、浪人して医学部を目指す。医学部入学者のうち現役合格は3~4割程度、残りの6割前後は浪人生で、2、3浪以上の受験生も珍しくないとされる。このため医学部受験は一般の大学受験よりも長期戦になりやすい。数年間にわたって予備校に通い続けるケースもあり、もし医学部専門の高額な予備校に複数年通えば、その授業料だけで1,000万円を超えることもある。
以上のように受験業界のなかでも医学部受験は、1人あたりの単価が高く、高倍率を競って長期化しやすい特殊な市場を形成している。
授業料880万円設定も苦しい経営
このような医学部受験人気とそれをめぐるビジネスが過熱するなかで、医学部専門予備校「D組」は誕生した。創業者である高橋俊介氏は、大手予備校などで講師を務めたあと、九州の都城、宮崎、鹿児島、久留米、福岡などで予備校を開校していたとされ、2023年3月に北九州市で(株)D組を設立し、同年6月に東京の現住所に移転して、24年4月に医学部専門予備校「D組」を開校した。
D組の売りは、10名程度の少人数教室で業界一流の講師が対面で授業を行うというもので、年間授業料は880万円(税込)という最も高額な価格帯を設定していた。しかし、D組は実績がない予備校でもあり、初年度の生徒は1ケタしか集まらなかった(翌25年度は16名程度)。一方、生徒数は少なくても各科目で講師はそろえなくてはならない。かつて見ることができた講師紹介ページには有名講師を含む総勢20名超が名を連ねており、経営は厳しかったと推測される。
ところで、第2回記事で、24年11月に実施されたA大学医学部の推薦入試と、翌25年2月に実施された一般入試前期において、D組あるいは高橋氏が事前に入手した試験問題のデータかその一部を利用した可能性について論証したが、これについて一部の読者は疑問を抱いたかもしれない。すなわち、仮に試験問題のデータや内容を入手したとして、秘密裏に「試験問題の漏えい」や「漏えいの企て」といった直接的利益につながる行為は動機として理解できるとしても(ただし、これについて高橋氏は疑惑を否定している)、実物に酷似した問題PDFをホームページに掲載する、あるいは試験会場の外で出題されるテーマを吹聴するという行為は、リスクこそあっても利益がないのではないかということだ。
しかし、医学部受験というニッチ市場ではそのアピールが十分リターンにつながる可能性がある。
不合格受験生は有力な顧客候補
A大学医学部医学科の25年度入試の状況を見ると、推薦入試の受験者数は419人、合格者数は35人、競争率は12倍で384人が落ちている。また、一般入試前期の受験者数は1,406人、そのうち二次試験までの正規合格者に追加合格を加えた最終合格者数は155人、競争率は9.1倍で1,251人が落ちている。落ちた受験生の再受験率は不明だが、これらの受験生のなかには来年また医学部を目指して浪人する学生が少なからずいる。とくにA大学医学部は全国の医学部のなかでも浪人生が多い大学として知られ、25年度の入学者のうち現役生は14%、浪人生は86%とされる。
A大学医学部の推薦入試を受験した学生のうち何人かは、解答速報の情報を収集するなかで、試験当日に実物に酷似したテキストデータの問題PDFがD組のホームページに掲載されているのを見るかもしれない。また、一般入試前期の東京会場の受験者数は500~600人程度と見られるが、その受験生のうちの何人かは、試験直前にD組関係者が「この問題が出る」と言っていたテーマが実際に数学で出題されたことを覚えているだろう。そして彼らのうちの何人かは、来年度通う予備校を選ぶにあたって、D組の「情報収集力」に期待して問い合わせを行うかもしれない。多浪生が多い医学部受験では、彼らがD組の顧客候補となる。
危うい閉鎖空間 匂わせでの勧誘も
高額な授業料となる医学部専門予備校は、入学を決定する前に必ず個別面談を行う。それは予備校担当者と受験生本人と保護者の3人だけの空間だ。そこで担当者は、自校の実績や受験対策の強み、さまざまなサポート体制について説明する。だが、閉ざされた個別面談の場において、モラルを失した予備校の場合、「大学とのパイプがある」とか、「試験問題作成の委託を受けた実績がある」といったことを「匂わせる」表現におよぶ可能性がある。このような「匂わせ」は、多くの受験生を獲得しなければならない通常の予備校ではリスクが高いが、単価が高い顧客を少数獲得すればよい医学部受験生の個別勧誘の現場ではモラルの踏み越えが起こりかねない。
D組の高橋氏が昨年11月に説明会見を行った疑惑の内容とは、勧誘時の面談ではないものの、在校生に対する個別の面談時に語った内容に起因する疑惑の釈明であり、まさに医学部受験予備校で発生し得るモラルハザードを露呈したかたちだ。
受験の公正性を支える予備校と受験生のモラル
前回の第3回記事で見た文科省とA大学の回答が示すのは、大学入試の公正性を制度だけで完全に担保することには限界があるという現実だ。大学入試は各大学の責任のもとで実施される制度であり、行政が個々の試験運営を細部まで監督することはできない。そのような制度のなかで、これまで大学受験の公正性は、実質的に予備校業界と受験生側のモラルによって支えられてきたと言える。それは単に道徳的な問題ではなく、モラル違反が割に合わないという経済的な理由にもよる。
しかし医学部受験という特殊な市場では、この構造が揺らぎやすい。高額な授業料、少人数の顧客獲得、情報の非対称性といった条件のもとでは、「情報力」や「特別なルート」を匂わせることが集客につながりやすく、モラルを踏み越えた行為が利益と結びつく危険性がある。もしこのような動きが広がれば、受験市場そのものの信頼が損なわれかねない。
いま改めて問われているのは予備校業界のモラルだ。予備校の講師は複数の予備校を掛け持ちするなど横のつながりが強い。今回のD組の疑惑もそのような関係性のなかで危機感を抱いた講師たちによって情報が拡散したという背景がある。今後も業界のモラルを維持するには、モラル違反を許さない同業者たちの厳しい姿勢が不可欠だ。それとともに、受験生や保護者が不透明な「情報力」を売りにする業者ではなく、教育内容と指導力で評価される予備校を選ぶことが何より重要である。ひいてはそれが受験生自身の最終的な利益にもなる。
大学自治と医学部入試の制度的矛盾
もっとも、この問題は決して医学部を目指す受験生や予備校業界だけの問題ではない。先述の通り、医学部入試は単なる大学入試の一形態ではなく、実質的に医師国家試験の受験資格を得るための一次選抜として機能しており、その定員は国によって厳格に管理されている。その一方で、前回記事で文科省の回答に見たように、大学入試は原則として各大学の自治に委ねられている。大学自治は憲法で保障された「学問の自由」を実現するための制度であり、大学は国家権力から独立して教育研究を行う主体とされ、そのため入学試験の実施も基本的に大学の裁量の範囲に位置づけられている。だが、学問の自由のために大学に認められた大学自治と、医師国家試験の一次選抜である医学部入試が大学の裁量の範囲に位置付けられていることは、制度としての矛盾を内包している。
この制度的な矛盾が社会問題として表面化したのが、18年に発覚した医学部入試不正問題だ。東京医科大学をはじめとする複数の大学で、女性受験者や浪人生に対する不利な得点操作が行われていたことが明らかになり医学部入試の公平性が大きく揺らいだが、不正の背景には医師の供給構造や国家試験合格率などをめぐる大学側の判断があったとされる。つまりこの問題は、医学部入試が医師国家試験の入口としての性格を持ちながら、その運用が大学自治のもとで各大学の裁量に委ねられた結果、引き起こされた事件だった。今回のD組をめぐる疑惑は、大学入試を支えるもう1つの業界である予備校において、制度の隙間を突くように現れた問題にほかならない。
大学入試の公正性を保つには、予備校業界と受験生のモラルが欠かせないが、さらに医学部入試は日本の医師の質にも影響する問題といえる。医師は社会の生命と健康を支える専門職である。その養成の入口である医学部入試の公正性は、受験制度の問題にとどまらず、国民全体の利益に関わる問題でもある。医学部受験という特殊な市場における公正性の確保と、それを支える教育の信頼性と倫理が改めて問われている。
(了)
【寺村朋輝】








