月をめぐる新冷戦 米・欧・中、三極の覇権競争と日本の戦略的ポジション

アルテミス計画 技術フェロー
(株)スターバレー 代表取締役
星谷隆 氏

 2026年4月2日、日本時間の夜明け前。ケネディ宇宙センターの夜空を巨大な炎の柱が貫いた。アルテミスIIの打ち上げは成功し、54年ぶりに人類が月の重力圏へと帰還した。だがその同じ夜、地球の裏側では別の物語が静かに進行していた。中国の有人月面着陸ロケット「長征十号」の地上試験が着々と続き、宇宙飛行士たちは次の任務へ向けて訓練を重ねていた。月をめぐる競争は、今や一国の栄光をかけた「宇宙レース」を超え、21世紀の資源・技術・安全保障をめぐる多極的な覇権競争へと深化している。

 本稿では、アルテミス計画の全フェーズを軸に、中国の嫦娥・載人登月計画、そしてEuropean Space Agency(ESA)の独自戦略を重ね合わせ、月という新フロンティアをめぐる現在の地政学と、日本の立ち位置を総合的に読み解いていく。

Chapter 01/アルテミス計画:段階を追う5つのフェーズ

 アルテミス計画は「行って帰る」だけのプロジェクトではない。それはアポロ計画が「国威発揚のための短距離走」だったとすれば、アルテミスは「月を恒久的に人類の活動圏に組み込むためのマラソン」だ。その全体像を5段階で整理しよう。

2022年11月 ── Phase 1/アルテミスI:無人試験飛行(完了)

 マネキンを乗せたオリオン宇宙船がSLSロケットで月周回軌道へ。大気圏再突入・太平洋着水に成功したが、ヒートシールドに想定外の侵食が発生。この問題は後続ミッションへの課題として引き継がれ、アルテミスIIIの月面着陸ミッション変更の遠因となった。

2026年4月 ── Phase 2(現在進行中)/アルテミスII:有人月フライバイ

 NASA宇宙飛行士3名+カナダ人1名がオリオン宇宙船に搭乗し、月の裏側を回る自由帰還軌道を飛行。4月6日にアポロ13号が保持していた地球からの最遠距離記録(約40万km)を更新し、人類の深宇宙復帰を54年ぶりに実現。4月10日に太平洋へ帰還予定。

2027年中頃 ── Phase 3/アルテミスIII:低軌道ドッキング試験

 2026年2月の計画再編により、当初の月面着陸ミッションから変更。地球低軌道(LEO)でオリオンとSpaceXのStarship HLS、またはブルーオリジンのBlue Moonがランデブー・ドッキングを行い、推進剤補給技術を実証する。宇宙服AxEMUのテストも実施。月面着陸に必要な技術を安全な軌道上で段階的に確認する。

2028年初頭 ── Phase 4/アルテミスIV:初の有人月面着陸

 4名のクルーが月軌道に到達し、2名がHLSに乗り移って月南極付近に着陸。6.5日間の滞在で2回以上の船外活動を実施する計画。「米国人以外で初めて月面に立つ」日本人宇宙飛行士の搭乗が、この前後のミッションで想定されている。

2028年末〜 ── Phase 5/アルテミスV以降:月面基地建設フェーズへ

 毎年の有人月面着陸を繰り返しながら恒久的な月面基地を建設。ルナー・ゲートウェイ(月軌道宇宙ステーション)の建設は2026年3月に凍結されたため、月面への直接インフラ構築にシフト。日本のLUNAR CRUISERが2031年に投入される計画で、月面移動能力が飛躍的に拡大する。

 特筆すべきは、2026年2月のアイザックマン新長官による大規模計画再編だ。ルナー・ゲートウェイの凍結は、日本・欧州との協力枠組みを再設計させることになった。しかし逆説的にも、この転換は「月面そのものに早期拠点をつくる」という方向に加速をもたらし、日本の与圧ローバー開発の重要性がより前景化することになった。

Chapter 02/静かなる追撃者:中国「嫦娥計画」の実力

 アメリカが月に向かって再び飛び立った同じ時期、中国は着実に独自の月探査を積み上げてきた。その進捗は、西側メディアが報じる以上に侮れない。

「絡、落、回」三步走の完遂

 中国の月探査工程「嫦娥計画」は、「回る(绕)」「降りる(落)」「持ち帰る(回)」という三段階の戦略を立案し、見事にそれを完遂してきた。2007年の嫦娥1号(月周回)から始まり、嫦娥3号・4号の軟着陸(嫦娥4号は人類初の月裏側着陸)、2020年の嫦娥5号による月サンプルリターンを経て、2024年には嫦娥6号が人類史上初の月の裏側からのサンプル採取・帰還に成功した。この「世界初」という実績が示す技術力は、決して軽視できない。

次のターゲットは「月南極の水」と「2030年有人着陸」

 中国は現在、探月工程の第四期を実施中だ。2026年ごろに嫦娥7号を月南極に送り込み、「回る・降りる・走る・飛び越える」という複合的な探査を行って水氷の存在を精密に確認する計画だ。2028年ごろには嫦娥8号を発射し、月面での資源その場利用技術(ISRU)の実証を行う。これらはいずれも、「2035年前後の国際月面科研站(科学研究ステーション)基本型完成」に向けた布石だ。

 そして最大の目標が「2030年前の有人月面着陸」だ。有人宇宙船「夢舟」と着陸機「攬月」の開発は順調に進んでおり、次世代大型ロケット「長征十号」の低空試験も2026年2月に実施済みだ。もし中国が2030年に有人月面着陸を実現すれば、それはアポロ以来2番目の国家達成となり、国際的な宇宙秩序に大きなインパクトを与える。

 月の南極には水がある。その水を制する者が、深宇宙への扉を開けるカギを握る。米中どちらが先に南極に旗を立てるか。それが21世紀の宇宙覇権の象徴になる。

── 編集部注

 中国はさらに「国際月球科研站(ILRS)」という独自の多国間枠組みを形成しようとしている。ロシア、ベネズエラ、パキスタンなど西側陣営とは距離を置く国々との協力を推進し、アルテミス合意(現在33カ国・地域が署名)に対抗する「もう1つの月面秩序」の構築を図っている。宇宙開発はすでに、地上の地政学と不可分に絡み合っている。

Chapter 03/第三極としてのESA:欧州の独自戦略

 米国でも中国でもない「第三の極」として存在感を高めているのが、欧州宇宙機関(ESA)だ。ESAはアルテミス計画に参加しながらも、独自の宇宙戦略「Terrae Novae 2030+」を策定し、欧州の宇宙自立性を高める道筋を描いている。

アルテミスへの貢献:オリオン宇宙船の「心臓部」を担う

 ESAはアルテミス計画において、オリオン宇宙船の欧州サービスモジュール(ESM)を供給している。これは電力・推進・熱制御・空気供給を担う宇宙船の「生命維持の核心部」であり、ESAなしにアルテミスは飛べないといっても過言ではない。アルテミスIIに搭載されたESMも欧州製だ。

「Moonlight」計画:月のGPSとインターネットをつくる

 ESAが独自に推進する「Moonlight」プログラムは、月専用の通信・航法衛星コンステレーションの構築だ。2026年に先導衛星「Lunar Pathfinder」を打ち上げ、2028年に初期サービスを開始、2030年に完全稼働を目指す。これはNASA・JAXA・ESAが共同で策定する「LunaNet」という月通信標準規格の一環だ。2030年代以降に400機以上の月ミッションが計画されているなか、月面でのGPS・通信インフラをESAが提供するという戦略は、宇宙インフラ主導権をめぐる競争において重要な意味をもつ。

「Terrae Novae 2030+」:2030年代に欧州人を月面へ

 ESAの長期探査ロードマップ「Terrae Novae 2030+」は野心的だ。2030年代なかに「欧州初の宇宙飛行士の月面着陸」を実現し、その後の持続的な月探査、さらには火星への有人飛行における欧州の役割確立を目指している。大型月面着陸機「Argonaut」の開発も進めており、欧州独自の月面到達能力の確立を狙っている。ゲートウェイの建設凍結によりESAの一部計画は変更を余儀なくされたが、Moonlightと月面インフラへの集中という新方針のもとで再編が進む。

Chapter 04/三極比較:米・欧・中、それぞれの戦略軸

USA / NASA アルテミス連合

  • SLS+Orionで月南極へ有人着陸(2028年目標)
  • SpaceX・Blue Originの商業着陸船を活用
  • 33カ国のアルテミス合意で多国間連携
  • ゲートウェイ凍結→月面基地直接建設へ転換
  • 毎年の有人月着陸→月面基地形成
  • 長期目標は有人火星探査

China / CNSA 嫦娥・載人登月

  • 2026年嫦娥7号(月南極の水氷精密探査)
  • 2028年嫦娥8号(ISRU技術実証)
  • 2030年前に有人月面着陸を目標
  • 2035年国際月球科研站・基本型完成
  • 独自の多国間枠組み「ILRS」を形成
    天問シリーズで火星・木星探査も並行推進

Europe / ESA Terrae Novae戦略

  • Orionの欧州サービスモジュール(ESM)供給
  • Moonlight:月専用通信・航法コンステレーション
  • 2026年Lunar Pathfinder打ち上げ
  • 2028年Moonlight初期運用開始
  • 2030年代に欧州人宇宙飛行士の月面着陸へ
  • MARCONI:将来の火星通信インフラも視野

 この三極構造が示すのは、月探査がもはや「科学的好奇心」だけでは説明できないという事実だ。月南極の水資源は将来の深宇宙経済のエネルギー源であり、通信・航法インフラの先行構築はデジタル空間における覇権と直結する。地球上のシリコンバレーとシリコンを争うように、月面でも「先に資源・インフラを確保した者が有利」という21世紀型競争の論理が貫徹されている。

Chapter 05/日本の戦略的ポジション:「連れて行ってもらう」時代の終わり

 この米・欧・中による三極競争のなかで、日本はどこに位置するのか。答えは明快だ。日本はアルテミス連合の「不可欠なパートナー」として、技術・外交の両面で独自のポジションを確立しつつある。

日本(JAXA・産業界)の主要貢献と戦略的意義

  • 有人与圧ローバー「LUNAR CRUISER」(JAXA+トヨタ):宇宙服不要で居住・移動できる月面移動基地。2031年打ち上げ目標。月面探査の機動性を根本的に変える
  • 日本人宇宙飛行士2名の月面着陸が日米政府間で正式合意(2024年4月署名)。諏訪 理・米田あゆ両氏が有力候補として訓練中
  • LUPEX(JAXAとインドISROが共同開発の月極域探査機):水氷の精密分布調査で月資源探査を先導
  • LunaNet参画:NASA・ESA・JAXAが共同策定する月通信・航法の国際標準に日本も関与
  • 三菱重工業:居住モジュール「I-Hab」向けの生命維持技術(ECLSS)開発
  • ispace・小糸製作所・清水建設・鹿島建設など民間各社も月面ビジネスへ参入

 中国の「国際月球科研站」が独自陣営の結集を図るなか、日本は明確にアルテミス連合側に立ちながら、そのなかで「技術的に代替不可能な役割」をはたすことで交渉力と参加機会を最大化している。LUNAR CRUISERのような月面移動インフラは、米国・欧州のどの参加国も単独では提供できないものであり、その意味で日本は「パートナー」ではなく「共同建設者」の地位を獲得しつつある。

 月面に日の丸の旗が立つ日は、日本の宇宙戦略が「外交的お土産」から「技術的自律」へと転換した証となる。その転換は、すでに静かに始まっている。

── 編集部注

Chapter 06/「月は誰のものか」── 宇宙法・資源・ガバナンスの問題

 技術と競争の話を超えて、月探査が突き付けるもう1つの問いがある。それは「月は誰のものか」という国際法・ガバナンスの問題だ。

 現行の宇宙条約(1967年)は月を「国家の領有」から除外している。しかし、月面資源の採掘・利用については、条約が成立した当時には想定されていなかった。アルテミス合意はこの空白を埋めるべく、「透明性の確保」「相互協力」「軌道デブリの軽減」などの原則を定めているが、中国・ロシアはこの枠組みへの参加を拒否している。

 月南極の「水資源」は有限だ。もし複数の国が同じ場所での採掘を競い合えば、宇宙空間での権益紛争が現実のものとなりかねない。2030年代に向けて、月面ガバナンスのルール整備は、技術開発と同等、あるいはそれ以上に急を要する課題となっている。この点で、アルテミス合意参加国である日本は、ルール形成における発言力を持つ立場にある。

CLOSING/月は「比喩」ではなく「現実の戦場」になった

 アルテミスIIのクルーが月の裏側を回り地球を眺めた瞬間、その映像はリアルタイムで世界中に届けられた。だがその同じ瞬間、北京では宇宙飛行士が次の月面着陸訓練を行い、ブリュッセルではESAの通信衛星が月軌道へのルートを計算し、東京ではトヨタとJAXAの技術者がLUNAR CRUISERの駆動系をテストしていた。

 月は今や、詩人が仰ぎ見る純白の天体ではない。資源・通信・安全保障・ビジネス・外交のすべてが交錯する「21世紀の地政学的フロンティア」へと変貌した。アルテミス計画はその中心軸だが、中国の猛追とESAの独自戦略を加えれば、舞台はより複雑で、よりダイナミックな多極競争の様相を呈している。

 そして日本は今、その競争の単なる観客ではなく、与圧ローバーと宇宙飛行士という二枚の「技術の切り札」を手に、月面の主要プレーヤーとして名乗りを上げつつある。次回は、LUNAR CRUISERの技術詳細と、月面基地建設の経済モデルを掘り下げる。


<プロフィール>
星谷隆
(ほしや・たかし)
(株)スターバレー代表取締役。製造業の技術営業に17年携わった後、2013年に独立。産業機器の部品、医療機器の試作品の部品、⾃動⾞の部品、宇宙航空品の試作部品の製造など多様な部品製造に携わる。

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