大学教育が死んで、日本の知が崩壊する?(1)
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横浜国立大学 教育人間科学部 教授 室井 尚 氏
人は誰でも、自分の経験を通してしか物事を測ることができない。中学校や高等学校は自分が出た頃とそんなに変わっていないと思い込んでいるし、大学もまた自分が大学生活を送った頃から変わっていないだろうと信じ込んでいる。
しかし今、大学では「大変な事件」が起きている。その引鉄を引いたのは、2015年6月8日に、文部科学大臣・下村博文名で、全国の国立大学に出された、文系学部・学科の縮小や廃止を「要請」した通達である。
このことは、私たちの将来、私たちの子ども・孫の将来にどのような影響を与えるのか――。話題の書『文系学部解体』(角川新書)の著者で、文科省の「文系軽視」政策に警鐘を鳴らす、横浜国立大学教育人間科学部の室井尚教授に聞いた。
個人の小さな立場とか責任を超えた事態である――『文系学部解体』(角川新書)は大きな話題になっています。私たちの多くが知らないうちに、国立大学では今、大変なことが起こっているのですね。まずは、本書を書かれた動機からお話しいただけますか。
室井尚氏(以下、室井氏) 直接の動機は15年の6月8日、文部科学省の下村博文大臣が通達で、「文系学部・学科の縮小や廃止」を国立大学へ要請、そのことが世の中にセンセーショナルに伝わり、多くの新聞、テレビなどの取材を受けたことにあります。私には当事者である国立大学教員という立場があるのですが、「今回の問題は、個人の小さな立場とか責任を超えた事態である」と考え、広く皆さんに知っていただきたいと思ったからです。
12年12月に第2次安倍内閣が誕生、私的諮問機関である「教育再生実行会議」が結成され、翌13年6月には「国立大学改革プラン」が閣議決定されました。その「国立大学改革プラン」に基づき、わずか半年後の同年暮れには、極めてスピーディに「ミッション再定義」が作成されています。ミッションの再定義とは、文部科学省が各国立大学の「ミッション」を勝手に「再定義」して、「あなた方の大学はこのようなミッションを遂行しなくてはならないですよ」と上から押しつけたものです。
中教審の議論を無視するかたちで急激に推し進めた
従来、大学の方向性を議論する文科省の機関としては、中央教育審議会(中教審)の「大学分科会」が設けられていたのですが、内閣府直属のこの「教育再生実行会議」は、中教審の議論を無視するかたちで、急激にこの「国立大学改革プラン」を推し進めました。
教育再生実行会議は、座長には早稲田大学の鎌田薫総長(法学)がいるものの、財界や学習塾業界など安倍総理と近い委員によって占められている会議であり、下村博文大臣もそのメンバーになっています。このミッションの再定義の作成を、文科省は「各大学との意見交換を通して決めた」と言っていますが、それは事実と異なります。実際には、その大枠は最初からすでに書き込まれてあり、各大学は空欄になっている数値目標を埋めるぐらいの自由しか残されていませんでした。さらに驚くことに、すでにいくつかの学科の廃止や縮小がすでに書き込まれてあったのです。
このような膨大な作業は、とても文科省だけでできるはずもなく、きっとどこかの総研のような外部機関に策定作業を委託されていたのだと思います。いずれにしても、第2次安倍内閣成立から、わずか1年後の13年12月には、すべての国立大学のすべての部局(学部・研究科等)の「ミッションの再定義」の策定が完了していたのです。この時点で、文科省のサイトには「再定義されたミッション」が掲示されています。
この流れのなかで、「教員養成系大学の新課程」の一律廃止が決まり、私が課程長を務める「横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程」(学部全体380名の定員中150名を占める)も廃止されることになっています。安倍政権の「反知性主義」が影響を与えている
現在、この文科省の「文系軽視」の政策は国際的にも広く注目されており、「日本は発展途上国時代に逆戻りするつもりなのか」など、各国の新聞がこの動きをセンセーショナルに伝えています。フランスの代表的な新聞「ル・モンド」では、「日本 - 余り役に立たないと26大学が人文社会科学系の学部の閉鎖を検討」という見出しで、その奥には役に立たない人文社会科学はいらないとする安倍政権における「反知性主義」が影響を与えていると伝えました(15年9月17日付)。
現在、日本の国立大学の「独立法人化」のモデルとなったイギリスはもちろん、フランス(70年代から高校<リセ>での古典教育や哲学教育の削減が問題となっており、デリダを始めとする哲学者たちが反対運動を起こしている)など、世界中の大学で似たような「大学改革」が起こっています。
ただし、日本と違い、ヨーロッパでは伝統的な教養教育のシステムがあって、日本ほど人文系が縮小されることはありません。ある意味では、ヨーロッパの持っている伝統的な財産としての文学や芸術の研究は、相変わらず盛んなのです。(つづく)
【金木 亮憲】<プロフィール>
室井 尚(むろい・ひさし)
1955年3月24日山形市生まれ。横浜国立大学教育人間科学部教授。京都大学文学部卒業。同大大学院文学研究科博士課程修了。帝塚山学院大学専任講師などを経て、92年から横浜国立大学助教授、2004年から現職。01年には「横浜トリエンナーレ2001」で全長50mの巨大バッタバルーンを含む複合アートを制作、11年にはクシシュトフ・ヴォディチコ氏を招き、学生達と新作プロジェンクション・アートを制作するなど、ジャンルを超越した分野で活躍。専門は哲学、美学、芸術学、記号論など。著書として、『情報宇宙論』(岩波書店)、『哲学問題としてのテクノロジー』(講談社選書メチエ)、『タバコ狩り』(平凡社新書)など多数。関連キーワード
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