【特別寄稿】「効率」では守れない地方産業 身体知を世界に“輸出”し、対価を地域へ還す時代へ〜BodySharingとフィジカルAIによる技能伝承〜
H2L, Inc./慶應義塾大学 /琉球大学
玉城絵美 氏
人間の身体感覚そのものをデータ化し、遠隔地の人やAIへ伝承する「BodySharing(ボディシェアリング)」の研究開発を進めている玉城絵美氏。従来の映像やマニュアルでは継承が難しかった職人の力加減や手応えといった「身体知」を記録・再現し、後継者育成やフィジカルAIの学習に活用しようとしている。人口減と後継者不足が深刻化するなか、地方企業にとって熟練者の技能喪失は経営課題そのものとなっている。玉城氏は、地域固有の技能を人とAIへ受け継ぎ、さらに世界で活用されることで、地域に人と技能を残したまま、継続的な対価を還元する新たなモデルを構想する。
静かに消えていく地方の技能
時間や空間、身体の制約から人間を解放する技術を研究する立場から地方を見つめますと、いま静かに、しかし確実に失われつつあるものに気づきます。その土地でしか育たない「技能」です。
たとえば、久留米絣(くるめがすり)の染め師が藍甕(あいがめ)の発酵具合を手で見極める感覚や、大川の家具職人が鉋(かんな)で木を仕上げる力加減があります。福岡をはじめ全国の地場産業には、こうした技を備えた担い手が数多くいます。いずれも、長年の経験を通じて1人ひとりの身体に刻み込まれた「技能」、つまり「身体知」であり、その地域の産業と文化を支えてきた財産です【図1】。

ところが、この財産である「技能」が後継者不足により継承されずに失われつつあります。調査会社よれば、2024年の全国の後継者不在率は52.1%に上り、改善傾向にあるとはいえ、なお半数を超える企業で後継者が定まっていません[1]。
後継者がいないことを理由とする倒産は2年連続で500件を超え、23年度は調査開始以来の過去最多となりました。さらに中小企業庁の試算では、25年に70歳以上となる中小企業および小規模事業者の経営者は約245万人に達し、そのうち約半数の127万人が後継者未定とされています【図2】[2]。
技能を受け継ぐ担い手の不足は、もはや個別企業だけの問題ではありません。ここで多くの企業がとる対策が「効率化」です。省人化、機械化、マニュアル化がそれにあたります。しかし効率化とは、決まった作業を速く安く回すための手段であって、熟練者の身体に宿った感覚そのものを引き継ぐ力はもっていません。むしろ効率を追うほど、数値化しにくい身体知は「コスト」と見なされて切り捨てられ、消滅が加速すると考えられます。
経営の前提が「効率」から「耐性と選別」へと移りつつある今、地方の技能は本当に守れないものなのか、改めて問い直す必要があります。結論からいえば、必ずしも守れないとは限りません。
視覚と聴覚だけでは
伝わらない固有感覚
そもそも技能とは何か、なぜこれほどまでに継承が難しいのか。この問いから考えてみます。
古代ギリシャ以来、人間の感覚は視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の「五感」だとされてきました。しかし実際には、人間には20以上の感覚があります【図3】。技能の核心をなすのは、この五感の枠からこぼれ落ちてきた感覚であり、長年の経験を通じてそこに蓄えられていきます。
現代のデジタル情報は、その多くが視覚と聴覚に向けられています。写真や映像、文章は、見ること、聞くことを通じて伝わる媒体です。こうした言語や視聴覚の情報で、知識の多くは十分に伝わります。しかし、動画で職人の手元を何百回見ても、その動作がどれほどの力を要し、どこで力を抜くのか、その手応えまでは、画面のこちら側の身体に伝わりません。
ここに継承の壁があります。視覚と聴覚の情報は記録できても、力加減や微妙な抵抗の感じを記録する手段は、これまで存在しませんでした。そのため技能は「見て盗め」とされ、一人前になるのに10年を要してきました。その10年を待てる地方の現場は、もう多くは残っていません。
熟練の職人に技のコツを尋ねても、「手が覚えている」としか返ってこないことが多いものです。技能の核心が、本人ですら言葉にできない身体の感覚に宿っているからです。実際、『2023年版ものづくり白書』によれば、退職する熟練技能者の技能やノウハウを文書化し、データベース化し、マニュアル化している企業は22.5%にとどまります[3]。しかも、そうして残される記録の多くは、視覚と聴覚で写し取れる情報に限られます。
では、言葉にできないその感覚とは何でしょうか。正体は「固有感覚(深部感覚)」です【図3】。手足がいま、どれくらいの力で、どんな角度で、どの速さで動いているかを感じ取る感覚を指します。生理学では、固有感覚は身体の位置や運動、力や重さをつかさどる感覚として確立した研究対象とされています[4]。熟練者の「手が覚えている」とは、この固有感覚が、長年の反復によって精密に研ぎ澄まされた状態にほかなりません。
裏を返せば、固有感覚そのものを記録し、再現し、伝えられれば、技能継承の風景は一変します。「BodySharing(ボディシェアリング)」は、この固有感覚を含めて、身体の情報を含む体験を共有するための技術と概念です。
身体知を二重に継ぐ
地域の人、フィジカルAIへ
BodySharing
BodySharingは、人と人、あるいは人とロボットのあいだで、身体の動きと感覚を双方向にやり取りする技術です。その入口となるのが、H2L(株)が世界に先駆けて開発した光学式の筋変位センサーです。前腕の筋肉のわずかな膨らみを光で読み取り、指の動きや込めた力をデータにします[5]。
人の身体感覚を電気信号としてコンピューターに取り込む「インプット」と、そのデータを別の身体へ出力して感覚を再現する「アウトプット」を組み合わせ、熟練者の手の感覚を、視覚と聴覚の情報だけでなく、力加減や抵抗感まで含めて記録します。
フィジカルAI
近年、技能の新たな継承先として注目されるのが「フィジカルAI」です。フィジカルAIとは、文章や画像だけを扱う従来のAIとは異なり、ロボットやアバターや人などの身体情報を学習して、新たに動作を生成し、主にロボットで新規作業をしていく生成AIです。
人間が身体を通して物事を覚えていくように、AIも身体をもつことで、力加減やものの扱い方といった、言葉にしにくい知恵を身につけていきます。世界的に研究開発が加速している分野です。H2Lも、熟練者の知覚と動作に加えて固有感覚を学ぶ、技能伝承に特化したフィジカルAIの基盤モデルの研究開発を推進しています。
人とAIへ、二重に継ぐ
BodySharingで記録した身体知は、2つの方向へ受け継がれます。
1つ目は、地域の人材への継承です。熟練者の固有感覚データを、若手や、移住してきた新規就業者が、自らの身体で追体験します。言葉にできなかった「ちょうどよい力加減」を、感覚としてそのまま受け取ります。10年かかった習熟が数年に縮まれば、後継者不足に悩む地方の現場にとって大きな助けとなります。匠の感覚だけでなく、その土地の風土が育てた作法や伝統も、身体ごと次の世代へ引き継がれます。
2つ目は、フィジカルAIへの継承です。固有感覚を含む身体知のデータは、人だけでなく、AIにも学ばせます。肝心なのは、AIに継ぐ技能が、どこにでもある汎用的なものではなく、「その地域にしかない固有の身体知」である点です。
たとえば、ある工房で、引退間際の熟練者が持つ手の感覚がデータとして残され、地元に戻った若者がそれを身体で受け継ぎます。同じデータを学んだフィジカルAIが、人手の足りない時間帯の作業を担えば、技と伝統は途切れず、担い手の負担も軽くなります。固有感覚を計測し再現する技術がそろいつつある現在、こうした光景はすでに現実味を帯びています。
地域の固有技能を学んだフィジカルAIは、そのまま、その地域の魅力になります。その知能を載せたアバターやロボットは、地域のなかで人手不足を補い、さらには世界の現場へ出ていきます。ある産地の仕上げの技を学んだロボットが国内外で同じ品質を再現したり、熟練漁師の網さばきを継いだ遠隔ロボットが別の海で活躍したりする展開が考えられます。地域に蓄えられた身体知が、人とAIの両輪で受け継がれ、地域の内と外で同時に価値を生み始めます。
ここで重要なのは、技能が「人に依存しなくなる」ことの意味です。これまで地方の技能は、特定の熟練者という1人の身体に縛られ、その人が引退すれば消えてしまう脆さを抱えていました。固有感覚ごとデータにして、人にもAIにも二重に継いでおけば、技能は1人の身体から解き放たれ、地域の共有資産になります。属人性という最大のリスクが、ここで初めて解消されます。
匠の感覚を世界、対価を地域に
ロイヤリティ”還元”モデル
技能が人から解き放たれ、データとして受け継がれるようになりますと、地方産業の経済そのものが変わり始めます。
これまで、地方が都市や海外と競う土俵は、しばしば「効率」でした。より安く、より速く、より大量にという競争では、人口でも資本でも都市にかなわない地方が勝ち続けることは難しく、安さで競えば、いずれもっと安い相手に置き換えられてしまいます。
身体知のデータ化は、この土俵そのものを変えます。地方が拠って立つべき強みは、効率ではなく「ここにしかない固有の技能」です。それをデバイスやフィジカルAIを通じて世界の現場へ届け、しかも一度に売り切るのではなく、使われるたびに対価が地域へ還流する仕組み、すなわち技能の「ロイヤリティ(印税)モデル」を組み込みます。
ある地域の熟練者の身体知が、フィジカルAIの基盤モデルに組み込まれ、世界の工房がその技能を呼び出してロボットに実行させる。あるいは遠隔地の作業者が、デバイスを介して匠の感覚を借りる。そのたびに、ライセンス料が技能の保持者と地域に支払われます。音楽家が曲をつくり、再生されるたびに印税を得るのと同じ構造です。
このモデルは、地域経済に2つの耐性をもたらします。1つは人口減少への耐性です。技能がデータとして稼げば、現場で動ける人が減っても、地域は収益を得続けます。もう1つは価格競争への耐性です。固有の身体知は唯一無二であり、安さで置き換えられる効率とは違って、価格競争に巻き込まれにくいといえます。地方は、安いから選ばれるのではなく、そこにしかない技能をもつから選ばれる側へ回ります。
この仕組みは、人を都市へ送り出さずに済む点でも重要です。身体知が地域に居ながらにして世界で稼げば、人も対価も地域にとどまり、長年の人口流出の構造を見直す契機になります。H2Lでは、こうした構想を実証するため、触覚と動作を統合したフィジカルAIや技能伝承に特化した基盤モデルの研究開発を推進しています。残された課題は、技能という無形の身体知を誰の権利として、どう価値づけるかであり、制度の設計は地域、企業、行政がともに考えていく必要があります。
選ばれる地方に回るには
経営の前提は、いまたしかに変わりつつあります。安く速く回す「効率」を競う時代から、環境変化に揺らがない強さをもち、本当に残すべきものを選び取る「耐性と選別」の時代へ。地方産業にとって、この転換はむしろ好機です。効率の土俵を降り、固有の身体知という、地方にしかない資源で勝負する道が開けるからです。最後に、経営者の方への提言を3つ挙げます。
①技能を「棚卸し」
当たり前にそこにある熟練者の手仕事のなかに、外の世界が強く求める固有の身体知が眠っていないか。何を残し、何を次の世代やAIへ継ぐべきか。この見極めと選別こそ、これからの経営判断の核心になります。
②身体知を記録する
身体知は、その人が現場を去れば、二度と手に入りません。技術は急速に実用へ近づいています。「いつかやろう」と先送りにせず、熟練者がまだ現場にいるうちに、まずは録画からでも記録へ着手することが肝心です。
③対価配分を設計する
技能は個人のものであると同時に、その土地の風土が育てた共有財でもあります。何の技能を、どんな技術を使ってどのような貢献に、どれだけ報いるのか。この合意形成を後回しにすると、せっかくの資源が宙に浮きます。技術導入と同時に、地域の意思を整えておきたいところです。
地方は長らく、人口でも資本でも都市に劣る「選ばれない側」に置かれてきました。しかし、身体知という資源に光をあて、人とフィジカルAIに継ぎ、世界へ届けて対価を地域へ還す道筋を描けたとき、地方は初めて、世界から「選ばれる側」へと回ります。その土地でしか育たない技能は、消えゆく過去ではなく、耐性と選別の時代における、地方の最もたしかな未来です。
[1] 帝国データバンク. 2024. 全国「後継者不在率」動向調査(2024年). 帝国データバンク、 東京. https://www.tdb.co.jp/report/economic/succession2024/(参照 26年6月9日)
[2] 中小企業庁. 2019. 中小企業、小規模事業者におけるM&Aの現状と課題. 中小企業庁、 東京. https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/kenkyukai/hikitugigl/2019/191107hikitugigl03_1.pdf (参照 26年6月9日)
[3] 経済産業省、厚生労働省、文部科学省. 2023. 2023年版ものづくり白書. 経済産業省、 東京.https://www.meti.go.jp/report/whitepaper/mono/2023/index.html (参照 26年6月9日)
[4] Uwe Proske and Simon C. Gandevia. 2012. The proprioceptive senses: their roles in signaling body shape, body position and movement, and muscle force. Physiological Reviews 92, 4 (Oct. 2012)、 1651–1697. https://doi.org/10.1152/physrev.00048.2011
[5] Satoshi Shimabukuro, Tamon Miyake, and Emi Tamaki. 2025. Time series analysis of muscle deformation during physiotherapy using optical wearable sensors. Sensors 25, 11 (2025)、 3507. https://doi.org/10.3390/s25113507
<PROFILE>
玉城絵美(たまき・えみ)
2011年、東京大学にて博士号(学際情報学)取得。琉球大学工学部教授(26年から客員教授)などを経て、26年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。東京大学客員教授、沖縄電力(株)社外取締役も務める。人間とコンピューターの間で身体感覚を伝達し、体験共有を促進するBodySharing®︎の研究と事業開発に従事。12年にH2L(株)を創業、代表取締役を務める。BodySharing®︎に関するPossessedHand、UnlimitedHand、FirstVRやCapsuleInterfaceなどの研究とインタフェースを発表。











