2024年03月29日( 金 )

私のワンゲル時代(3)

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 合宿は1年生が早朝に飯盒の米を雪渓の水で研ぎ、ホエーブス(無煙ガソリンコンロ)で飯を炊く。朝食ができ上がった頃に、「先輩ごはんですよ」と声をかけると、「オー」と声がして、やおらテントから顔を出す先輩たち。飯盒の飯は気圧の関係で沸点が低く、ほとんどが芯の残ったゴッチン飯でした。

 昼は乾パン、ウインナーソーセージ、粉末ジュースの3点セットを毎日。食器は学校給食と同じ、アルマイトの黄色い器。食べないとバテるので、好き嫌いのあった私でしたがいつの間にかきれいになくなっていました。山では煮炊きはホエーブスですが、平地では一斗缶で作ったカマドに枯れ枝で火を起こし、煤で真っ黒になった大鍋で作るゴッタ煮が主でした。鍋担当はザックに大きな鍋を背負っていました。この合宿では、その大鍋が命を救った事件もありました。峻険な沢沿いの登山道を下っていた時、同期のW君が足を滑らして谷底へ滑落を始めました。私の目の前でしたが、幸いにもこの大鍋が幸いして、ゆっくり転がる事になり、本人が上手く木の枝に手を伸ばし、つかむことができたのです。5mは転げ落ちて行ったでしょうか。3年生のキャプテンが大慌てで手を伸ばして、彼を引き上げたものです。谷底まで100mはあったように記憶しています。50年経った今でも、『お前の命があるのは俺のお陰』と事あるごとに語り継がれています。

 合宿は禁欲生活そのもので、帰宅したらアレやコレを食いたいと食べ物に喉から手がでるほど飢えていました。先輩たちも、同じように食べ物に飢えていたようです。ただタバコだけは欠かせないようでした、タバコが切れると、山道を走るダンプの運転手からタバコを分けてもらっていました。それでも手に入らない時は、松葉を集めて煙を楽しんでいました。そのうち頭がクラクラしたのか、ドーンとひっくり返った先輩もいました。松葉のヤニが強力だったのでしょう。

 汗にまみれた制服は真っ白に塩を吹き、なんだかんだで、合宿の集結地・雄国沼に辿りつきました。「やっと着いたー!」景色も見る余裕のない合宿が一段落した瞬間です。50分歩いて10分の休憩時間を楽しみに、歩きに歩いた10日間でした。

 先発隊なのでファイヤーの準備、やがて各パートが集結。同期は誰もが真っ黒に日焼けし、ワンゲルのイニシャルの入った制服は汗で塩を噴いていました。
 夜はファイヤー、スタンツ(寸劇)で大いに学生時代を謳歌しました。

 この汗まみれで、なかばホームレスに近いような生活が、私の体力と精神力を養ってくれました。

(つづく)

 
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