2024年04月29日( 月 )

シリーズ 側近の目から見た高塚猛(3)~敵にお酢をかければ、『素敵』になります!

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1年で従業員の高塚さんへの評価が180度変わった

 ――フリークを超えて、ストーカーと呼ばれていた宮田さんの場合はどうでしたか?

 宮田 高塚さんが着任された時には、幹部を含めて従業員の大多数が「盛岡のホテル経営と福岡3点事業では経済規模が大きく違う。盛岡と同じやり方では福岡では絶対に上手くいかない」言いました。ところが、その同じ人たちが1年で「盛岡と福岡では、経済規模は違うが、コミュニケーションと信頼をベースにした経営を行えば、同じだ、上手くいくのだ」
と発言内容を180度変えたのです。それほど、1年ほどで業績が大幅に改善されました。

 私は当時、管理部門(人事部)に所属していたのでその凄さを、経営数字などを通じて直接的に感じることができました。高塚さんは誰かを連れてきたわけではなく、一人で福岡に乗り込んできました。しかも、今までの人員で、今までの施設で(いわば「現状」のママで)、従業員の意識改革のみで、業績の大幅改善をやり遂げたわけです。「どんな人物なのだろうか?直接会ってみたい。色々と話を聞いてみたい」と思うようになりました。

一人一人の名前が明確に読める組織図を書く必要が

 直接的な出会いは、着任から半年後(10月頃)の新卒採用の時だったと思います。高塚さんは、新人を採用することは会社を存続させるための重要な先行投資と考え、「投資や設備拡充の面で贅沢は望まないが、人には贅沢したい!」と言われ、とても大切にしておられました。最終面接には、大卒、高卒、専門学校卒などわけ隔てなく必ず出席しました。

 人事に関するエピソードで2つ思い出があります。1つは、面接会場では、審査する方には机が置かれますが、受験者側には机がないのが普通です。しかし、高塚さんは「受験者側にも机を置きなさい」と指示されました。それは、「受験者は足元が丸見えでは緊張するので、リラックスできる環境にして、本来の実力を十分に発揮してもらいたい」という配慮からです。
 2つ目は、当時の私の上司が、ホテル、ドームなど約800人の組織図をA3用紙1枚にして高塚さんのところに持って行った際、「組織を構成する一人一人の名前が明確に読み取ることができなければ組織図とは言えません」さらに、「社員と同じように働いている、準社員、契約社員の名前も組織図には入れないといけません」と指示されました。その時、「従業員をとても大切にする人なんだ」と直感しました。

従業員の顔、名前等をどの役員より覚えていました

 ――なるほど、それぞれ魅力ある行動ですね。大西さんの場合は、充分高塚さんをご存知の状態での招聘になります。実際に対面して、第一印象はいかがでしたか。

 大西 私はお願いして来ていただいた立場ですから、基本姿勢はあくまでも高塚さんの仕事がやりやすい環境を提供し、後は見守るだけでした。細かい経営数字の問い合わせには毎日応えておりましたが、直接2人で面談したのは、着任して4週間ぐらい経過したころ。高塚さんがゴールデンウィークで盛岡に戻られる直前だった思います。その時の会話で今思い出すのは、「経営者は孤独なんだよね!」と「大西さんは大変だったと思います。今まで通りに、これからも粛々と仕事を進めて下さい」と言われたことです。お互いに通じるものがあり、しかも雑誌で読み、聞いていた通りの人物像だったので、何とか役に立ちたいと改めて思いました。その時に1つリクエストがありました。先ほどの宮田さんの話にも通じますが、「従業員全員(先ずホテル従業員約450人分)の顔写真、生年月日、出身地、出身高校、大学などの入った冊子を作って下さい」と依頼されました。
 高塚さんは、努力している姿は他人にあまり見せませんでしたが、福岡3点事業に関わる従業員(約3,000人)の顔、名前をどの役員より正確に覚えていました。

オーナーと直接的なコミュニケーションは取らない

 高塚さんは、福岡3点事業を引き受けるに当たり、3つのお願いを中内功オーナーにしています。1つ目は、「中内正社長の部下にして下さい(当初は正社長の上の会長職にという話もあった)」、2つ目は、「オーナーとは今後直接的なコミュニケーションは取りません。(但し、用がある時はいつでも呼んで下さい」)、3つ目は「正社長がオーナーのところに、私を連れて行きたいと言った時は必ず会って下さい」です。
 この話を聞いた時、私はさすが分かっているなと思いました。それは「オーナー経営者はピンチになった時は有能な人を招聘し任に当たらせますが、ある程度再建の目途が立ってくると、有能であるがゆえに招聘した人を排除するようになる」のが世の常であるからです。
 高塚さんは東京・浅草の生まれです。しかし、リクルートの仕事で盛岡に行く時、「盛岡に骨を埋める」と宣言、お墓も、本籍も移しました。本来的に覚悟の人なのです。

(つづく)
【金木 亮憲】

 
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