2024年05月01日( 水 )

震災から2年を経て~今なお深く残る爪痕(前)

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「ひと段落」「まだこれから」温度差のある熊本市内

 「震災後、昨年の夏ぐらいまでは物件を案内しようにも、内覧が難しい状況が続いていました。それほど賃貸需要が増えていましたし、震災前より入居率は高かったと思います。最近になって、新築物件や被災後に改修された部屋が増えてきたこともあって、ようやく落ち着いてきました。震災から2年が経過し、市の中心部に限っていえば、もうそれほど影響はないようにも感じます」と話すのは、地場不動産会社の(株)明和不動産・熊本中央店に勤務する30代男性。同店が位置するのは、熊本市のシンボルである「熊本城」のすぐ眼下にある「上通商店街」(熊本市中央区)の入り口付近。実際に商店街を歩いてみても、目立った震災の痕跡はすでに残っておらず、市の中心部だけあって、老若男女問わず多くの人で賑わいを見せていた。「震災直後は、避難袋を買い求める人が増えたので売上は伸びましたが、その後は例年通り。商店街の人通りも、ほとんど変化はありません。益城町がまだ復旧が進んでいないのは知っていますが、熊本市内ではほとんど実感はないですね」(上通商店街カバン店勤務・40代女性)。

 同じく市の中心部にある「下通商店街」(熊本市中央区)周辺の飲み屋街では、震災前後で客足の変化があった模様だ。「震災後、一時客は増えましたが、現在では震災前よりも減少しています。とくに地元の人が寄り付きません。震災後2年が経ち、“特需”は終わったのではないかと感じています」(居酒屋店主・40代男性)。「震災後に集まっていたボランティアが一気に減少して、以前ほどの客入りはないです。震災前の状況に戻ったという感じ」(居酒屋店員・30代女性)。「震災後の人出は、明らかに減ってきています。震災直後は作業服のまま、飲みに来られた人も多く、ボランティアなどの支援活動を行う人も多かったですね」(タクシー運転手・50代男性)。「震災直後は復興事業などで熊本入りした建設関連の作業員で賑わっていましたが、今は道路整備や建物の解体作業が一段落し、落ち着いてきた印象です。ただ、これから被災地の公営住宅建設や、マンション建設など含めた再開発による“特需”が期待されますので、また人出は多くなると予想しています」(移動店舗店主・50代男性)。市の中心部では、良くも悪くも震災の影響はある程度ひと段落している様子だ。

健軍商店街

 一方、熊本市内を走る市電の終点となる健軍町駅のすぐ近くにある「健軍商店街」(熊本市東区)。震度7を観測した益城町に近く、核となるスーパーが地震で倒壊するなど、市内の商店街でもとくに大きな被害を受けた場所だ。同商店街で青果店を営む70代男性は、「地震の発生前と後とで比べると、お客の数は目に見えて減りましたね。近隣の住民の数も減りましたし、商店街から賑わいが消えました」と嘆く。ほかにも、「震災後に、地域から出て行った住民が戻ってきておらず、商店街の客足は落ちました。早く人の賑わいや活気が戻ってほしいです」(文具店勤務・60代女性)、「平日も少ないですが、土日の人通りはまばら。以前は、商店街の中心に位置するスーパーを目当てに、近隣の住民が商店街に足を運んでいましたが、スーパーの倒壊・再建後は取扱商品の種類が少なくなり、客足が明らかに落ちています」(婦人服店店主・50代女性)と、同商店街においては震災の影響がまだ色濃く残っているという声が寄せられた。

 また、「店舗の補修に対して、行政が助成金を出してくれるのはありがたいけれど、正直なところ、焼け石に水。それよりも、商店街に人の賑わいを取り戻す支援をお願いしたいですね。以前より商店街がだんだんと疲弊していた感はありますが、震災で拍車がかかった感じです」(寝具店店主・60代男性)、「やはり同じ市内でも、温度差は感じますね。商店街にもまだ客足は戻っていませんし、行政には被害に遭った方それぞれの意見に、もっと耳を傾けてほしいと思います」(電気店店主・70代男性)など、行政の対応についてもさまざまな意見があった。同じ市内の商店街でも、場所や被災状況によっては、2年を経ても震災の影響はまだまだ続いている模様だ。

 市の中心部からさらに離れると、また状況は違ってくる。
 「ここは熊本市内とはいっても、政令市になる前に駆け込み的に合併したところですからね。正直なところ、中心部と比べて置き去りにされているというか、疎外感はありますよ。切り捨てられているというか…」―と話すのは、熊本市南区城南町にある「藤山仮設団地」に暮らす60代男性。九州自動車道・城南スマートICの近くにある工業団地の一角に位置する同仮設団地は、隣接する「藤山第2仮設団地」を合わせて整備戸数195戸と市内最大規模を誇り、最も多い時期には400人超の住民が暮らしていたという。団地内には集会所「みんなの家」が4カ所あるほか、簡易的なグラウンドも整備。ただし、近隣には買い物のできる店舗はなく、車をもっていない住民の頼みの綱は、週に何度か訪れる移動販売車のみ。それぞれに割り当てられる住居も、必要最低限の広さとなっている。

 「ここは南区なんですが、諸手続きは南区役所ではなく、すべて中央区にある市役所本庁舎でないとできないというんですよ。いったい、何のための区役所なんでしょうね」(70代女性)、「以前、副市長がこの団地に視察に来られました。いろいろと住民の意見や要望の声を聞いていたようですが、それに対しての回答は今のところ何もありません。単に『住民の声を聞いた』というポーズだけなんですかね…」(60代女性)、「仮設団地の住み心地はそこまで悪くありませんが、やはり狭いのが気にかかりますね。私たちみたいな一人暮らし世帯ならいいのですが、家族で暮らされている方は大変なようです。空き部屋も出てきているのですから、そういった部屋を活用できれば良いのですが、行政の対応は融通が利きませんね」(70代女性)といった不満の声も。一方で、「こんな状況ですから贅沢はいえません。我々だけでなく、国も、県も、市もそれぞれに大変だと思います。そうしたなかで、よくしてくれていると思いますよ」(80代男性)と、行政の対応に一定の理解を示す声もあった。

(つづく)
【特別取材班】

 
(後)

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